中田英寿選手がドイツWCを最後に現役引退を表明した
彼は半年前から引退を決意していたという
彼は日本代表をドイツWCに導くために、代表選手達を叱咤激励していた
WC一次予選の試合において、彼だけが日本代表の中で全力でピッチを駆け回り、孤軍奮闘していた
この彼の行動が選手たち、スタッフ、そしてファンのみんなに「俺は一体何を伝えられることが出来るのだろうか」という想いにつながっていたのだろうと思う
残念ながら日本代表は一次予選を通過せずに敗退した
ブラジル戦が終わって完敗した後、すべてを使い切った彼がビッチ上でしばらく倒れていた時、彼はサッカーを始めた頃から抱いていた想い、すなわち、
サッカーを愛していたという想いを実感したのだと思う
サッカーを愛していたから、彼はどんな困難な状況でも常に全力でプレーできたのだと思う
その想いがこれまで抱き続けてきた彼の
“誇り”だったのではないだろうか
それが彼の歩み続けた
人生=旅だと思う
彼がプロサッカー界を引退しても、彼は旅先の路地で、草むらで、小さなグラウンドで、誰かと言葉を交わす代わりにボールを蹴るだろう。
彼は
サッカーボールというコミュニケーションを通して、子供の頃の瑞々しい気持ちを持ってという想いを世界中の人々に伝えたいのだと思う
それが、みんなの声を胸に、
誇りを失わずに生きていく新しい自分探しの
旅なんだと思う
今後、彼は
心の底からサッカーを愛しているんだ!!ということを伝えるために、彼は新しい自分探しの
旅=人生を歩んでいくと思う
私は一ファンとしてそう願ってやまない
(追記)
サッカーとは、神聖なるスポーツ(フェアープレーの精神)であると同時に、娯楽性のあるスポーツ(ゴールを決める楽しみ)でもある
サッカーは、蹴る、止めるという基本動作をもとに、いかに、心力、知力、体力の限りを尽くしてゴールを決めるかというスポーツである
そのためには、監督が立案した戦術・システムのもとで、選手達がプレーをし、サポーターがそれを応援をする
その意味で、サッカーとは、戦術・システムの上に個が成り立っているスポーツである
監督、選手、サポーターが一体になったとき、その強さ(勝利への闘争心、執着心)を発揮するスポーツがサッカーそのものであるということを(サッカーは11人、12人でするものではない、13人である)
それが人々の感動・ドラマを呼び、サッカーを愛する行為につながるものだと
その集大成が約80年の歴史を誇るサッカーワールドカップという祭典だということを
サッカーはその国の民族性・社会性を反映する鑑であるということを
中田英寿選手は、サッカーを愛する心力、知力、体力の備わった本当のプロサッカー選手であるということをドイツWCで身をもって証明したと思うし、それを日本の指導者、選手、サポーターに伝えたかったのではないのだろうか