会計業界戦線 異常アリ

インターネットの登場によって、顧客の流動化が進む会計業界。このブログでは、会計業界の変化を綴っていければと思います。

リーマン破綻のドキュメント3/「自分達でリーマン問題を解決せよ」

2009-05-24 19:58:28 | 世界事情
引き続き、ニューズウィークの最新号より。


リーマン破綻のドキュメント3

崩壊を招いた「実行犯」とされたポールソン前財務長官が本誌に真相を激白。放漫経営に最後通牒を突き付けるまで/エバン・トーマス(ワシントン支局)


◆救済を信じたりーマン

リーマンは歴史ある企業だが、現代の社風はトレーダー出身でハイリスクの賭けが好きなファルドがつくったものだった。ファルドのあだ名は「ゴリラ」で、自分でもオフィスに玩具のゴリラを置いていた。

そして彼を突き動かしてきたのは常に、「われわれ(ファルドのような公立学校出身者)」対「奴ら(ポールソンのような知ったかぶりのハーバード大学出身者)」の対抗意識だった。

ポールソンとファルドは昔から知り合いで、ポールソンはファルドを「いい奴」、あるいは「友人」とさえ言う(ファルドは本誌の取材を拒否)。だがウォール街と政府の関係者によると、ポールソンはファルドを現実を見失ったギャンブラーとみていたという。

ポールソンは、リーマンが商業用不動産に無謀とも思える投資をした07年10月に、ファルドとリーマンの将来について疑問を持ち始めた。

08年6月になって赤字が表面化し始めると、リーマンのレバレッジ(自己資本のうちの負債の比率)を下げ、身売り先を見つけるか資本を増強するようファルドに要請した。だがファルドはリーマンに有利な条件に固執してポールソンをいら立たせたと、関係者は言う。

08年9月上旬になると、リーマン・ブラザーズの役員室は戦時の作戦司令室さながらの様相を呈するようになった。ファルドの将校たちが昼夜を分かたず歩き回り、ダイエット・コークをがぶ飲みしながら解決策を模索した。緊急性は日々、加速度的に高まった。

韓国の銀行が増資に応じそうに見えたこともあったが、その後手を引いた。それでも、ファルドとその部下は希望を持ち続けた。08年3月、大手銀行のJPモルガン・チェースは、連邦政府の融資を受けて投資銀行ベアー・スターンズを救済した。リーマンも買い手さえ見つければ、当然政府が助けてくれるはずだった。

9月10日にリーマンが08年6~8月期の決算見通しで40億ドル近い赤字を明らかにした2日後、連邦政府が動いた。9月12日の金曜日、ウォール街の投資銀行の幹部たちが緊急招集された。時刻は午後6時。黒塗りの高級車が続々と、ニューヨーク連邦準備銀行の要塞のような建物の前に乗り付けた。

中では、ポールソンとニューヨーク連銀のティモシー・ガイトナー総裁(現財務長官)が待っていた。ポールソンはウォール街関係者に言い渡した。納税者の金に頼るのではなく、自分たちでリーマン問題を解決せよ、と。

この時点でリーマン社内では、連邦政府に見捨てられると思っている人間はいなかった。ポールソンの脅しは、はったりにすぎないと高をくくっていたのだ。だがそれは見込み違いだった。法律上の制約により、しかるべき担保のない投資銀行に融資を行う権限が政府にはなかったのだと、ボールソンは後に説明している。

しかし、複数の元リーマン関係者(元株主に起こされた訴訟が決着していないことを理由に匿名を希望)によれば、法律上の制約についてはポールソンからもバーナンキからも1度も説明がなかったという。ボールソンがしきりに強調したのは、政府が救済すれば経営倫理の欠如を招くという点だったと、元リーマン関係者は言う。

ニューヨーク連銀の会合にリーマンが送り込んだのはバート・マクデード社長だった。CEOのファルドは、終わりが近づいていることを認めようとせず、懸命に身売り先を探していた。


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