
平成天皇様がご夫婦で、二泊三日の三重県の旅をされました。最後の地方訪問だったそうです。三重県ではたくさんの人々が沿道に集まり、駅から内宮外宮(ないくうげくう)の道々そのほかでお見送りしていたそうです。
皇太子さまの時にはそれほど人々からの熱い人気、みたいなのはなかったと思うのだけれど、平成天皇様はその三十年の間で着実に人気者になられました。お人柄としても、それはもうあたたかく、人々を見つめておられたのが感じられました。
それは天性のものではなくて、つとめてそういうふうになさったのが感じられるし、そういう姿勢が下々のものとしては有難く伝わってきたのだと思います。
そして、アベ政権が永遠に続くかのような現在、引退をされることになりました。新しい天皇様は、私の同級生だから、まだまだ未熟だと思われます。いかにして天皇となるのか、それはこれからの研鑽と努力が必要です。どれだけこまめに下々のことを思ってくださるのか、それはもうお願いするしかありません。

でも、皇太子さまは、何度も熊野に来られています。研究のためだったと思われますが、熊野は、皇太子さまの何かをくすぐるものがあったようです。
山深い十津川にもお泊りになられたということですし、あれ、今日は何だか、鉄道のまわりに警官の人たちがいっぱいいるなあと思ってたら、皇太子さまがお乗りの列車が通るところであったとか、そういうことがありました。
平成天皇様も、熊野に来られたのかなあ。たぶん、お見えだったのかな。
どうして皇室のことをくどくど書いたかというと、平安から鎌倉にかけて、上皇さまと武家との権力争いがあったころ、熊野はスポットライトを浴びました。平清盛だって、クーデターを予想して、わざと熊野詣をして、源義朝さんにきっかけを与え、勝利しました。
そのころ熊野は、権力が行ったり来たりする土地だったのです。あの後白河法皇様は、33とか、34回くらい熊野に来られたことになっています。
お忙しいのに、いつ来られたのか。全行程を歩いたのではなくて、クルマに乗って来るか、輿に乗るのか、船なのか、とにかく何度も来られたそうです。

すべては、こちらの山と海と隔絶された世界に触れるという、不思議な体験のためでした。
キレイな山があるわけではないし、大きな川は熊野川が一本だけ、太平洋はバーンと広がっていますが、あまりに何もなくて、ただ青いだけで、怖くなったりする、そういうなぜ来るのかわからないのに来てしまう土地でした。
昨日、テレビで見ていたら、どこにでも出かけているはずのタモリさんでも、熊野には初めて来たみたいで、初物尽くしという感じでした。タモリさんだって、若い頃、バンドとして来るにしても、熊野はやはり遠い土地だったのだと思われます。
はるかに遠い。距離的には名古屋から特急で3時間くらい。南紀白浜には空港だってあります。それなのに、みんなわざわざそちらには行かないのです。
行けば、それなりに自然はあるだろうけど、わざわざ行こうとは思わない土地でした。杉花粉だって、ものすごいパワーがあったと思います。

そういうところに、たまたま私は六年間過ごすことができました。これは私の人生の中の、不思議で大変で、それでも無邪気で楽しい時間ではありました。子どもとも楽しく過ごせたし、あそこがうちの子の原点ではあったはずです。
「ブラタモリ」は、来週もあるみたいです。私はたぶん見させてもらうと思いますが、そうだよなと思いつつ、テレビだけでは何だか面白おかしいところだけがピックアップされて、何にもない息苦しさみたいなのは伝えられないですね。どんな作品を読んでも、見ても、伝えられなくて、それを形にしようとしたのは中上健次さんだけだった。
いや、昨日だって、補陀落渡海のことを番組の最後に取り上げていて、タモリさんたちは暗くなっていましたし、「何だか暗くなってきちゃった」と話しておられましたっけ。表面的なもののウラを見てしまったら、それはウネウネと情念がうごめく、暗くて怖い世界なのです。
しっかり、熊野の雰囲気は伝えてくれてたんでしたね。実はあれが大事だと思うんだけどな。何しろ平地はないし、息苦しさはあるのだと思われます。山々に閉ざされた不思議な世界なんです。
明るく、強い日ざしと、激しい自然の山や川、雨や嵐、人々は元気だし、独特なんだけど、何だかもがいている感じが人々の間には広がっている。その中から悟りを開いた一遍さんとか、弁慶さんとか、佐藤春夫さんとか、中上健次さんとか、不思議な才能の人が出てくるんだけど、そこまでは取材できませんでした。
そうです。何度も何度も来ないとわからない不思議な魅力があるようです。だから、都会の人は、どういうわけか、何度も行くリピーターの人がいる。
私の弟なんて、釣りとキャンプで何度も何度も何年も出かけています。人それぞれの目的で熊野は人々にめざされるところになっています。

亡くなられた梅原猛さんは大の熊野びいきの方で、しょっちゅう来られていたということでした。
とりこになると、何度も来られる方がいる。一度で懲りた人は、二度とあんなところには行かないと言うかもしれない、何にもないところです。
それで、私は? たぶん、これからも時々は行くことでしょう。
ということは、昨日はタモリさんに来てもらって、うれしかった、というところもあるのかな。私も梅原さんと同じように、変なところで「熊野びいき」な部分はあります。たぶん、うちの子も口には出さないけれど、どこかにそういう気分は持っているんでしょう。
