夏を避けて休止中だった甲州街道を歩く旅、いよいよ再開です。前回は八王子宿に入ったところまででした。
前回はこちら↓
【note】甲州街道・日野宿から八王子宿まで歩いてみた(5)-八王子宿へ到着!-
早く宿場へたどり着いて美味しいビールが飲みたい!という、今も昔も変わらぬ想いを抱きながら、高倉稲荷神社を後にして、いよいよ八王子宿へラストスパートです。【八王子...
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まずは八王子宿の概略を。
今の八王子市街地の原型となった八王子宿は、秀吉の小田原攻めで北条氏照が守る八王子城が落城後に出来た宿場町です。町づくりには、佐渡金山で有名な大久保長安が深く関わっていました。
八王子宿はひとつの宿場というよりも、街道沿いの15の宿(村落)が集合して宿場町を形成していました。そのため、八王子十五宿とか、中心だった横山宿の名を冠して横山十五宿とも呼ばれます。
「宿の往還およそ一里。残らず町並」と言われるほどで、内藤新宿と並んで甲州街道で1,2を争う規模の宿場町でした。
「甲州道中宿村大概帳」の記録によると
・本陣…2軒
・脇本陣…3軒
・旅籠屋…34軒
・問屋場…2ヶ所
・宿場の家数…1548軒
・宿場の人口…6026人
それでは、八王子宿を巡りながら、西へ向かいましょう!
【市守大鳥神社】
午前11時。
前回の終着地点、市守大鳥神社からスタートです。来月は酉の市で賑わう神社も、この日はひっそりとしていました。職人さんが境内の樹木の手入れ(?)をしていましたが、それも酉の市に向けての準備だったのかもしれません。
【市守大鳥神社前の甲州街道】
真っ直ぐ西(写真だと奥の方向)へ甲州街道が延びています。この交差点を左折するとJR八王子駅です。この辺りに、かつて宿場の東の木戸があったようです。
【本陣跡】
八王子十五宿の中でも最大の規模を誇る横山宿の中心辺り。八王子横山町郵便局が、かつての本陣跡といわれています。
【高札場跡】
横山宿と、西側に続く八日市宿の境界がこの八日町交差点。札の辻とも呼ばれ、江戸時代には高札場があったそうです。
西へは街道が延び、八日市宿、八幡宿、八木宿…と続きます。南へ向かうと(左折すると)、馬乗宿、寺町、上野原宿といった、十五宿の中でも街道から外れ、少々寂れた宿場へと。これらの集落は、メインストリート沿いの横山宿と八日市宿を支えた「加宿」という扱いでした。
尚、横山宿、八日市宿は「本宿」と呼ばれ、宿駅の業務はこのふたつの宿が交代で受け持ち、あとの13の宿場はこれを補佐・支援する「加宿」だったそうです。
【八日市宿の記念碑】
八王子十五宿の中で、横山宿とともに中心的な位置にあった八日市宿の記念碑。
明治以降、大火や空襲に見舞われた八王子市街では、江戸時代の宿場の痕跡は皆無です。この記念碑が、最近建てられたものとはいえ、宿場を偲ぶ唯一かもしれません。
ちなみに、江戸時代は八日市宿でしたが、現在は八日町で、地名から「市」の字は外されています。
さて、本来ならこのまま街道を西に進むべきところ、このあとちょっと寄り道を…ということで、いったん本道を離れ南へ向かいます。
今回、街道を離れて寄り道が多かったのですが、まずはその第一弾。それは次回にて。
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