日日の幻燈

歴史・音楽・過ぎゆく日常のこと

「びくにはし雪中」の現在

2014-11-29 | 江戸の面影


歌川広重の「びくにはし雪中」。
江戸初心者の私が、今年初めて受けた江戸文化歴史検定3級の第1問目に登場。へぇ、これ、広重の浮世絵なんだ?びくにはしって何?…そんな感じで。
ということで気になったので、実際に行ってみました。現地現物。現状をこの目で確認。跡形ないのは百も承知。でも何かあるかな?


「びくにはし」は比丘尼橋か。なるほど。
空中を横切るのは高速道路。ちょうど江戸時代の川(京橋川)の上をなぞる様に通っています。この高速道路の西銀座JCT付近、ここが浮世絵に描かれた場所に相当するそうです。絵の右手、外濠にあたる部分はJRの線路。この辺り、東京駅と有楽町駅の中間地点です。
やはり広重が描いた当時を偲ぶものは見当たりませんでした。比丘尼橋も、橋が架かっていた京橋川もその痕跡はありません。
屋台を担いだ人物が歩いている道は現在の外堀通り。車の交通量の多さは言うまでもありません。歩道を行き交う歩行者もそれなりに多く、やはりここは現代の東京のど真ん中なんだなぁ…と実感。
浮世絵から滲み出てくる、どこか物寂しく、森々とした雰囲気は、平日の昼間ということもあり感じられませんでした。もう一度、雪の夜を狙って行ってみようかな?あ、でもきっと電車が止まって帰れないか…。


【天保14(1843)年 懐宝御江戸絵図(人文社)より】

【明治4(1871)年 東京大絵図(人文社)より】

あれ?微妙に比丘尼橋の位置が違う…。広重が描いたのは1858年頃らしい。時期的にはちょうど2枚の地図の中間。細かいことは気にしなくてもいいのかな…?

…でも気になる。どちらが本当の比丘尼橋だ?





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【music】「Dolls」 by Dark Lunacy

2014-11-27 | jukebox


Dark Lunacyはイタリアのデスメタルバンド。結成は1997年というからかなりのベテラン。といってもメンバーチェンジを何度も繰り返し、結成時のメンバーはバンドの中心的存在でボーカルのマイク・ルナシーのみ。
管弦楽を取り入れ哀愁を帯びたメロディアスな旋律が特徴…とよく評されているが、アルバムとしてはその管弦楽を排した「The Diarist」が個人的には抜きんでていると思う。このアルバムは第二次世界大戦時のドイツによるレニングラード包囲戦を基にしたコンセプト・アルバムで、ロシアに傾倒するマイク・ルナシーならではの作品。
アルバムとしての出来は「The Diarist」が秀逸だが、個々の楽曲という意味では今回紹介する「Dolls」だと思う。何度も繰り返され耳に残る弦楽器の旋律と、どこかノスタルジックで、それでいて狂気を孕んだようなPV。「オペラ座の怪人」をほんの少しだけ連想したりも…。このPVを手に入れるためネットを探し回り、ようやく中古CDを手に入れたのでした(すでに廃盤)。


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奈良茶飯、作ってみた

2014-11-26 | 日日の幻燈

奈良茶飯。
もともとは奈良の興福寺など寺院で食された料理だったそうです。
wikiによると
「少量の米に炒った大豆や小豆、焼いた栗、粟など保存の利く穀物や季節の野菜を加え、塩や醤油で味付けした煎茶やほうじ茶で炊き込んだもの」
…とはいいつつも、時代や場所で作り方は様々なようです。

江戸時代には浅草の茶屋で供され人気を博したとか。奈良茶飯に豆腐汁、煮しめ、煮豆などを添えて値段は50文。ということは今だと1,000円くらい。その後、流行に乗って各地に奈良茶飯を出す店が出来たようです。
私の地元(川崎市)の川崎宿では万年屋という一膳飯屋がこれで一躍有名となり大いに賑わったとか。「東海道中膝栗毛」では弥次さん・北さんも食べています。繁盛した店は飯屋から宿場を代表する旅籠にグレードアップ。
当時のベストセラーの「東海道中膝栗毛」や「江戸名所図会」に登場した万年屋、現代ならマスコミやネットで紹介された行列のできるラーメン屋みたいな感じ?


【奈良茶飯が名物の川崎宿・万年屋(江戸名所図会)】


ということで、奈良茶飯、作ってみました。
すべてを一から揃えて…となるとやはり手間暇かかって大変ですが、ここで手軽にできるアイテムとして登場するのが、こちら、「なら茶飯」(のもと)。


【「なら茶飯」のパッケージ】

要は炊き込みご飯の素みたいなもので、お米と一緒に炊き上げるだけ。東海道かわさき宿交流館のお土産コーナーで売っていました。万年屋の味が再現できるかな?ちなみに釜飯タイプも売っていましたが、こちらは持ち帰るのにちょっと重そう。


【りすにゃ家オリジナル「奈良茶飯御膳」】

・奈良茶飯
・茄子の味噌汁
・だし巻き玉子
・煮物
・蓮根のきんぴら
・お酒は「天狗舞」の濁り酒


我が家オリジナル「奈良茶飯御膳」の出来上がり。
本来は魚がベストのところ、今回はだし巻き玉子にて。
肝心の奈良茶飯のお味は…う~ん、豆の炊き込みご飯+赤飯+ほうじ茶が程よくブレンドされている感じ?味は薄味をイメージしていたのですが、そこまででもなかったです。同封のレシピ通り(レシピというか説明文)炊いただけでしたが、けっこう美味しい!

今となっては江戸時代の味を一般家庭で再現するのは難しい。
この奈良茶飯も現代風にアレンジされた味になっているでしょうし。
それなら、あとは自分たちでいかにして美味しく楽しく味わうかですね。

一から作ってみたい気もしますが、多分私には無理。永●園あたりから、簡単に出来る「奈良茶飯の素」でも出ないかな?


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幻想的ナイトアクアリウム

2014-11-25 | 日日の幻燈


江の島に行った目的は江島神社と、もうひとつ新江ノ島水族館のナイトアクアリウムを見ること。水族館に行くのは何年振りだろう。軽く10年は行っていない。

新江ノ島水族館は小田急の片瀬江ノ島駅から歩いて数分のところ。ナイトアクアリウムは7月20日から11月30日の間、17時から20時まで館内の照明を落としロマンチックな雰囲気のもとで、夜の水族館を楽しんでもらおうというコンセプトのようです。
なので、予想通りカップル、カップル、またまたカップル……。チケット売り場からして長蛇の列。




メインの大きな水槽を悠然と泳ぐ魚たち。闇と光のコントラストは確かにファンタスティック!
神秘的な海月のショー(ホールへは長い行列ですが、約10分間なので回転は速いです)や3Dを駆使した深海の物語の上映など、雰囲気を壊さずに凝ったつくりになっています。
館内は写真OKですがフラッシュ撮影はNG!




3連休の初日ということもあってなのか、小さな子供を連れた家族連れも多かったです。でも子供はだんだん疲れてきちゃったり、飽きてきちゃうのかな…。


ふたりで雰囲気に浸るのが目的なら、なかなかお薦めのスポット。
ただ、純粋に魚を見たいとか観察したいなら、やはり昼間のほうがよさそう。極端に明かりを暗くしているため水槽の説明文は読み取れない。海月ショーの行列も館内の壁に沿って並んでいるので、その部分の水槽はやはり見られなかった。
多分、水族館側も昼と夜の客層の違いを意識しているだろうから、これは仕方ないのか、と。


それにしても水族館、こんなに混んでいるのか。私が知らないだけでブームだったりする?



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はじめての江の島めぐり

2014-11-24 | 日日の幻燈

神奈川に住んでいながら、江の島に行ったことがなかった。
そんなわけで初めての江の島。

【小田急片瀬江ノ島駅】

はじめて降り立つ江の島。私は地元の駅から小田急一本で行けるので片瀬江ノ島駅。駅舎はご覧のとおり竜宮城をイメージ。


【広重の浮世絵に描かれた江の島】

幕末、歌川広重の浮世絵に描かれた江の島。作品名は「相州江乃嶋辨才天開帳参詣群集之図」というのだそうです。


【2014年11月22日江の島遠景】

で、こちらが平成の世の江の島。
江の島へ向かう大勢の人々、雰囲気は幕末と変わっていない。


【江島神社・青銅の鳥居】

江の島は、島全体が江島神社といった感じです。
この江島神社は辺津宮、中津宮、奥津宮の三社からなる神社で、創建は552年にまでさかのぼるそうです。552年と言えば、古墳時代の末期、飛鳥時代の直前。聖徳太子の誕生よりも少しだけ古い時代ということになります。由緒などに興味のある方は江島神社のホームページで調べてみてください。
この青銅製の鳥居は1821年に建てられたもの。広重の浮世絵が描かれたときには既に建っていたのですね。ちなみに、この鳥居は江島神社の三の鳥居。一の鳥居は遠く藤沢の遊行寺前にあったとのこと。そういえば、広重の東海道五十三次の藤沢に描かれてましたね…あれなんだ。
残念ながら一の鳥居もニの鳥居も現存しないのだそうです。


【江島神社・朱の鳥居と瑞心門】

朱の鳥居は1936年に寄進されたもので、その奥は瑞心門。


【江島神社・辺津宮(へつみや)】

普段運動不足の身には辛い石段をのぼっていくと、まず辿り着くのは源実朝が創建した辺津宮。祈祷などは辺津宮で行われるとあるので、ここが三社のうちでも中心的な位置づけにあるようです。


【江島神社・弁天堂】

江の島と言えば、サザン、サーフィン、弁天様。
辺津宮の隣にある弁天堂(正しくは奉安殿)に、その弁天様が祀られています。そう、裸の弁天様です。日本三大弁財天のひとつで、あとは広島の宮島と滋賀の竹生島の弁天様。でも、どれを三大弁財天にするのかについては異論もあるのだとか。
その裸の弁天様(妙音弁財天)、拝んできました。真っ白な肌、裸に琵琶を持つ姿、鎌倉時代の作品とは思えないほど綺麗で妖艶でした。その横には八臂弁財天。こちらも鎌倉時代の作。
江戸時代にはこの弁天様を見ようと観光客が押し寄せたとか。でも私が訪れたときは、ほとんどの人がスルー。
え?いいのかな?
ここまで来て有名な弁天様を見ていかないで…。


【江の島からの眺望1】

辺津宮をあとにして中津宮へ向かいます。その途中での眺望。横浜・東京方面です。


【江島神社・中津宮】

こちらは853年の創建。奈良時代です。江戸時代になって5代将軍綱吉によって再建されたとのこと。


【江島神社・中津宮の石灯籠】

江戸時代に奉納された石灯籠が境内に残っています。
左は台座部分に「江戸新肴場」とあります。新肴場は日本橋の魚市場に対抗して成立した新しい魚市場。江戸の魚市場というとすぐに日本橋の魚河岸を思い浮かべますが、実は4カ所にあったそうです(あとふたつは、四日市と芝)。
右は歌舞伎の市村座。中村座が奉納した石灯籠もあるそうですが、残念、そこまでチェックしませんでした。う~ん…返す返す残念。


【江の島からの眺望2】

中津宮から奥津宮へ向かう途中にて。突き出た岬(岩?)の合間に太平洋を望む。

【庚申塔】

中津宮から奥津宮に向かう道の途中。多くの猿が群れている様子から「群猿奉賽像庚申塔」という。台座の部分には蛇が浮き彫りになっている。写真ではちょっと見にくいかも。


【江島神社・奥津宮の鳥居】

三社の最後は奥津宮。正面の石造りの鳥居は源頼朝が寄進したと伝わる。


【江島神社・奥津宮】

かつては岩屋(島にある洞窟で江の島信仰発祥の地ともいわれる)が海水に浸される4月から10月まで、ここに岩屋の本尊が遷座したのだとか。1841年に火事で焼失、翌年に再建されました。


【江島神社・八方睨みの亀】

奥津宮の拝殿天井に描かれた亀。江戸時代、酒井包一によって描かれたオリジナルは社務所で保管され、現在天井で睨みをきかせているのは模写されたもの。どこから見てもこっちを睨んでいるように見えるそうだ。


【江の島からの眺望3】

奥津宮を出て岩屋へ向かいましたが、稚児ヶ淵でちょうど日没となりました。海に夕日はよく似合います。ちなみに岩屋は時間切れ。すでに閉門されていました。


石灯籠と夕日。これもまた江の島らしい乙な風景です。


富士山も見えました。普段は海に縁のない私なので、海と富士山の組み合わせは非常に新鮮な感じ。しかも夕日とセット…痺れます。


【岩本楼】

岩本楼はもともとは岩本院と称し江の島の寺社の総別当として勢威を振るったそうです。江戸時代には同時に将軍や大名の宿泊所も兼ねていたとのこと。明治の世になると、廃仏毀釈やらなんやらで寺院の部分は廃業(?)し、岩本楼と名を変えて旅館業に専念することに。由緒のある旅館なんですね。



そんなわけで、日没とともに江の島めぐりは終了。
江の島って、もっと若者向けのスポットかと勝手にイメージしていたので、島全体が神社っていうのは完全に予想を裏切られました。
それと観光客が多いのは想像通りでしたが、神社をめぐる若いカップルの多さにちょっと違和感。あ、でも恋愛成就を謳っているようなので、それはそれでありなのか…。
個人的には岩屋へ行かれなかったのが心残りでした。次回があるのかないのか定かではありませんが、そのときは是非に…と思いつつ、江の島をあとにしたのでした。