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捏造、更新さぼった8月3日

2007年08月03日 23時59分59秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
 8月3日だけ、更新さぼっている事は、8月4日のブログに書いたような気がする。何をしていたかは、しっかりとは覚えていないが、ちょっとした作業が長引き、ブログに書き込みするだけの力を無くしていたように記憶している。しかし、このブログのカレンダー上で、8月3日のみ空白となっているのも悔しいので、投稿した日付を捏造して、書いた事にしてしまいたい。なんと卑怯な事か…。ちなみに、これを投稿した正確な日付は、2007年8月14日のPM12時前のことである。
 
 アスファルトの上で、炎が燃え上がると、風を呼ぶらしいのだが、それと同じで、嘘を作り出すと形は違っても別の嘘が生まれ出し、ゆくゆくは、おおかみ少年の様に、「信頼をなくす」結果となる。
 何故、嘘をつくのか?嘘は悪と言われながらも、「嘘も方便」という言葉がある様に良い意味もそこにはあるとされていて、どちらが本当なのか解らない。しかし、それでも「悪」とみなされるのが「嘘」である。はっきり言い訳と言うが、統計上、人間はある一定の感覚時分において嘘をつくものである…という結果もあるそうだ。意思疎通、つまりコミュニケーションを円滑にする為ではないか…と私は勝手に思っている。
 一方で、「その場の窮地を逃れたいが為」に、嘘を私は使う様に思う。人間が出来ていない所がこう言う所で、露呈され、嫌われそうで恐いのだが、事実は事実。しかし、所詮は「その場をしのぐ」為にものであり、応急処置と同じなので、「完全完治」や「完全退避」は出来ないものであるのは言うまでも無い。一瞬の為に、それだけの力があるというのであれば、「継続的かつ永続的に何かを続ける事」に尽力する力もまたあるのではないか…とも思う。長い時間のが色々な意味で大切なのだが、一瞬もまた大切である。故に、その場をしのぎたくなる気持ちになるんだろうと思う。
 なんだか、両手を振り回して動揺している漫画像の様な私であるが、多分、日付を捏造している所から来る「罪悪感」だろうと思う。御見苦しいとは思うが、もう少しお付き合い願いたい。
 人間は文字通り(まるで金八先生のようだが)、人の間に生きる存在である。人なしで人は生きてはいけないもの、という事であるが、人が人の中で居られる為には、先述の「信頼」という2文字が重要になってくる。共に生きていく上で、共に支えあう(これも金八先生ぽいが…)上で、共に付き合うという上で、「信じる」という事が何よりも大切であり、これなしでは何も出来ない。群れをなす他の動物(例えば、ライオン、ハイエナ、象、猿等)では、そんな物が存在するのかしないのかは解らないが、少なくとも「同属が仲間を裏切る」という事はしない様である。それをするのが「人間」である。高度な知能によるもの…と言ってしまえばそれまでだが、それを果たして「高度」と言って良いのかどうかは解らない。善悪の基準によれば、である。
 嘘は人間の「醜さ」の1つだと思うのだが、では、真実一筋で生きていけるほど、強い心をもっているだろうか?感情に支配されてしまいがちな面もある人間は、そこまで強い存在とは思えない(少なくとも私はそうではない)。悪意味での「高度な知能」を持ってしまったが故の「副作用」と言っても良いだろう。
 殊に、インターネット上で、相手の顔が見えないので「嘘は簡単につける」のだが、そうなるとある意味「人間不信」にもなりやすくなる。故に、「確かな事」「偽りなき事」の2つを常に掲げて、「情報を伝播する」する必要がある。しかし、いくら本当の事を述べるとは言え、「誹謗中傷」の域にまで達する事はしてはならない。
 たかが(かなり重要か?)日付を偽る事くらいで、ここまで言い訳がましい話をしなくても良いのだが、気がつくと長々と書いてしまった。よっぽどの後ろめたさがあるんだな…と思いつつ、先行きが不安になる管理人急行特急THである。
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