こんな夜更けまで運転されても、自分の家には帰れない都営5300形。列車使用料の調整の為とは言え、そのフレキシビリティには脱帽である。
誰もいないガランとした空間がある。ここは、ある団地の1階部分にある空間である。何の為に設けられたのかは解らない。
こんな場所であると、15年から20年くらい前だと、夜間になれば人知れず数人の人間がたまる場と化していたと思う。だが、今は、もうそんな姿は見られない。冬という季節柄からという話もあるが、この界隈に住む住民達の年齢が高年齢化し、若者世代が減っているからだと思う。また、あまり集まってどうこうしようというのもなくなりつつあるようだ。
夜な夜なこんな場所で、缶コーヒーでも買って、今の事、過去の事、これからの事、抱く想いを語り合うか、そっと愛を確かめあったりするのは、多分、本だけの世界だし、ありきたりな話ではあるけれど、ありきたりな話でさえ、現実とは案外程遠いものだと思う。
10代はとっくに終わり、20代の後半になりつつあっても私の心は、今もその頃とは大して変わってはいない。思えば、あの頃、そんなに「将来」 というまだ見ぬ時の話をしただろうか?していなかった。話していたのはいつも、今の話ばかりだった。物書きにシンガーソングライターに、ただなりたいという夢だけはあったけれど、そこに向かって動いた事は1度たりともなく、心のどこかで多分無理だなと思って諦めていたりした。
想いを吐き出して、何と無く夢が叶ったような叶わないような曖昧な気持ちを抱いているのは今も変わらない。
15~20年前は、どんな話しで盛り上がっていたのだろうか?
こんな場所であると、15年から20年くらい前だと、夜間になれば人知れず数人の人間がたまる場と化していたと思う。だが、今は、もうそんな姿は見られない。冬という季節柄からという話もあるが、この界隈に住む住民達の年齢が高年齢化し、若者世代が減っているからだと思う。また、あまり集まってどうこうしようというのもなくなりつつあるようだ。
夜な夜なこんな場所で、缶コーヒーでも買って、今の事、過去の事、これからの事、抱く想いを語り合うか、そっと愛を確かめあったりするのは、多分、本だけの世界だし、ありきたりな話ではあるけれど、ありきたりな話でさえ、現実とは案外程遠いものだと思う。
10代はとっくに終わり、20代の後半になりつつあっても私の心は、今もその頃とは大して変わってはいない。思えば、あの頃、そんなに「将来」 というまだ見ぬ時の話をしただろうか?していなかった。話していたのはいつも、今の話ばかりだった。物書きにシンガーソングライターに、ただなりたいという夢だけはあったけれど、そこに向かって動いた事は1度たりともなく、心のどこかで多分無理だなと思って諦めていたりした。
想いを吐き出して、何と無く夢が叶ったような叶わないような曖昧な気持ちを抱いているのは今も変わらない。
15~20年前は、どんな話しで盛り上がっていたのだろうか?