歴史・音楽・過ぎゆく日常のこと
日日の幻燈





「町歩きと語りで学ぶ大久保長安」、昼食をはさんで午後の部は「語り」です。会場は、まちなか休憩所八王子宿。

高尾山とんとんむかし語り部の会のメンバーによる、八王子宿を題材にした昔話。
演目は
■長安さまの町づくり
■とっくり亀屋
■とんがらし地蔵
■子喰い閻魔

「長安さまの町づくりは」は、八王子の成り立ち・大久保長安による町づくりを昔話風に語ったもの。「とんがらし地蔵」は、禅東院のとうがらし地蔵の伝承です。このふたつは、午前中に町歩きして見聞きしたばかりなので、頭に情景がすっと入ってきます。
「とっくり亀屋」は、八日市宿にあった旅籠についての伝承。噂によると、マンガ日本昔話でも題材になったとか。
「子喰い閻魔」は新町の一里塚付近にあったお堂に安置されていた閻魔様のお話。この閻魔様(なのか、新しく作られたのか…)、現在は新町会館に安置されているようです。実は、数年前から興味があるのですが、今のところご縁がなく…。
ところで、八王子は浅川の付近に閻魔様が安置されているところが他にもあるとこと(私はどこにあるか知らないのですが…)。町歩きの際に鈴木さんが「川を渡れば閻魔様」と仰っていたのも印象に残っています。


語り部の皆さんによる昔話の後、午前中の町歩きでの質疑応答の時間。私も以下、3点ほど質問しました。


【Q1】浅川の渡しの場所


江戸方面からやって来て、八王子宿に入る際の浅川の渡し(渡河点)は、どこだったのか?

【A】当時、橋は架かっておらず、旅人が歩いて渡ったり、無理な時は川越人足に渡してもらったり、水の少ない時期には仮設の板橋が設けられたとのこと。場所も、ここ!と決まっておらず、現在の大和田橋近辺の渡れそうな場所を選んで、ということだったそうです。


【Q2】成敗場(処刑場)の場所について


現在の大和田橋付近(八王子宿の江戸側入口付近)には、俗にいう江戸の三大処刑場のひとつ、大和田の処刑場があったと伝わるが、場所は特定できるか?

【A】処刑場は2か所あったのではないか?と推測している。浅川の河川敷と竹の鼻(八王子宿の入り口・新町)。


【Q3】御所水弁財天の水路について


御所水弁財天の川の水が、江戸時代には大久保長安の小門陣屋までめぐっていたと想定されるとのことだが、現在、その流れは確認できるのか?

【A】現在、御所水弁財天へ向かう参道は暗渠に蓋をしたかたちになっている。この暗渠が流れの跡(↓の写真参照)。かつては真ん中に水の流れがあり、その両側に社殿へ続く参道があったと思われるとのことでした。



もっといろいろと質問したかったのですが、時間に制限もあり残念。鈴木さん、たいへん丁寧にお答えいただき、ありがとうございました(面白みのない質問で申し訳ありませんでした…)。


その他にも、何人もの質問に答えていただきました。興味深い話が次々と。
長安と西洋の技術(キリスト教)とのつながり、石見土手のこと、江戸時代の浅川堤防の跡と思われる遺構のこと…などなど。
う~ん、時間が足りないなぁ。できれば、午前中に実地見学、午後は座学で詳細を。次回に期待します!

ん?次回?
そう、次回は浅川の治水をテーマに実施しましょうかね…なんて話が出ていました。
おお!絶対に参加したい!!

そんなわけで、たいへん有意義なイベントを企画していただいた「大久保長安研究会」「高尾山とんとんむかし語り部の会」「株式会社清水工房(揺籃社)」の方々に感謝いたします。



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