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八王子の浅川に架かる大和田橋。ここに太平洋戦争時の八王子空襲の痕跡が残されています。
そもそも、八王子空襲とは?
昭和20年8月2日未明のアメリカ軍機180機による空襲のことで、死者は約450名、負傷者2000名以上、市街地の約80%が焼失したそうです。焼夷弾の投下量1600㌧は本土空襲としては3番目の多さだとか。
まさに八王子は焼野原になったということですね(橋に設置されている説明文、Wikipediaを参照しました)。
その痕跡が大和田橋に残っていることは、引越しした当初から聞いていましたが、今回、実際に見てきました。
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橋の北詰・南詰には爆撃による痕跡についての案内板が設置されています。
そして橋を渡っていくと、歩道にところどころ、菱形の色タイルがはめ込まれている場所があります。ここが焼夷弾の落下位置だそうです。
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車道にはその痕跡はありませんが、歩道部分については改修時に残そうということになったそうです。
そして実際の爆撃跡をそのまま残してある箇所があり、透明な板で覆われています。
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実際に見てみると、透明板は曇って水滴がついていて、明瞭に見えるわけではありませんが、それでも、当時の橋の一部と思われるものが確認できます。
色タイルが15個所、透明板が2箇所、合計17箇所が爆撃の痕跡として残されています。歩道部分の数から推定すると、車道を含めた橋全体では、50個以上の焼夷弾が落ちたのではないかと、橋に設置されている説明文にはありました。
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実は八王子の空襲について調べてみたのは、今回が初めてです。これほど大規模な空襲だったのですね。よく八王子「大」空襲という呼称を目にしますが、これは地元の人が誇張して言っているのだろう…と思っていました。
いえいえどうして、本当に大空襲。
八王子は古い宿場町と言われながら、市街地にそれを偲ぶものが残っていないのをちょっと残念に思っていましたが、これほどの空襲を受けてしまったら仕方ないのですね。