
世の中には、自助努力を説く言葉はたくさんあります。誰もが、自分で自分の道を切り開きたいという思いはあるから、人に指図されるのではなく、自活していくことはあとくされもなくて、サラサラ楽しく生きていける。
けれども、そんなに誰もが思い通りに生きていけるわけではないから、もう少し自然に生きていくのを推奨する言葉もあってもいいのかもしれないのです。
この正月の大阪で米原万里さんの「他諺(たげん)の空似(そらに)」という本(2016 中公文庫)を買ってきて、他の読んでない本はごまんとあるのに、とりあえず勉強にもなるし、チョコチョコ読んでいたら、しなやかに生きるためのことわざがあるよと教えてくれてました。なかなかいいでしょ!
米原さんは、子どものときに聞いたらしいのです。
キリストや仏陀にはない魅力をマホメットに感じたものだ。てっきり、この何となく間が抜けていてユーモラスな名文句はイスラムの聖典コーランに記されているもの、と勝手に思い込んでいたのだが、実は、そうではないらしい。近代西欧哲学の祖フランシス・ベーコンが1597年、『随想集』に収めた「勇気について」と題した小文にこの逸話を紹介してから広く世の中に行き渡ったようだ。
ベーコンさんがどんな話を載せたのかというと、マホメットさんが奇跡を行ないますよ、と宣言したときの話のようです。
山がマホメットの方へやって来ようとしないのならば、マホメットの方が山に向かって行くまでだ。
と、語ったそうです。インチキ魔術師みたいなんですけど、融通無碍な感じはしますね。
マホメットは民衆に向かって、「あの山を動かしてみせる」と豪語したものの、山はびくともしなかった。すると、マホメットは少しもあわてず、冒頭のセリフを吐いたというのだ。
これを聞いてる民衆のみなさんも、「何だこれ? インチキ宗教じゃないの?」と思ったはずですが、前後の話があるから、奇跡なんて心の持ち方次第なんですよ、というのを時間をかけて話したら、みんな納得したんでしょうか。出典は気になるけど、中近東あたりにはよく似た民話があったそうで、その主人公の名前をマホメットに変えただけ、なのかもしれないそうです。
でも、中近東って、特別な、割と正直で、他人のことも考えながらみんながともに幸せになっていく考え方があったのかもしれません。
マホメットさんは、原理主義者ではなくて、もっと融通の利くひとだったのかもしれないです。それが大きくなると、当然過激な人たちが出てくるのかもしれないです。日本だって、宗教においてどれだけ激しい信仰の仕方があったのか、それはもう世界と変わりがなかった気がします。

奇跡にこだわらず、他者の存在を認め、それぞれが信ずるものを尊重し合える社会って、簡単ではないけど、今も私たちが求めていかなければならないに、なかなかそれができていないのが現状です。