会計業界戦線 異常アリ

インターネットの登場によって、顧客の流動化が進む会計業界。このブログでは、会計業界の変化を綴っていければと思います。

竹内総合会計事務所の竹内所長

2009-05-29 11:36:17 | 会計業界事情
昨日は、竹内総合会計事務所の竹内所長とオフィスでお会いしました。

浦和を拠点に、都内まで幅広い顧問先を持つ竹内先生は、今後はコンサルティング業務に力を入れていきたいとのこと。

コンサルティング業務に関しては、大阪のクライアントもいらっしゃるそうです。

ちなみに、現在浦和のパルコ内にある浦和コミュニティーセンターで、事業再生研究会を毎月開催されているそうです。

この会合では、「事業再生における合併・分割等の組織再編制度の活用」や「事業再生の事例」、「業績改善の事例」などのテーマについて研究されています。

メンバーには竹内先生以外の税理士、中小企業診断士からフードコンサルタント、銀行マンまで幅広い分野のプロで構成されています。

単価の低い記帳代行業務から、付加価値の高いコンサルティング業務への移行は、今会計業界に起こっている代表的な地殻変動です。

顧客ニーズが高い→サービス単価が高い→新規顧問先の獲得→会計事務所経営が安定するという流れをどう構築するか。

そういった情報も、今後は事例も含めて発信していきたいと考えています。


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リーマン破綻のドキュメント5/「月曜日には経済が存在していないかもしれません」

2009-05-25 00:13:42 | 世界事情
引き続き、ニューズウィークの最新号より。


リーマン破綻のドキュメント5

崩壊を招いた「実行犯」とされたポールソン前財務長官が本誌に真相を激白。放漫経営に最後通牒を突き付けるまで/エバン・トーマス(ワシントン支局)


◆学者議長が経済を救った

事態の重大性はポールソンも認識しているつもりだった。

しかしその後の展開を予測できた高官は1人もいなかった。リーマンが破綻した後、金融市場は壊滅的な打撃を被り、世界規模で銀行の取り付け騒ぎが起きる可能性すら現実味を帯びて見えた。

それを救ったのは、パーナンキFRB議長の素早い判断だった。

バーナンキはもともと世界恐慌が専門の経済学者。その研究を通じて学んだ一番重要な教訓は、一刻の猶予もなく連邦政府が手を打つべきだというものだった。

バーナンキはリーマン破綻後すぐにFRBの貸し出し条件を大幅に緩和し、金融機関に惜しみなく資金を供給。融資額は1兆ドルに達した。

「(ポールソンと)あなたには『融資相談係』というあだ名まで付いている」と、下院金融委員会のパーニー・フランク委員長はバーナンキに言った。

ポールソンとバーナンキのコンビで表舞台に立つのはポールソンの役目だったが、初めのうちはつまずいてばかりに見えた。パーナンキに説得されてポールソンは大規模な金融機関救済案を打ち出したが、議会の同意を取り付けるのは至難の業だった。当初議会は救済案を拒否し、株式相場が暴落した後でようやく、修正を加えさせた上で了承した。

議員たちを説得するという点では、尊大なポールソンより、丁重だがストレートに話すバーナンキのほうがいい仕事をした。下院が救済案を拒否したままの状態でナンシー・ぺロシ下院議長が週末にワシントンを離れようとしていたとき、月曜日まで戻ってこないと言うぺロシに対して、バーナンキは冷静だがきっぱりした口調で言った。

「月曜日にはもう経済が存在していないかもしれません」

ポールソンは、自分とバーナンキがマネー・マーケット・ファンド(MMF)の元本保証のために為替安定化基金の活用を決めるなどの対策を施し、世界の金融システムの全面崩壊を防いだことを誇りに思っていると言う。

「あのとき私たちが手を打たなければ、恐ろしいことになっていた」

リーマンの元トレーダーのなかにはバークレイズに移籍した人も多い。だが、職場のムードは昔とだいぶ違う。新しい職場では誰もネクタイなどしないし、トレーディングルームで1回10ドルで靴磨きをするブラジル人の少年たちもいない。ただしいまだに「こちらリーマン!」と電話口で怒鳴る声は時々聞こえる。

ポールソンが執筆中の回顧録は10月に出版の予定だ。リーマン破綻にはあまりページを割かず、経済を救うために政府が取った対策を強調することになるだろう。

ある意味で彼は正しい。

リーマン破綻がその後しばらくアメリカの政策当局者と金融業界関係者に強烈な精神的ダメージを与えたことは事実だが、それは危機の本質ではない。フットボール場を離れれば、ポールソンは「ハンマー」というより、むしろハンマーでたたかれるくぎのように無力な存在でもあったのだ。


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リーマン破綻のドキュメント4/「皆さんの責任は重大だ」

2009-05-24 23:13:55 | 世界事情
引き続き、ニューズウィークの最新号より。


リーマン破綻のドキュメント4

崩壊を招いた「実行犯」とされたポールソン前財務長官が本誌に真相を激白。放漫経営に最後通牒を突き付けるまで/エバン・トーマス(ワシントン支局)


◆幻に終わった破綻回避案

9月12日の時点でファルドが話を持ち掛けていたのは、商業銀行大手バンク・オブ・アメリカ(BOA)のケン・ルイス会長兼CEOだった。BOAならリーマンを買収するだけの体力がある。それに投資銀行業務で経験豊富なリーマンを傘下に収めることは、先方にとってもメリットがあるはずだとファルドは思っていた。

しかし、いつまでたってもルイスから返事が戻ってこない。日付が12日から13日に変わっても音沙汰がない。

「なぜ連絡がないんだ? 理解できない」とファルドは言い続けていたと、その場にいた関係者は言う。

実はこのとき、ルイスはウォール街の投資銀行と買収交渉を進めていたが、その相手はリーマンではなかった。マンハッタンの高層ビルの一室でルイスが密会していたのは、メリルリンチのジョン・セインCEOだった。メリルの財務状態はリーマン同様に深刻だったが、株式の個人投資家を顧客として大勢抱えている点がBOAにとっては魅力だった。

この日、ファルドが連絡を取れない重要人物がもう1人いた。ポールソンの居所が突然分からなくなったのだ(ファルドは「10分置きに電話してきた」と、このとき財務省にいた人物は言う)。

ポールソンとセインは2人ともゴールドマン・サックスの出身。ゴールドマン出身者同士で結託してリーマンのBOAへの「求婚」に横やりを入れ、BOAとメリルをくっ付けてメリルを救ったのではないかと、リーマンの元関係者の一部は疑っている。

本誌の取材に対し、ポールソンは陰謀の存在を否定する。セインとルイスの間を取り持ったのは事実だが、それはメリルも深刻な状況だったからにすぎないと言う。

BOAに会社を買い取ってもらう計画は実を結ばなかったが、ファルドは破綻回避を諦めていなかった。イギリスの大手商業銀行バークレイズとの交渉に、最後の望みを託した。9月14日の日曜日朝の時点では、バークレイズとの合意がまとまりそうだと思っていたリーマン幹部もいた。しかしこの買収話も結局、破談に終わった。

時間切れが近づいていた。14日夜、金融関係者や政府関係者との長時間の協議を終えて戻ってきたマクデードが伝えたのは、リーマンにとって非常に悪いニュースだった。政府は、この夜のうちに(つまりヨーロッパとアジアの市場が開く前に)リーマンが破産を宣言することを求めていた。証券取引委員会(SEC)のクリストファー・コックス委員長が電話してきて、リーマンの幹部たちに言った。

「皆さんの責任は重大だ」

幹部たちは愕然としていた。リーマンが破産すれば深刻な結果を招くことは明らかだった。リーマンに融資しているほかの大手金融機関にも打撃は及ぶ。


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リーマン破綻のドキュメント3/「自分達でリーマン問題を解決せよ」

2009-05-24 19:58:28 | 世界事情
引き続き、ニューズウィークの最新号より。


リーマン破綻のドキュメント3

崩壊を招いた「実行犯」とされたポールソン前財務長官が本誌に真相を激白。放漫経営に最後通牒を突き付けるまで/エバン・トーマス(ワシントン支局)


◆救済を信じたりーマン

リーマンは歴史ある企業だが、現代の社風はトレーダー出身でハイリスクの賭けが好きなファルドがつくったものだった。ファルドのあだ名は「ゴリラ」で、自分でもオフィスに玩具のゴリラを置いていた。

そして彼を突き動かしてきたのは常に、「われわれ(ファルドのような公立学校出身者)」対「奴ら(ポールソンのような知ったかぶりのハーバード大学出身者)」の対抗意識だった。

ポールソンとファルドは昔から知り合いで、ポールソンはファルドを「いい奴」、あるいは「友人」とさえ言う(ファルドは本誌の取材を拒否)。だがウォール街と政府の関係者によると、ポールソンはファルドを現実を見失ったギャンブラーとみていたという。

ポールソンは、リーマンが商業用不動産に無謀とも思える投資をした07年10月に、ファルドとリーマンの将来について疑問を持ち始めた。

08年6月になって赤字が表面化し始めると、リーマンのレバレッジ(自己資本のうちの負債の比率)を下げ、身売り先を見つけるか資本を増強するようファルドに要請した。だがファルドはリーマンに有利な条件に固執してポールソンをいら立たせたと、関係者は言う。

08年9月上旬になると、リーマン・ブラザーズの役員室は戦時の作戦司令室さながらの様相を呈するようになった。ファルドの将校たちが昼夜を分かたず歩き回り、ダイエット・コークをがぶ飲みしながら解決策を模索した。緊急性は日々、加速度的に高まった。

韓国の銀行が増資に応じそうに見えたこともあったが、その後手を引いた。それでも、ファルドとその部下は希望を持ち続けた。08年3月、大手銀行のJPモルガン・チェースは、連邦政府の融資を受けて投資銀行ベアー・スターンズを救済した。リーマンも買い手さえ見つければ、当然政府が助けてくれるはずだった。

9月10日にリーマンが08年6~8月期の決算見通しで40億ドル近い赤字を明らかにした2日後、連邦政府が動いた。9月12日の金曜日、ウォール街の投資銀行の幹部たちが緊急招集された。時刻は午後6時。黒塗りの高級車が続々と、ニューヨーク連邦準備銀行の要塞のような建物の前に乗り付けた。

中では、ポールソンとニューヨーク連銀のティモシー・ガイトナー総裁(現財務長官)が待っていた。ポールソンはウォール街関係者に言い渡した。納税者の金に頼るのではなく、自分たちでリーマン問題を解決せよ、と。

この時点でリーマン社内では、連邦政府に見捨てられると思っている人間はいなかった。ポールソンの脅しは、はったりにすぎないと高をくくっていたのだ。だがそれは見込み違いだった。法律上の制約により、しかるべき担保のない投資銀行に融資を行う権限が政府にはなかったのだと、ボールソンは後に説明している。

しかし、複数の元リーマン関係者(元株主に起こされた訴訟が決着していないことを理由に匿名を希望)によれば、法律上の制約についてはポールソンからもバーナンキからも1度も説明がなかったという。ボールソンがしきりに強調したのは、政府が救済すれば経営倫理の欠如を招くという点だったと、元リーマン関係者は言う。

ニューヨーク連銀の会合にリーマンが送り込んだのはバート・マクデード社長だった。CEOのファルドは、終わりが近づいていることを認めようとせず、懸命に身売り先を探していた。


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リーマン破綻のドキュメント2/アイビーリーグVS州立大学

2009-05-24 12:08:32 | 世界事情
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リーマン破綻のドキュメント2

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◆破綻の意味、理解できず

ポールソンは退任後初めての本格的なインタビューに応じ、決してリーマンを見捨てたわけではないと本誌に強調した。

「これほど多くの時間を費やして救済に努めた企業はほかにない。政府がリーマンをつぶしたがっていたと受け止められるのは皮肉だ」

リーマンの破綻が、金融パニックの引き金を引いたという議論も一蹴した。

「リーマンは(金融危機の)症状の一つにすぎない。それ以上のものであったかのような話は完全なフィクションだ」

リーマン一社の破綻よりも、多くの銀行や金融機関が同時多発的に経営危機に陥ったことが金融危機の原因だと、ポールソンは言う。政府系住宅金融機関の連邦住宅抵当公社(ファニーメイ)や連邦住宅貸付抵当公社(フレディマック)、米保険最大手のアメリカン・インターナショナル・グループ(AIG)、貯蓄貸付組合(S&L)大手ワシントン・ミーチュアルと、確かに挙げれば切りがない。

しかしだからといって、リーマン破綻のときにポールソンがその意味を理解していたことにはならない。恐らく、ポールソンほど当時の決断を繰り返し思い起こした人物はほかにいないだろう。

今にして思えばポールソンは、ウォール街の非情な権力者というより、自分では手なずけるどころか理解することもできない激流にのみ込まれて戸惑うきまじめな男だった。彼はよろめきながらも答えを求め、ベストを尽くした。

そんな彼を最後に救ったのは、投資銀行のディーリングルームに放り込まれたら、たちまち市場の餌食になってしまうような、おたくタイプの元大学教授だった。

議論の余地はあるものの、あの危機的な数週間に英雄がいたとすれば、それは大学教授からFRB(米連邦準備理事会)議長に転じたベン・バーナンキだろう。物静かで内向的だが、その問題解決能力と議会に対する説得力は、金融の完全な崩壊を防ぐ上で決定的な役割を果たした。

ダートマス大学でフットボールをやっていた頃、身長185センチ、体重91キロのポールソンは「ハンマー」の異名を取った。相手ディフェンスに突進するときの破壊力が、爆発さながらだったからだ。

彼のキャリアを特徴付けるのも、知力より粘り強さと意欲だ。強引さで知られ、経営手腕も十分だった。99年にゴールドマンの株式上場を成功させたポールソンは、仲間の共同経営者たちに数億ドルの儲けをもたらし、間もなく会長兼CEOとして頂点に立った。

それでいて、奇妙なほどに発言が不明瞭になるときがある。彼はいわゆる洗練されたウォール街タイプとは違う。

女優のような妻がいるわけでもなく(ポールソンの妻は大学時代のガールフレンドだ)、靴もイタリア製のオーダーメイドではなくカジュアルなローファーを履いている。週末にはロングアイランドの高級別荘地ハンプトンズに行く代わりに、イリノイ州の母親を訪ねる。

それでも迫力ある体格で押し出しが強い彼は、「ゴールドマン・ブランド」を象徴するのにぴったりだった。ウォール街のヒエラルキーでは、ゴールドマンは頭の良さと自信でトップに君臨する。

アイビーリーグ出身者が多いゴールドマンのエリートたちは、州立大学出身者やトレーダー上がりが多いリーマンなどを格下のばくち打ちのように見下している。


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