甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

辺土の行脚、無常の観念  飯塚の夜

2021年02月18日 21時18分19秒 | 芭蕉さんの旅・おくのほそ道ほか

 表紙に、飯坂温泉駅の写真を借りてきました。もう少し高台にあるイメージだったんだけど、川沿いのこんなところから温泉街が広がっていくんでしょうか。ずっと前から聞いたことはありましたが、行ったことはなかった。いつか行けるのか、行けないのか、あまり期待はしてないけど、チャンスがあれば行きたいな。

 あれ、芭蕉さんは「飯塚」と書いてますよ。曽良さんは「飯坂」とメモしているみたいで、どっちもあった、という声もあるそうです。まあ、芭蕉さんのイメージとしては、とにかく、温泉街に来たというのが大事だったのかな。

 その夜飯塚にとまる。温泉(いでゆ)あれば湯に入りて宿をかるに、土坐(どざ)に筵(むしろ)を敷きて、あやしき貧家(ひんか)なり。

 その夜は飯塚に泊まりました。温泉のあるところなので、お湯に入り、宿を借りましたが、土間にむしろを敷いて寝るような、とんでもない貧しいお宿でした。

 お宿はひどくても、外湯めぐりをしたらいいだけだから、まあ、それは辛抱すればよかったのかな。お湯はどうだったんだろう。

 灯(ともしび)もなければ、ゐろりの火かげに寝所(ねどころ)をまうけて臥す。夜に入りて雷(かみ)鳴り、雨しきりに降りて、臥せる上より漏り、蚤・蚊にせせられて眠らず。

 明かりも何もないし、いろりのそばに寝るところを確保して寝ることにしました。夜になれば雷も鳴り、雨もしきりに降るし、寝ているところに雨漏りの水滴は落ちてくるし、ノミやカにも責められて、安心して寝ることはできませんでした。

 寝ているところに、刺されてかゆくなる虫がいたら、少し落ち着きませんね。フトンなんかなしでも寒くなかったと思うんだけど、それでも、かゆいのはいやだなあ。



 持病さへおこりて、消え入るばかりになん。短夜(みじかよ)の空もやうやう明くれば、また旅立ちぬ。

 持病も出てきて、もう本当に元気がなくなりました。けれども、夏の短夜ですぐに夜は明けてきて、すぐに旅立つことにしました。睡眠不足ではあるのですけれど。睡眠不足で倒れそうだ。

 芭蕉さん、お風呂に入らなかったんだろうか。そんなことは、文学には不要だったんだろうか。少し澄ましすぎじゃないかな。

 なお、夜の余波(なごり)心すすまず、馬かりて桑折(こおり)の駅に出(い)づる。

 昨夜の苦しさが後を引いて心は穏やかではありません。馬を借りて桑折の駅に出ます。

 遥かなる行末(ゆくすえ)をかかえて、かかる病(やまい)覚束(おぼつか)なしといへど、羇旅(きりょ)辺土(へんど)の行脚(あんぎゃ)、捨身(しゃしん)無常(むじょう)の観念、道路にしなん、これ天の命なりと、気力いささかとり直し、路縦横に踏んで伊達(だて)の大木戸(おおきど)をこす。

 まだ先は長いし、遠いのです。けれども、持病は出てくるし大変です。旅をして知らない土地を訪ね、自らはどうでもよくて、それらを投げ出して旅というものにかけ、常に流れていくものを探してみたいのです。それは時間なのか、空間なのか、人なのか。

 身は俗世を捨て去り、人の世のはかなさを覚悟していることだから、たとえ道端で行き倒れになっても、それも天命だと考え直し、元気を取り戻して、道を威勢よく力強く踏みしめて、とにかく自らの使命というのを感じ、伊達の大木戸を越しました。

 さあいよいよ、仙台領に入っていくんでしょうか。

 いつも大変な思いを抱いて、壮絶に旅していくけれど、そんなに悲愴な旅だったんだろうかな。だったら、あまりそういうのはしたくないんだけど、芭蕉さんは、松島と象潟めざして、風流の旅をつづけるんですね。たいしたもんだ。それに、初夏の東北だったら、何だか楽しそうなんだけどな。

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