篠原美也子のアルバム“STAY FOOLISH”(2017年)から、『答えのない悲しみを』(2017年)を聴いてみる。
その問い掛けは、本当に有効?と思う。答えは用意されていない、と言うのなら。
2005年の篠原美也子のナンバー、“only you”を、2005年のアルバム“us” から、聴いてみる
たったひとつひとりのアーティスト、今も歌っている。
篠原美也子の1995年のナンバー『2回目のさよなら』を、シングル『名前の無い週末』(1995年)のMEG-CDより聴いてみる。
さよなら、ならぬ、2回目のこんにちは、であるなあ、と思う終末の週末時。
篠原美也子の1995年のシングル『名前の無い週末』を、復刻音源的CDで聴いてみる。
充足しているのは、常に、誰かと誰かの廻りだけで、我はただ、終末の週末を行くのみ。
篠原美也子の2004年のナンバー『サヨナラ』を、アルバム『種と果実』(2004年)から、聴いてみる。
サヨナラに、価値を与えられる事もある。サヨナラの先の今に、空しい風が吹いたとしても。
1996年の篠原美也子のナンバー『前髪』を、セルフカバーアルバム“half moon”(2005年)から、聴いてみる。
シングル版のピアノパートの一部とギターパートの一部をそのまままピアノ化したのか…と今ごろ思うが、この色合いには、会えなさそうな、切られてしまった前髪である。
篠原美也子のシングル『誰の様でもなく』(1993年)より、『言わなきゃ』(1993年)を、聴いてみる。
旧い歌、忘れ去られてはいなくても、葛藤のバラードと言う側面ある1曲として、身近なものとしてありたい。
篠原美也子『今夜』(1993年)を、アルバム『満たされた月』(1993年)より、聴いてみる。
Rapid speedな夜になるのは、今夜ではない……気がする。
2011年の篠原美也子のナンバー“M78”(2011年)を、2011年のアルバム『花の名前』から、聴いてみる。
世に出て12年の歳月が経ても、このナンバーもずっとある。架空の星であっても、光を放つように。
篠原美也子の1998年のシングル“Still”(1998年)のMEG-CD版より、『淋しいのは』(1998年)を、聴いてみる。
復刻されても、遠いままの淋しさ…もあり、そして、この当時のアーティストの淋しさとはどんなだったのだろうか?とおもふ。