弓道修行日記

このブログに、弓道修行する中で、学んだこと、考えたこと、試行したこと等を書き残し弓道修行の友とする。

弓道書は読むなーそれは弓術書である

2010-02-16 | Weblog
現代弓道は武道と言う人もいます。しかし、私は弓道は芸術と考えますので、射芸とか弓芸と言うべきではないかと考えます。

弓道を射芸と言っておられた先生がいた。と思って本を探すと出てきました。

故武市義雄範士が書かれた「射道芸術の探修」です。射道芸術と芸術という言葉を使われています。
その本の帯には「弓射は芸術であり、人間学である。」と書かれています。
なるほど射道とか弓射とか使われ弓道とは言われていない。そこに今の弓道は違う、という思いが有るのではないかと考えます。

本をめくってみると、線を引いたりメモ書きがしてあったり、私が以前読んで良く研究したあとがありますが、何が書いてあったかは忘れています。もう一度読まなければと思いましたが、私の弓道芸術論はこの本の影響だったようです。

武市範士は指導を受けた先生に唐沢光太郎範士、小笠原清信範士を挙げられ、巻頭の写真には本多利実本多流始祖、その弟子阿波研造範士、その弟子安沢東宏範士、阿波先生が教えを受けた無影心月流祖・梅路見鶯師となっています。唐沢先生、小笠原流、本多流、無影心月流・・弓術を主体にした流派ではないと言えます。

私も唐沢先生の弓道読本から芸術を考えたので、弓道射芸論の始祖は唐沢先生、その先には祝部先生、その先に、本多流の先生、その先に小笠原流が有ると考えます。

しかし、その先生方が弓道は芸術という意識を持っていたかというとそうではない。しかし芸術の方向を目指してはいたと言えると考えますが、その目指すところが、道とか、禅とか、礼とか、人間性とか、気迫とか、・・・芸術の一面をついてはいましたが、芸術だと言ったのは私の知るところでは武市先生と考えます。

ということで、弓道は弓術では無いのです。しかし単に弓術から弓道に名前が変わっただけの流派がほとんどです。

ということは、射芸の本としては武市先生の本、唐沢先生の弓道読本として、他の本は弓術書と考えて読むことです。特に日置流の本は弓術書と考えられます。また、弓道教本を読む場合も弓道の芸術論を考えた本ではないので留意が必要と考えます。

ですから弓道教本通りに引くのは五段まで(弓道教本を作成した先生方がそう言っていました(弓道30年史))、その後は・・・・弓道は芸術と悟った人、芸術的弓道はどうあるべきかが分かった人と考えます。

つまり、下手に弓道書を読めば下手になる可能性があるのです。

私は気迫の射がどうしたら可能かが課題でしたが、武市先生の本の212pに「気迫の錬成について」と言うのがありました。

勉強します。






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