甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

カティンの森 2007

2022年10月01日 08時44分16秒 | だいたい映画、ときどきテレビ

 実は、映画は見ていません。ワイダ監督作品は80年代は真面目に見ていました。そこに何かを感じていたつもりです。

 それから、30年以上経過しましたけど、すっかり忘れていました。

 2007年に「カティンの森」という作品を発表した、というのも知ってたかもしれません。でも、見たいとは思いませんでした。もうないことにしたかったのかもしれません。よそ事としてとらえていたのでしょう(岩波ホールは三重県にはありませんでした。同じような活動をしているところはあるんですけど、フォローしきれていなかった)。


 事件は、1939年の9月17日に起こったそうです。それは、ポーランドの人々にとって、忘れてはならない日だったそうです。

 ソ連軍が国境を越えてポーランドに侵攻した日だったそうです。それから長い歳月を経て、2022年の2月24日、ロシアのウクライナ侵略戦争が始まった日があり、場所も時間も違うけれど、人々が経験していることは全く変わらないのだというのを感じないではいられません。

 1939年のソ連軍は、侵攻後、2万人を超すポーランドの将校や知識人を処刑し、カチンの森に埋めた事件が起こります。けれども、戦争が終わった後も、ソ連側に属させられたポーランドでは、この事件は語られることなく、長く封印されました。2万人の人が殺されても、誰も何も言えなかったのです。話題として取り上げることもタブーでした。

 50年代からずっとポーランドの現代史をテーマに映画を作って来たワイダさんが、カチンの森事件を取り上げたのが2007年の最晩年でした。70年近く経って、やっと映画として許され、語らなくてはならない時代が来たなんて、人の一生は百年では足らないのです。何百年もあれば、もう少し賢く生きられるのに、残念ながら百年にも達せずに、たくさんの過ちや失敗が起こるのが実感できるのに、それは止められなくなっている。


 昨日(9/30)の夕刊に、朝日の編集委員をされてた福島申二さんが、ワイダさんのことを取り上げていて、ウクライナ東部イジュームの森での集団埋葬のことに触れておられました(埋葬されていた447人のほとんどは民間人の女性だったそうです。容赦なくそんなことに踏み切れてしまう恐ろしさを感じます。いくら嘆いても嘆ききれない)。

 ソ連・ロシアだから、そんなことを繰り返しているのではなく、人間はそういう過ちを世界中で今も、この現在でも繰り返しうるのだと思います。

 そういう、やむにやまれず、人の命令ということにして、自己の責任は免除にして(自分の中で)、虐殺をしてしまえることがあるのだと思います。

 孫引きは、昔、よく叱られ、ちゃんと原典に当たれと言われたけれど、記事からの孫引きをします。

不屈のボタンだけ
死を生き延びたのは
それら犯罪の目撃者たちは
深淵から地表に歩み出る……
聞き届けるのは神だ……
 「カティンの森」のパンフレット(岩波ホール)に載っていたポーランドの詩人のズビグニェフ・ヘルベルトという人の詩だそうです。

 映画では、不吉な運命を予感する将校が、
「僕たちの死後、軍服のボタンだけが残る」と語っていたということでした。

 ヘルベルトは他にも、
「源泉にたどり着くには流れに逆らって泳がなければならない。流れに乗って下っていくのはゴミだけだ」(「アフォリズム」ロバー・ハリスから)

 ということも語っておられたそうです。

 今の世の中、あふれるのはゴミばかりで、本当のものを手に入れたいのであれば、流れに逆らうしかない、と言っておられた。

 そして、戦争という激流の場合は、もうゴミさえつかめないで、自分そのものがゴミとされてしまう、そんな恐ろしい流れになってしまいます。

 だから、ロシアの若い人たちは、そこから逃げ出し、抗議し、ささやかではあるけれど、激流を泳ごうとしている人たちがいる。


 さて、私は? 

 私は、嘆き、記録し、心にとめ、誰かに語ろうと思います。そして、映画もいつか見たいと思います。そして、早く戦争が終わるように、祈りたいと思います。そして、ロシアの人々とウクライナの人々の無事を祈りたいです。

 祈る気持ちが弱いかもしれないけど、時々はねじを巻きつついきます!

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