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向田邦子著『眠る盃』(講談社文庫 1982年)を読破

2015年11月15日 14時13分41秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59


私が生まれて1歳の頃に出た随筆集らしい。ただもとは、新書本か何かをにおわせるが、収録されていた話は、文庫本とは違う物に1970年代に発表され掲載されたものがメインで一部で60年代の物が交じっていて、そんな前だったの?と言う感じであった。中には、新聞に掲載された話もあり、道理で読み易い文体に成っているわけだ、と思えた。
この作品に収録されている、『字のない葉書』は中学時代の国語のテキストにあったもので、懐かしいと思えたが、実はその『字のない葉書』をもう一度読んでみたい――そんな思いで手に取った作品でもあった。
読んでいて、嘘と言う事はないのだろうが、こんな事ホントにあったの?と言うのがあった。それは、発表した随筆話に読者から手紙と言う形で連絡があったと言う。しかも電話まであったらしいが、一体どうやって作者の連絡先を知ったのだろうか?
収録されていた話の中に、ツルチックと言う名前の飲み物があったが作者が年齢的にかなり若い頃の話だったので正式名を知りたいと言う想いがあった事に読者から連絡があったり、ツルチックに近いものを贈って来たりがあったそうだ。
また、たまたま乗った電車の車窓で、ライオンを見たがあれは夢幻か?と言う『中野のライオン』と言う話に『新宿のライオン』と言う話がアンサーとなっていた。『中野のライオン』を読んだ読者から作者に、自分も見たと言う連絡があったり、ついには、そのライオンの飼い主からも連絡があったと言う、まだ、インターネットが普及してない時代だと言うのに、凄い事があったようで驚いてしまった。
作品のタイトルにも成っている『眠る盃』と言う話も入っているが、ちょっとした作者の聞き違いだったり思い違いだったりがあったりで、非常に人間的な感じがして良いなと思えた。
黒猫を飼っていた事もあったようで、名前が禄と言ったらしいが、まるでかつて親交が深かった知人宅の猫の名前みたいだな、と思えた。作者は、猫好きだったようだが犬も好きそうな感じがしたのは私だけだろうか?

『字のない葉書』を目当ての購入した作品であったが、こう言う作品が国語の教科書の載って、内容の理解度を試されるのはヤダナと思うのは、私が国語と言う科目が不得意だったからに他ならない。『字のない葉書』、悪い印象が無い作品で、家族愛のヒトコマを見る様な感じで良いなと思う。そんな良いなと思える作品が、作品とはまったく関係ない人物の手によって理解度を試させられ、「なんだ、面白いって言ってたのに内容理解出来てないじゃん」と言われると何か嫌である。せっかく気に入った話や物語が台無しになってしまうように思えるのは、単に国語と言う科目が不得意だったことから来る醜い物でしかない。

他方で、収録された随筆話が発表されてから40年が経過している現代で、収録されている話の場所・場面の想像が付き難いと思える私は劣等生なんだろう。この作品を自分が10代の頃に読んでも内容理解が行かなかっただろうから、この歳に成って読めて良かったなと思う。収録されている話の中に、今では忘れさられたような有名な事件が書いてあったが、その中身を知らないとポカーンとしてしまうことあるかもな、と思えた。

最後まで読み通して、この文章全体の感じがどこかで見たような――と言う感じがしたが、その感じも良いなと思えたのは何故だろうか?多分、この作品の作者のこの文章の感じがオリジナルなんだろう、と言う感じがして、出会えて良かったと強く思う。中には、笑ってしまうような話もあった。何もかも完璧ではなく、人間らしいちょっとした失敗なんかがあった事があって親しみを持てそうな感じの作者だなと思えたし、それぞれの話が先述の新聞をはじめ、雑誌に掲載されたのをみると、ある程度、「こんな感じの話を1本お願いします」と言う風な、ある種の「テーマ」をもってして書かれたのだろうか?と思えた。物語であっても随筆であっても、1本話を書くのは骨がおれるものだが、よくそう言うある「テーマ」に則した話が、作者が過ごした記憶の中に、あるものだなと思う。たとえ、脚色が加えられ、フィクションっぽくても、読んでいて楽しめる物が書けると言う才能は素晴らしい。
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