goo blog サービス終了のお知らせ 

弓道修行日記

このブログに、弓道修行する中で、学んだこと、考えたこと、試行したこと等を書き残し弓道修行の友とする。

弓道の練習の目的は何かー正しい弓道の追求ー弓術と弓芸を分けて考えるー

2010-04-25 | Weblog
 弓道の練習、それを根気よく研究しつつやることを修業と考え、日々の考え、学んだことを書いてきました。

その中には間違った事も多い、しかし試行錯誤というように、いろんな事を試行し、仮説を立て、また試行し、また仮説を立て・・・そして学び、教えを受け、また仮説を立て・・・そう言う事が修業と考えてこの「弓道修業日記」を書いてきました。いずれ弓道の真髄に達せられるのではないかと考えたのです。

そして、今の弓道の教えは違うのではないか、と思うようになってきました。
それは何故か。

弓道は昔、弓術と言われていました。敵を倒す事が強く求められ、そのための工夫が行われ、その工夫が流派になって分かれて行きました。

それを弓道と柔道に合わせて精神性を重視して術を道に変え呼び方を変えたのです。

しかし、内容を変える事は考えなかったと思われます。
敵を倒す武器としての価値が無くなったとき、弓術は修業道に変わったのですが、そこに
①弓術本来の目的は飛貫中であり、それを追求して行く中で人間が成長するするという考えと、
②禅の修業に為に弓道を活用するという考えや、
③健康面を重視した考え、或いは④単なる趣味・・・と言うように弓道はいろいろの考えで活用できると言うことが出て来ました。

従って自分の目指している弓道は何か、そこがはっきりしていないと、船出をしたが地図がない、目指すところがない、と言うことになりかねず、そういうことでは練習の効果は上がるものではありません。

練習の目的をはっきりさせるためには、練習の効果を上げるためには、正しい弓道と言う概念がはっきりしていなくてはならないと考えます。

それは何か

弓道は弓術から名称が変わった後、何が変わったのか。一時、的中本位で段を与えることも提案されました。それはおかしいと言うことになって、的中だけではない弓の道が有ることが、分かってきたのです。

「良い射」という弓道があることは分かっていました。人を感動させる射と言うものが有ると言うことは、2000年以上も前に孔子によって唱えられていました。射によって国家公務員試験といわれる科挙の試験をするという事もありました。

この思想が何時日本に来たかは分かりませんが、日本の弓道は、礼は小笠原、術は日置、と言われ、二つの流れが有りました。一般的には生死を分ける術が重視され多くの流派が生じました。

そして弓道を芸術部門のスポーツとしてとらえようとする意識が出始めてきたのです。
それを私は弓芸と呼ぶことにしました。フィギャースケートにその例を考えました。

つまり、弓道は
①礼の弓道、祭司用の部門
②飛貫中を競う弓術部門
③禅修業、人間の修業道と言う部門
④楽しむ部門
⑤芸術性を競う弓芸部門

の五部門が有るのです。

このことを意識することが先ず大切でその意識化がない中では、指導は何を目的に行われているのかと言うことになります。

人によっては①が弓道だと思っている人もいます。小笠原流はこの流れと考えます。
②の飛貫中を競う部門は日置流
③の禅修業、人間の修業道と言う部門は無影新月流、ハワイの超禅寺琉弓道、
大射道教・・・孔子の弓道、
④の楽しむ弓道は自由に趣味としてやればいいのです。
問題はこの他に
⑤芸術性を競う弓芸部門
が有るのではないかと考えるのです。

①を修練し、より神々しく、気合いを込めて、厳粛に、・・・良い射をする、それの品評会をして出来映えを競うのです。

しかし、祭礼・儀式は複雑ですのでその専門的な研究と者と言うのもあっていいと思います。それが①でその一つを例えば矢渡しを如何に芸術的に行うかその芸術性を競うのです。
それが⑤で他のスポーツに見られる、フィギャースケート、体操、新体操、シンクロ、高跳び込み、空手の型、ダンス、・・・の種別です。芸術の評価で競われるのです。

そう言うことが行われている地区もあると聞きます。矢渡しや持ち的坐射礼や一つ的坐射礼、の競技会(これを団体射礼競技会と言います)が行われ採点制で優劣を決めているのです。
しかし、これはチ-ム全体としての出来映えを見ますが、個人個人の射の出来映え、体配の出来映えを評価するのではありません。

個人の射礼競技会(個人射礼競技会と言います)という部門があるということ、それを私は弓道の芸術性の競技、弓芸の競技会を提案するのです。

この弓芸の競技は審査と近的選手権の予選で行なわれていると考えます。

ここでちょっとインターネットで弓道の歴史を振り返ってみます。
「「大日本武徳会明治28年京都在住の有識者により各種武道・武術を統括する団体として大日本武徳会が設立され、京都の平安神宮境内に建設された武徳殿を本部とした。弓術をはじめとする各武術は、

技術を目的とした武術を改め大和心涵養を目的とした武道とし、大正8年(1920年)武術専門学校を武道専門学校と改称、

時を同じく弓術も弓道と改称された。」

この時的中主義の技術の弓術は精神性を重んじる弓道に変わったのです。

「中りさえすれば良い」とした衰退期の弓術の反動から「射型さえ良ければ中らなくても良い」とする弓道への風潮や、過度な精神偏重が広まるという側面出てきました。

武徳会は各武道の型統一を目指し昭和8年5月に開催された全国範士・教士会からの要請を受け、同年9月、当時の武徳会会長 鈴木莊六によって全国から招集された著名弓道家 により「弓道形調査委員会」を構成。「統一射法」に向けて3日間にわたる議論が交わされることとなる。

初日は小笠原流を基本にした巻藁射礼、的前射礼、立射礼の3つの射礼が決定される。

2日目は射法について審議されるが、「打起し」の審議に入るとそれぞれ自己の流派射法から「正面打起し」と「斜面打起し」を主張し合い、互いに譲らず喧々囂々白熱した議論へと発展、最終日、議論はほとんど決裂の様相を呈していたが、
九州の祝部範士から出された妥協案「正面打起し・斜面打起しの中間的方法」を採用する事で一同は賛成を表明、これで一応の決定を得た。
(以下当時の「中間的方法」)
弓構……正面にて取懸け、手の内をととのえ物見を定める。
打起……正面より徐々に弓を押し開きつつ左斜めに打上げる。

昭和9年(1934年)11月、これを持って「弓道要則」とし統一射法として正式に制定、武徳会は全国に普及、徹底させようとしたが、この「中間的妥協案」には弓道界から賛否続出、雑誌・新聞紙上で大論争が展開され、ついには「鵺(ぬえ)的射法」と揶揄されるまでに至る。」
という歴史があります。

弓術は斜面打起しと正面打起しは2派に分かれたのですがこれを統一しようとして中間派を採用したが不評だったと言うことです。

これが現在はどうなっているのか、正面と斜面の流派はそれぞれが両論併記のの形で等々に扱われどっちでも良いと言うことになっています。

先ほどの①~⑤までの弓道で言えば
①は小笠原流
②は日置流
③は本多流
④は自由に
と言うことになります。そしてこの他の⑤は①の派生したものと考えます。

武徳会は①は礼射、②と③を混ぜ合わせたものをに二本立てとしたのですが、現代弓道は
②または③と言うことになっていると思います。そして①はそれぞれが取り入れるのです。

つまり①を入れた②と①を入れた③の両方が弓道という名の元で行われているのです。

ですから、①も②も③も指導されるのです。それはそれで総合部門という考え方も出来るでしょうが、それぞれ独立した部門として考えるべきだと考えるのです。

そこに①の一つの種目を独立させ、芸術性を競う部門、弓芸部門を設置すべきと考えるのです。

そうなると弓道はどうなるか
①はいろんな儀礼、建築のお祓い、新築のお祝い、いろんな儀式があり、その儀式を行います。孔子の礼記射技などはそう言う礼の射を解いたと思います。
②は飛貫中を目指します。そのために弓具の改良も含めてアーチェリーに如く競技すればいいのです。三十三間堂もその一つです。的中、遠的、遠距離・・いろんな種別が考えられます。
10点満点を狙いましょう。トルネード投球でも一本足打法でもルールに反していなければ良いのです。
③の精神性は修業の道具としての弓道ですから、坐禅と同じように考えられますので競うものではないでしょう。
④はご自由に何でも
⑤は芸術性の追求です。
でこの⑤によって新しい現代弓道を考えようとするのです。

現代弓道の問題意識、いろいろな部門がある弓道を一緒くたに考えているので、何が正しい弓道かと言うは言えないものになっていると思うのです。

その中で指導は審査用の射、それを芸術性追求の射が行われていると考えられます。
ではその芸術性を競う競技会が有るのかというと、それは近的選手権の予選で見られるくらいです。弓芸の射会がないのです。

弓道の問題の第2点は、テレビで放映されていない唯一の武道が弓道なのです。なぜなのか。そこを考えなければなりません。

そこで考えなければならないのは、他の部門に見習って芸術性を競う部門に切り込まなければならないのです。
柔道、剣道、相撲、空手・・は個人の対戦で勝ち負けを競います。これは②の部門で個人戦トーナメントをして行く方法もあると思います。

もう一つは、フィギャースケート等を見習って演武をしてそれを採点を行って得点を表示して、・・と言うやり方をすれば、他の武道とは違う弓道の特異性が示せて国民に興味を持って貰えると思います。

先日新聞に、子どもに礼儀を教えるのに相撲、柔道、剣道、空手と書いてありました。礼儀と言えば弓道ではないかと思うのですが、一般的には子どもに弓道は親しまれていないのです。このことは弓道は子育てに役に立っていないということです。

相撲、柔道、剣道、空手は子どもが練習しています。
子どもが弓道をしていると言うことは聞きません。

と言うことは弓道は子育てに参画していないのです。弓道の幹部はこのことをどう考えるのでしょう。

私は、弓道の幹部の怠慢と指摘します。段位、称号の授与権で口出し提案を出来ないようにしているのか、或いは弓道家は自分が良ければ良いのか提言も行動もしない怠慢なのか。
教本第一巻35pを見て下さい、弓道の民主化と言うことが書いてあります。弓道界は教本作成後どう民主化をしたのか、何かの改革をしたのか。

弓道芸術の道、私は弓芸と言っていますが、この弓芸は危険ではありません。ダンスやバレーと変わりません。子供用には弱い弓で5m先に50cmの大的、矢先は丸いゴムなどにすれば、子どもも充分楽しめます。

月曜の新聞にスポーツ欄が有りますが、弓道が載るのはごくわずかです。
この弓芸という部門を設定することで、現在の弓道の指導が弓芸の向上を目指していることと言うことになります。

そして、射会も弓芸部門の射会を開催し、全国大会も弓芸部門の全国大会を開催すべきです。そのことによって地方でも弓芸の研究が行われ、それは精神性の鍛錬、人間性の向上、射品・射格の向上が充分図れ、他の武道との違い、弓道は礼儀作法芸術を追求するという特色がはっきり打ち出せると考えます。

結局は「正しい弓道」は何かを考え、弓術と弓芸の五つの道があると言うことを認識し、その方向性を考えて練習することが大切なんだと思い至ったのです。

②の弓術を目指す人は、・・・いました中島敦の『名人伝』に書かれています。

中国の養由基、春秋時代の楚の人で、百歩はなれて柳葉を射て百発百中したとか。
鎧射貫き等では源義家、百足退治の藤原秀郷、遠的の三十三間堂通し矢で有名な星野勘左衛門、和佐大八郎などです。明治以降なら浦上榮氏・・・

そしてその養由紀をけなすが如き発言も出てきたりしました。単なる的中は○○の射(そして孔子の射を最高のものとしたのです。

その逆もありました。つまり飛貫中が無くて何ぞ弓道かという言い方です。

しかし、百発百中の何処が悪いのでしょう。アーチェリーの何処がいけないのでしょう。
的中を目指すことがどうしていけないのでしょう。百発百中は立派なことです。アーチェリーでしたらオリンピックで金メダルを貰えます。
百発百中を目指す弓道で人間づくりもできます。

それは正しいとも言えます。①でも②でも③弓道ですから、しかし、スケートで言えばスピードスケートの選手にジャンプを指導するようなことをしているのです。
空手の組み手の選手に空手の型を指導するようなものです。

正しい弓道の認識無くて、何の弓道修業か練習かと言いたいのです。

的中を伸ばす弓術の研究はあっていいのです。的中を狙うと中て射だとか下品な射だとか非難されますげ、
そこがおかしいのです。的中有能者も誉められるべきことなのです。

そしてもう一つ、弓芸部門というのがあるのです。




最新の画像もっと見る

コメントを投稿