『麗子像』で有名な岸田劉生の展覧会が、現在損保ジャパン東郷青育児美術館で開催されています。
実は岸田劉生の先生は、私の先祖です。
生前祖母が、「今でも展覧会の案内が送られてくるのよ」と語っていた記憶があります。
展覧会の案内コピーは、こんな感じです。
岸田劉生(1891-1929年)は、ゴッホやセザンヌらの感化をうけて自己表現としての絵画をめざしました。しかし、じきに古典的な写実に変わり、風景、静物、肖像に忘れがたい作品をのこしました。写実への移行は、自画像とならんで手当たりしだいに友人を描いた時期におきています。自己表現のために「自分」を見つめれば見つめるほど、逆に「他人」も気になってくる・・・劉生の写実は、近代的な自己の意識に支えられていました。
のちに愛娘・麗子をくりかえし描いた劉生は、画家にとって人間の顔ほど興味深いものはないと語っています。人間の顔は、美の奥深い世界への入口だったのです。没後80年にあたるこの展覧会では、劉生の自画像と肖像画だけを約80点集め、人の顔を描くことを通して深化していく劉生の「写実の道」をたどります。
私も一時画家になりたいと考え、高校時代は美術部とサッカー部に所属していました。
石膏デッサンに明け暮れ、アトリエを買い、美大に入学したものの中退し、再度一般の大学に入りなおしました。
その野望は、別の形で今でも生き続けています。
◇あなたにぴったりの税理士を無料で御紹介致します
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のちに愛娘・麗子をくりかえし描いた劉生は、画家にとって人間の顔ほど興味深いものはないと語っています。人間の顔は、美の奥深い世界への入口だったのです。没後80年にあたるこの展覧会では、劉生の自画像と肖像画だけを約80点集め、人の顔を描くことを通して深化していく劉生の「写実の道」をたどります。
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