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急行特急TH発日曜深夜夜話その3 続「僕」という自称について

2009年06月29日 01時34分40秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
Mind Feeling1005-1 「僕」と「私」と「俺」はどこでどんな風に使い分けられるのだろう?

という話を昨年2009年10月5日しているが、その話の続きみたいな感じで、眠れぬ日曜深夜にしてみたい。
「僕」という自称。未だもって私は、「人間が言葉として口にされる」事や「物語や曲という場面以外で活字化される」事に、抵抗がある。
使い分けについては、この記事を書き終えてからもずっと気になっていた中、先週、6月26日までに、記事を書いた後、2人の人に、改めて訊いた所、ようやく明確な答が返ってきた。
どうも「僕」という自称は、

「丁寧に物を言う時に使うもの」

という認識がある様だ。
それまでの、「その場のノリ」や「なんとなく」より明確な回答が得られ、良かった。やはり、

「‘‘僕,,という自称が公的場所で使われるもの」

という考えがどこかで息づいている感じがする。男性の一般的な自称であることに、認めたくはないが、なってはいる中では、自然な流れとして受け止められる。
しかし、なかなかそれをはっきりと言葉にされる事で、疑問が解決となったが、「‘‘僕,,という自称」イコール「公的な場で使って良い」ものと誤解されているのは、首を捻らざるを得ないが、それが正しいという形で流れてしまっている様だ。
確かに、「私(わたし、わたくし)」 という言い方は、「堅苦しい雰囲気」があるかも知れない。たとえそれが、「公的な場で使う自称」と定められていてもであるが、もっと使われて良いのではないか、と私は思う。
とは申せ、日本位なんだろうか?自称として、「わたくし」、「わたし」、「小生」、「ぼく」、「オレ」等と色んな表現があるのは。それだけ、日本語は豊かな物の半面、複雑で判りにくい面は否定出来そうに無い。また、数が多くあるが故に、「使い分け」に「混乱」が生じ、「境界すら曖昧になっている」となっていると私は考えている。

また、
Mind Feeling 0829-2 「〝僕〟という自称」も併せて読むと深みが増すかも知れない。
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