日日の幻燈

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招き猫発祥の寺(かもしれない)・豪徳寺

2014-12-29 | 江戸の面影

12月26日の「はじめの一歩。江戸文化歴史検定3級合格 」でチラッと書きましたが、豪徳寺に行ったんですよ、11月15日に。
ちょっと前ですが書き留めておきます。
発端は江戸文化歴史検定の「豪徳寺に縁のある動物な~に?」という問題。四択で犬、蛙、亀、猫から選択だったのですが、私が選んだのは(全くわからないけど)犬!正解は猫…。
なんでもその猫こそ、元祖・招き猫なのだとか…。
ならば、招き猫伝承の残る豪徳寺へ行ってみよう!ということで。

【豪徳寺山門】

豪徳寺はもともと臨済宗の弘徳院といい、1480年に世田谷を治めていた吉良政忠によって建立されました。戦国時代になってから曹洞宗の寺院となったそうです。江戸時代にこの地を領した井伊直孝が、この寺に猫に招き入れられたことが縁で井伊氏の菩提寺になり、直孝の法号(「久昌院殿豪徳天英大居士」)にちなみ豪徳寺と称することになった云々…だそうです。
井伊直孝は、徳川四天王として有名な井伊直政の子供ですね。直孝は猫に招き入れられたことにより、和尚のありがたい説法を聞けて感激したとか、雨に濡れずに済んだとか、それまで雨宿りしていた木の下を離れた直後にその木に落雷があり、難を逃れたことに感謝したとか…そのあたりが招き猫伝承として伝わっているようです。

【仏殿】

昭和になってから本堂は鉄筋コンクリートによって建て直されたとのこと。こちらの仏殿は1677年に建立され、昔の雰囲気を今に伝えています。

【三重塔】

もっと小さな、こじんまりとしたお寺を想像していた私は、その規模の大きさにビックリ。しかも立派な三重塔まである。これは小田急も各駅停車ではなく急行停車駅に格上げしないと…(?)

【井伊直弼の墓】

奥まった一画に彦根藩主井伊家墓所(国指定史跡)があり、そのさらに奥のほうに幕末の大老・井伊直弼の墓。小学生の頃、直弼の伝記(もちろん小学生向け)を読んでから、あまり悪い印象はないんですよね。でも図書館に井伊直弼の伝記を置いてあった小学校も渋い…と、今さらながらに思う。私の出身地は別に井伊氏と縁もゆかりもないのに。あ、「赤備え」か…。

【招福庵】

そしてこちらが招き猫伝承の核心(?)松福庵(招福庵)。招猫殿とも言われているようで、中にお祀りされているのは招き猫、いや招猫観音という観音様。豪徳寺では招き猫を招猫観音の眷属として「招福猫児(まねぎねこ)」と称しているそうです。

【奉納された招き猫】

豪徳寺では招き猫を販売していて、願掛けしてその願いが叶うと奉納するようです。絵馬みたいなものですね。ちなみに小判は抱えていないです。すごく素朴な招き猫です。

【リアル招き猫(?)】

お寺から出てすぐ、参道に出現した猫。のんびりと日向ぼっこでもしていたのかな。ここで猫に出会えるなんて、なんか縁起がいいぞ…と、思ってしまいます。

【世田谷城跡】

位置的に豪徳寺は、戦国時代の吉良氏の本拠・世田谷城の城内にあたるようです。すぐ近くに世田谷城址公園があるのでその位置関係もよくわかると思います。城の遺構は素人にはほとんどわかりません。若干、土塁が残っているとかいないとか…。まぁ、住宅街のど真ん中ですからね、仕方ない。


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