「肩を濡らして、雨は続く。雲は厚く空は見えず、どうにもならない事で泣きたくはない、雨は降り続く、けれど、朝は来る。けれど朝は来る。雨は続く――」
(篠原美也子『ひとり』1993年 より引用)
七夕夜が雨なのは当たり前、みたいな感じであるが。
古い歌を持ち出して何とする、な話であるが、最近になってこの歌について考えが浮かんだ。
この歌、篠原美也子のデビュー曲である所為だからなのかもしれないが、彼女がデビューと言う「朝」を待ち望んで描いたのかも知れない。
アマチュア時代が7~8年あったらしいので、デビューまでは、雨の降る夜みたいな希望を失うような事もあったのかもなとも思う。
他方、朝は夜の終わりであり、1日の始まりでもある。朝が希望の象徴なら夜は絶望の象徴なんだろうか?
絶望の終わりを願い、希望の始まりの朝が来ることを祈り願う。この『ひとり』と言う歌は、絶望の終わりと希望の始まりでもあるのだろうか?しかし、ただ絶望と言う夜が明けたにしても、必ずしもやってくる朝が晴れていて希望に満ち溢れる訳ではなく、そんな現実もしっかりと歌われている歌でもある。「汗をかいたドアに押しつけられて今日が始まる。寝不足のまぶたに生まれたての朝は眩しすぎる」と。雨朝が眩しいなんて感じることはないにしても、朝が来た、希望がやって来たその事は眩しいことなのかも知れないと不意に思う。
今更色々思い直してどうするよ、でもあるが、ふと、そんな事を感じたので形にしてみた次第。
七夕夜にして良い話かは微妙だが。