日本人は感謝されている。そこを知って自信を持とう。卑屈になるな。正しく知り正しく主張しよう。
これが私が弓道から学んだ武道精神です。もう一度武士道を学び考え直してみよう。
下記の内容は何処にあったのか分からなくなっています。多分イザ!だと思います。
「日本では、先の大戦について肯定的に語ること自体が、まるでタブーのようです。
そこで外国人の意見を紹介します。
■ アーノルド・J・トインビー >■(イギリス、歴史学者)
第二次大戦において、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大なる歴史を残したと言わねばならない。
その国々とは、日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。
日本人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人類の面前において、
アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去二百年の間に考えられていたような、不敗の半神でないことを明らかに示した点にある。
(1965年10月28日、英紙「オブザーバー」)
英国最新最良の戦艦2隻が日本空軍によって撃沈されたことは、特別にセンセーションを巻き起こす出来事であった。
それはまた永続的な重要性を持つ出来事でもあった。
なぜなら1840年のアヘン戦争以来、東アジアにおける英国の力は、この地域における西洋全体の支配を象徴していたからである。
1941年、日本はすべての非西洋国民に対し、西洋は無敵でないことを決定的に示した。
この啓示がアジア人の志気に及ぼした恒久的な影響は、1967年のベトナムに明らかである。(昭和43年3月22日「毎日新聞」)
■ ククリックド・プラモード ■(タイ国元首相 )
日本のおかげでアジアの諸国はすべて独立した。
日本というお母さんは難産して母体をそこなったが、産まれた子供はすくすくと育っている。
今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。
それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。
12月8日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが
一身を賭して重大決意をされた日である。
我々はこの日を忘れてはならない。
(12月8日、現地の新聞「サイアム・ラット紙」において )■
ラダ・ビノード・パール ■(インド、極東国際軍事裁判判事・法学博士)
要するに彼ら(欧米諸国)は日本が侵略戦争を行ったということを歴史にとどめることによって、自分らのアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、日本の17年間(昭和3~20年、東京裁判の審理期間)の一切を罪悪と烙印する事が目的であったにちがいない。
私は1928年から1945年までの17年間の歴史を2年7ヶ月かかって調べた。
この中には、おそらく日本人の知らなかった問題もある。
それを私は判決文の中に綴った。
その私の歴史を読めば、
欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であるということがわかるはずだ。
それなのに、あなた方は自分らの子弟に、「日本は犯罪を犯したのだ」
「日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ」を教えている。
満州事変から大東亜戦争にいたる真実の歴史を、
どうか私の判決文を通して十分研究していただきたい。
日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って、卑屈、頽廃に流されていくのを私は平然として見過ごすわけにはゆかない。
あやまられた彼らの宣伝の欺瞞を払拭せよ。あやまられた歴史は書き変えなければならない。
(昭和27年11月5日、広島高等裁判所での講演)
■ ガザリー・シャフェー ■(マレーシア、元外相、アセアン創設によりハマーシェルド賞受賞)
日本の某代議士の、「過ぐる大戦において、わが国は貴国に対し
ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」という挨拶に対して、
「どうしてそういう挨拶をなさるのですか。あの大戦で日本はよくやったではないですか。
マレー人と同じ小さな躰の日本人が、大きなイギリス人を追い払ったではありませんか。
その結果、マレーシアは独立できたのです。
大東亜戦争なくしては、マレーシア人もシンガポールも、その他の東南アジア諸国の独立も考えられないんですよ」
さらに続けて、玉井顕治、名越二荒之助、中島慎三郎の三氏に対していわく、
「私は威張る人も、ぺこぺこする人も嫌いです。
日本はもっと大きくアジアに眼を開いてください。
現在、日本は南方の発展途上国に対する援助額はダントツです。
押しも押されぬアジアの経済大国ではありませんか。
『ルック・イースト』
『日本に学べ』
という呼びかけは、シンガポールやマレーシアだけではありません。
口に出しては言わないけれど、アジアの国々のこれは本音なんですよ。
かって反日感情の強かった国々にも、次第に親日感情が起こりつつあります。
そうしたなかにあって、日本は欧米にばかり目を向けず、アジアに対して責任を持つ国になって欲しいのです。
日本はかつてアジアに対して責任を感じ、
そのために、戦争であれだけの犠牲を払ったのです。
この尊い戦争の遺産を否定することは、バックミラーばかり見ているようなものです。
自動車は前を見て運転しなければ、進路を間違えますよ」
(昭和63年7月19日、於赤坂プリンスホテル)
■ 朴 鉄柱 ■(韓国 平成2年1月逝去・68歳 、韓日文化研究所 昭和42年10月)ソウルから日本を眺めていると、日本が「心」という字に見える。
北海道、本州、四国、九州と、心という字に並んでいるではないか。
日本は万世一系の御皇室を頂き、歴史に断絶がない。
それに対して韓国は、断絶につぐ断絶の歴史で涙なくしてみることはできない。
現在の日本の自信喪失は敗戦に起因しているが、そもそも大東亜戦争は決して日本から仕掛けたものではなかった。
平和的外交交渉によって事態を打開しようと最後まで取り組んだ。
それまで日本はアジアのホープであり、誇り高き民族であった。
最後はハル・ノートをつきつけられ、それを呑むことは屈辱を意味した。
”事態ここに至る。座して死を待つよりは、戦って死すべし”
というのが、開戦時の心境であった。
それは日本の武士道の発露であった。
日本の武士道は、西欧の植民地勢力に捨て身の一撃を与えた。
それは大東亜戦争だけでなく、日露戦争もそうであった。
日露戦争と大東亜戦争 ー
この二つの捨て身の戦争が歴史を転換し、アジア諸国民の独立をもたらした。
この意義はいくら強調しても強調しすぎることはない。
大東亜戦争で日本は敗れたというが、敗けたのはむしろイギリスをはじめとする植民地を持った欧米諸国であった。
彼らはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。
戦争に勝った敗けたかは、戦争目的を達成したかどうかによって決まる、
というのはクラウゼヴィッツの戦争論である。
日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。日本こそ勝ったのであり、日本の戦争こそ、「聖なる戦争」であった。
ある人は敗戦によって日本の国土が破壊されたというが、こんなものはすぐに回復できたではないか。
二百数十万人の戦死者は確かに帰ってこないが、しかし彼らは英霊として靖国神社や護国神社に永遠に生きて、国民尊崇対象となるのである。
■ 朱 耀翰 ■{韓国 元国会議員 ゴーマニズム宣言第六巻p232}
アメリカ大統領 ルーズベルト君、
君は口を開けば必ず正義と人道を唱えるが、
パリ講和条約の序文に(日本が)人種差別撤廃文案を挿入しようとしたとき
これに反対し 削除したのはどこの国だ?
黒人と東洋人を差別待遇して同じ席にも着かせず、アフリカ大陸で奴隷狩りをしたのはどこの国であったか?
しかし君らの悪運はもはや尽きた。
一億同胞なかんずく半島の二千四百万は渾然一体となって
大東亜聖戦勇士とならんことを誓っている!」
/////////////////////////////////////
日本の心を伝える会メールマガジン vol .089 より転載。
12月8日が何の日か、今では
知らない日本人の方が多いと思います。
記憶せよ、12月8日。この日 世界の歴史改まる。
アングロサクソンの主権、 この日東亜の陸と海とに否定さる。
否定するものは彼らのジャパン、眇(びょう)たる東海の国にして また神の国たる日本なり。
そを治(しろ)しめたまふ明津御神(あきつみかみ)なり。
世界の富を壟断(ろうだん)するもの、強豪米英一族の力、我らの国に於いて否定さる。
我らの否定は義による。
東亜を東亜にかへせといふのみ。
彼らの搾取に隣邦ことごとく痩せたり。
われらまさにその爪牙(そうが)を砕かんとす。 われら自ら力を養ひてひとたび起つ。
老若男女みな兵なり。 大敵 非をさとるに至るまでわれらは戦ふ。
世界の歴史を両断する。 12月8日を記憶せよ。
高村光太郎
もう一つ従軍慰安婦について
「従軍慰安婦及び強制連行問題における仮想問答集」と言うサイトがあります。
それには良いことが書いてあります。
これが私が弓道から学んだ武道精神です。もう一度武士道を学び考え直してみよう。
下記の内容は何処にあったのか分からなくなっています。多分イザ!だと思います。
「日本では、先の大戦について肯定的に語ること自体が、まるでタブーのようです。
そこで外国人の意見を紹介します。
■ アーノルド・J・トインビー >■(イギリス、歴史学者)
第二次大戦において、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大なる歴史を残したと言わねばならない。
その国々とは、日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。
日本人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人類の面前において、
アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去二百年の間に考えられていたような、不敗の半神でないことを明らかに示した点にある。
(1965年10月28日、英紙「オブザーバー」)
英国最新最良の戦艦2隻が日本空軍によって撃沈されたことは、特別にセンセーションを巻き起こす出来事であった。
それはまた永続的な重要性を持つ出来事でもあった。
なぜなら1840年のアヘン戦争以来、東アジアにおける英国の力は、この地域における西洋全体の支配を象徴していたからである。
1941年、日本はすべての非西洋国民に対し、西洋は無敵でないことを決定的に示した。
この啓示がアジア人の志気に及ぼした恒久的な影響は、1967年のベトナムに明らかである。(昭和43年3月22日「毎日新聞」)
■ ククリックド・プラモード ■(タイ国元首相 )
日本のおかげでアジアの諸国はすべて独立した。
日本というお母さんは難産して母体をそこなったが、産まれた子供はすくすくと育っている。
今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。
それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。
12月8日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが
一身を賭して重大決意をされた日である。
我々はこの日を忘れてはならない。
(12月8日、現地の新聞「サイアム・ラット紙」において )■
ラダ・ビノード・パール ■(インド、極東国際軍事裁判判事・法学博士)
要するに彼ら(欧米諸国)は日本が侵略戦争を行ったということを歴史にとどめることによって、自分らのアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、日本の17年間(昭和3~20年、東京裁判の審理期間)の一切を罪悪と烙印する事が目的であったにちがいない。
私は1928年から1945年までの17年間の歴史を2年7ヶ月かかって調べた。
この中には、おそらく日本人の知らなかった問題もある。
それを私は判決文の中に綴った。
その私の歴史を読めば、
欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であるということがわかるはずだ。
それなのに、あなた方は自分らの子弟に、「日本は犯罪を犯したのだ」
「日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ」を教えている。
満州事変から大東亜戦争にいたる真実の歴史を、
どうか私の判決文を通して十分研究していただきたい。
日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って、卑屈、頽廃に流されていくのを私は平然として見過ごすわけにはゆかない。
あやまられた彼らの宣伝の欺瞞を払拭せよ。あやまられた歴史は書き変えなければならない。
(昭和27年11月5日、広島高等裁判所での講演)
■ ガザリー・シャフェー ■(マレーシア、元外相、アセアン創設によりハマーシェルド賞受賞)
日本の某代議士の、「過ぐる大戦において、わが国は貴国に対し
ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」という挨拶に対して、
「どうしてそういう挨拶をなさるのですか。あの大戦で日本はよくやったではないですか。
マレー人と同じ小さな躰の日本人が、大きなイギリス人を追い払ったではありませんか。
その結果、マレーシアは独立できたのです。
大東亜戦争なくしては、マレーシア人もシンガポールも、その他の東南アジア諸国の独立も考えられないんですよ」
さらに続けて、玉井顕治、名越二荒之助、中島慎三郎の三氏に対していわく、
「私は威張る人も、ぺこぺこする人も嫌いです。
日本はもっと大きくアジアに眼を開いてください。
現在、日本は南方の発展途上国に対する援助額はダントツです。
押しも押されぬアジアの経済大国ではありませんか。
『ルック・イースト』
『日本に学べ』
という呼びかけは、シンガポールやマレーシアだけではありません。
口に出しては言わないけれど、アジアの国々のこれは本音なんですよ。
かって反日感情の強かった国々にも、次第に親日感情が起こりつつあります。
そうしたなかにあって、日本は欧米にばかり目を向けず、アジアに対して責任を持つ国になって欲しいのです。
日本はかつてアジアに対して責任を感じ、
そのために、戦争であれだけの犠牲を払ったのです。
この尊い戦争の遺産を否定することは、バックミラーばかり見ているようなものです。
自動車は前を見て運転しなければ、進路を間違えますよ」
(昭和63年7月19日、於赤坂プリンスホテル)
■ 朴 鉄柱 ■(韓国 平成2年1月逝去・68歳 、韓日文化研究所 昭和42年10月)ソウルから日本を眺めていると、日本が「心」という字に見える。
北海道、本州、四国、九州と、心という字に並んでいるではないか。
日本は万世一系の御皇室を頂き、歴史に断絶がない。
それに対して韓国は、断絶につぐ断絶の歴史で涙なくしてみることはできない。
現在の日本の自信喪失は敗戦に起因しているが、そもそも大東亜戦争は決して日本から仕掛けたものではなかった。
平和的外交交渉によって事態を打開しようと最後まで取り組んだ。
それまで日本はアジアのホープであり、誇り高き民族であった。
最後はハル・ノートをつきつけられ、それを呑むことは屈辱を意味した。
”事態ここに至る。座して死を待つよりは、戦って死すべし”
というのが、開戦時の心境であった。
それは日本の武士道の発露であった。
日本の武士道は、西欧の植民地勢力に捨て身の一撃を与えた。
それは大東亜戦争だけでなく、日露戦争もそうであった。
日露戦争と大東亜戦争 ー
この二つの捨て身の戦争が歴史を転換し、アジア諸国民の独立をもたらした。
この意義はいくら強調しても強調しすぎることはない。
大東亜戦争で日本は敗れたというが、敗けたのはむしろイギリスをはじめとする植民地を持った欧米諸国であった。
彼らはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。
戦争に勝った敗けたかは、戦争目的を達成したかどうかによって決まる、
というのはクラウゼヴィッツの戦争論である。
日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。日本こそ勝ったのであり、日本の戦争こそ、「聖なる戦争」であった。
ある人は敗戦によって日本の国土が破壊されたというが、こんなものはすぐに回復できたではないか。
二百数十万人の戦死者は確かに帰ってこないが、しかし彼らは英霊として靖国神社や護国神社に永遠に生きて、国民尊崇対象となるのである。
■ 朱 耀翰 ■{韓国 元国会議員 ゴーマニズム宣言第六巻p232}
アメリカ大統領 ルーズベルト君、
君は口を開けば必ず正義と人道を唱えるが、
パリ講和条約の序文に(日本が)人種差別撤廃文案を挿入しようとしたとき
これに反対し 削除したのはどこの国だ?
黒人と東洋人を差別待遇して同じ席にも着かせず、アフリカ大陸で奴隷狩りをしたのはどこの国であったか?
しかし君らの悪運はもはや尽きた。
一億同胞なかんずく半島の二千四百万は渾然一体となって
大東亜聖戦勇士とならんことを誓っている!」
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日本の心を伝える会メールマガジン vol .089 より転載。
12月8日が何の日か、今では
知らない日本人の方が多いと思います。
記憶せよ、12月8日。この日 世界の歴史改まる。
アングロサクソンの主権、 この日東亜の陸と海とに否定さる。
否定するものは彼らのジャパン、眇(びょう)たる東海の国にして また神の国たる日本なり。
そを治(しろ)しめたまふ明津御神(あきつみかみ)なり。
世界の富を壟断(ろうだん)するもの、強豪米英一族の力、我らの国に於いて否定さる。
我らの否定は義による。
東亜を東亜にかへせといふのみ。
彼らの搾取に隣邦ことごとく痩せたり。
われらまさにその爪牙(そうが)を砕かんとす。 われら自ら力を養ひてひとたび起つ。
老若男女みな兵なり。 大敵 非をさとるに至るまでわれらは戦ふ。
世界の歴史を両断する。 12月8日を記憶せよ。
高村光太郎
もう一つ従軍慰安婦について
「従軍慰安婦及び強制連行問題における仮想問答集」と言うサイトがあります。
それには良いことが書いてあります。
しかし、アメリカの再三の挑発に乗って戦争を起こしてしまった事を悲しく思う。
イギリスの評論家が「先の大戦で一番の勝者はスターリンとルーズベルトである。彼らは日本に戦争を起こさせたのだから」と言っていました。
確かに日本はアジアで欧米諸国の植民地を解放しました。その一方で非道な実験、虐殺があった。最後にハリー・S・トルーマンによって止めをさされて。とても悲しい・・・。