最新のクーリエ・ジャポン4月号に、マクドナルドの特集が掲載されていました。
「顧客満足の獲得」というビジネスの基本に立ち返り、「勝利への計画」という具体的アクションプランをもとにいかに復活していったかが手に取るようにわかります。
身近な商品だけに、興味深い事例だと思います。
不景気で「食ビジネス」はこう変わった
金融危機でも業績は絶好調
マクドナルドはなぜ売れる?
外食産業各社が苦戦するなか、日本でも過去最高益をあげるなど、マクドナルドの勢いが止まらない。90年代に不振に喘いだ同社の、「奇跡の復活」の秘密とは。
クリス・ワード(23)は、あまりマクドナルドに行かなくなった。夜食を買いたいときには営業博聞が終わっているからだ。
キャシー・フィリアン(32〕と彼女の友人キャロル・ミラノ(33)は、10代のころに
身につけたマクドナルド通いの癖を失っていた。大人になって、健康志向に目覚めたためだ。ラス・グリーン(47)もマクドナルドヘは行かなかった。理由はいろいろあるが、何よりも提供している食べ物が不健康と思うからだった。
だが彼ら4人はみな、ある朝、マクドナルドで列を作っていた。新メニュー、営業時間の延長、大型テレビや子供のためのTVゲームまで備えたまばゆいばかりの新型店舗だ。ワードは、夜中の1時まで営業するようになったので常連に戻ったと語る。いまや母親になったフィリアンとミラノは、子供たちをプレールームによく連れてくる。グリーンが渋々マックに通うようになったのは、スターバックスに比べてカフェラテが安く、より便利な場所にあったからだ。
マクドナルドが、肥満の元凶とそしられ、時代遅れとそっぽを向かれていたのは、そう遠い昔のことではない。
だが、より魅力的なメニューを揃えて拡大路線をちょっと控えめにしたおかげで、成長軌道に復帰してもう6年目。今日では、同社に対して最も懐疑的だった客さえ引き戻している。
◆驚くべき上昇株
経済が不振をかこち、外食業界全体が冴えないなか、マクドナルドは成長軌道を維持している。
最新の売り上げデータが公表されている2008年11月の時点で、同社は世界中の売り上げで55ヵ月連続成長を記録している。年間で株式市場全体が3分の1も下げたという大恐慌以来最悪の年に、株価も6%近くアップ。おかげで08年にダウ平均で株価の上がった、わずか2社のうちの1社になった(もう1社はウォルマート)。
投資会社ビクトリー・キャピタル・マネジメントでアナリストを務めるデビッド・コルパクは、02年から顧客にマクドナルド株を薦めてきたという。ジャック・グリーンバーグが、業績不振のあげくCEOを辞して以来である。
「それからずっと同社株を薦めています。同じ会社の株をこんなに薦めたことは、これまでに一度もありません」とコルパクは言う。
「驚くべき上昇株ですよ」
とはいえ、マクドナルドに対しての、栄養価での批判が収まったわけではない。そして景気回復の兆しが見えない今年は、さすがに難しい年になるのではないかと
も思われる。
「当社は景気後退に無縁なのかと聞かれます。そのたびに、そんなことはありません、ただ不景気に強いだけです、と答えています。ただ、不景気を超えた不況に対しても強いかどうかは、わかりませんが」
と、現在同社のCEOを筋めているジム・スキナー(64)は言う。
◆迷走から復活へ
90年代半ば、新たな競争相手が矢継ぎ早にあらわれ、消費者の嗜好が変わっていくにつれて、マクドナルドはアイデンティティを見出せなくなっていった。
何かを試しては、失敗続きの日々だった。
ピッツァにも手を出したし、トーストしたデリ・サンドイッチも提供した。チポトレ(メキシカン・ファストフード店)やボストン・マーケット(スーパーマーケット)のようなハンバーガー類以外のフランチャイズを買収したりもした。
マクドナルド本体のメニューもいじった。
バンズを焼くのもやめたし、ピクルスを替えてみたり、ビッグマックのスペシャルソースも変更したりした。だが、どれも空振りに終わった。その問マクドナルドはずっと出店を続け、その数は年間2000店にも上った。新店は売り上げには貢献したが、質の良い従業員の雇い入れや店員教育が間に合わなくなり、顧客サービスや店舗の清潔さは低下した。同時に既存店の売り上げは頭打ちになり、やがて低下し始めた。
「当社は最も大切なことから目をそらしてしまいました。すなわち、熱々で質の高い食事を、バリューな価格で、マクドナルドならではのスピードで提供することです」
とスキナーは言う。
そしてマクドナルドは、動物愛護運動家、環境保護活動家、栄養学者などからますます非難されるようになっていった。
米国人の肥満を「スーパーサイズ」のフレンチフライや炭酸飲料、そしておもちゃをおまけにしたハッピーセットで激化させた、と槍玉に挙げられたのだ。
こうしてふらついていたイメージにとどめを刺したのが、01年のベストセラ-、『ファストフードが世界を食いつくす」(エリック.シュローサー著、邦訳:草思社刊)だった。
02年には上場以来初めて、四半期決算ベースで赤字を計上し、株価も下がった。だが人気を博した、マクドナルドに批判的なドキュメンタリー映画『スーパーサイズ・ミー」が公開された例年には、復活劇はすでに潜行中だった。
そして現役時代はマクドナルドの海外展溺を指揮していた、敏腕の元社員ジェームズ・カンタルポが、暗黒時代の続く同社に引退中だった身を引き戻された。彼が任されたのは、マクドナルド復活への計画作りだった。
彼がとった戦略は、新たなフランチャイズを開いて客を捕まえようとするのではなく、既存店の顧客を強化するというものだった。
彼はさらに、社内向けマニュアルの改訂にも携わった。これは社内で「勝利への計画」と呼ばれており、たった1枚の紙にまとめられている。
今では社内で聖典扱いされているこの計画は、社の目標と、それを達成する
ためにどうするかの概略を述べたもので、いずれもが「5つのP」をめぐるもの。人(People)、製品(product)、場所(Place)、価格(Price)、そして販促(Promotion)である。
この「5つのP」はどことなくありふれた社内訓話風だが、同社の経営陣は、これが会社の方向性を“根底から変え、社員-CEOから店長にいたるまで-になすべきことの優先順位の枠組みを与えたのだと言う。
たとえば、祉の使命は「世界最高のクイック・サービス・レストランであること」から、「顧客が1番好きなレストランであること」に変わった。
この力点の変更によって、社員は単に、最も安く、最も便利な選択肢を顧客に提供することから、品質、サービス、そして顧客の店内体験に力点を移すことになった。
「勝利への計画」が導入された直後の数年問、店舗は改装され、場合によっては建て直された。米国では同社の売り上げの60%以上をドライブスルーが担っているが、より効率よく販売できるようにその設計も改めた。
営業時間も、朝食客向けにより朝早くから、深夜客向けにより遅くまでに変更した。いまや、米国内店舗の34%は24間営業だ。従業員教育も改善され、広告にも手が入れられた。それが「アイム・ラヴィン・イット」キャンペーンの骨子となった。
スーパーサイズ・メニューも廃し、サラダなどのより健康的なメニューを導入した。このおかげで健康面での批判は減った。マックナデットは白身のチキンだけに変更され、何の肉が使われているかわからないという都市伝説的ジョークに終止符を打った。
牛乳も、紙パックから小さな瓶へと容器を替えた。消費者調査も行い、消費者がどんなものを飲食しているかを調べ、嗜好の移り変わりに適合できるかどうかを検討した。すると牛肉の消費量は横ばいだが、鶏肉の消費は伸びていることが判明した。
そのためマクドナルドは「チキンに本腰を入れた」と同社の社長兼COO、ラルフ・アルバレスは言う。
マクドナルドはグリルド・チキン・サンドイッチなどチキンを使ったメニューを増やし、そして最近では、朝食用チキンなども出している。02年以来、同社でのチキン商品の売り上げは倍増した。今では、世界全体でも牛肉よりも鶏肉の仕入れのほうが多いくらいだ、とアルバレスは言う。
マクドナルドはまた、飲み物目当ての来店客も狙った。
同社の飲み物のメニューは数十年、代わり映えがしなかった。顧客はたいてい、ハンバーガーを買ったついでに飲み物を買っていた。「会議で言ったものですよ。『コンビニやらコーヒー店やら、飲み物を売りにしている店がさんざん出てきている。我々は出遅れているぞ』とね」とアルバレスは語る。
そこで同社は、コーヒーの改良に乗り出した。
より高品質な豆を仕入れるようにし、設備もより高級なものに変え、使用する水もフィルターで濾すことにした。顧客の60%が使うコーヒークリームまで、上質なものに替えた。そう、「マックカフェ」の誕生である。
プレミアムコーヒーを導入してから2年間で、コーヒーの売り上げは70%も上がった、とアルバレスは語る。
「勝利への計画」は,米国だけに限定されたものではない。海外市場については、おおむね現地生まれの社員に経営権を移譲するようにした。彼らのほうが、地元市場をよりよくわかっているからだ。
現在では、欧州市場が同社の利益の38%に貢献するまでになっている。
◆叩き上げのCEO
ジム・スキナーは04年11月からマクドナルドのCEOを務めているが、米国企業のトップによくある強権的で傲慢で全知全能を気取るタイプではない。
彼はアイオワ州の煉瓦積み職人の息子で、大学も出ていない。マクドナルドでは、ハンバーガー焼きの店員からキャリアをスタートした。食事も毎日店で摂る。好物はチーズとピクルスや玉ねぎ抜きのクォーターパウンダーだ。
スキナーは高校時代にしばらくマクドナルドでアルバイトをし、それから海軍に入隊した。やがて先輩の水兵に勧められて、マクドナルドを生涯の職場にすることを決意。海軍除隊後、71年に幹部候補生として入社した。着実に昇進を重ね、やがて欧州、アジア、中東、アフリカの業務を統括するようになった。CEOに着任する前には、副会長を務めていた。
「ここでは実績をあげなければならないんだ。たとえハーバードを出ても、いきなりよそからやってきて学歴だけで不戦勝というわけにはいかない」
スキナーら同社の経営陣は、米国の外食業界が非常に苦しい状況にあるにもかかわらず、09年の見通しも楽観している。米国市場がどうなろうと、マクドナルドは東欧や中欧など海外展開に大きな商機を見出しているからだ。
前出のアルバレスは、「勝利への計画」にともなう初期の変更のうちいくつかは、人々のマクドナルドに対する認識を変えさせ、再び店舗に呼び寄せるためのものだった、と言う。そして同社は、じっくりと人々の信頼を勝ち得ていった。「マックカフェ」のカフェラテもそうやって受け入れられていくのだろうか?もちろんです、とアルバレスは言う。
「大切なことは、『辛抱強く』ですよ」
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「顧客満足の獲得」というビジネスの基本に立ち返り、「勝利への計画」という具体的アクションプランをもとにいかに復活していったかが手に取るようにわかります。
身近な商品だけに、興味深い事例だと思います。
不景気で「食ビジネス」はこう変わった
金融危機でも業績は絶好調
マクドナルドはなぜ売れる?
外食産業各社が苦戦するなか、日本でも過去最高益をあげるなど、マクドナルドの勢いが止まらない。90年代に不振に喘いだ同社の、「奇跡の復活」の秘密とは。
クリス・ワード(23)は、あまりマクドナルドに行かなくなった。夜食を買いたいときには営業博聞が終わっているからだ。
キャシー・フィリアン(32〕と彼女の友人キャロル・ミラノ(33)は、10代のころに
身につけたマクドナルド通いの癖を失っていた。大人になって、健康志向に目覚めたためだ。ラス・グリーン(47)もマクドナルドヘは行かなかった。理由はいろいろあるが、何よりも提供している食べ物が不健康と思うからだった。
だが彼ら4人はみな、ある朝、マクドナルドで列を作っていた。新メニュー、営業時間の延長、大型テレビや子供のためのTVゲームまで備えたまばゆいばかりの新型店舗だ。ワードは、夜中の1時まで営業するようになったので常連に戻ったと語る。いまや母親になったフィリアンとミラノは、子供たちをプレールームによく連れてくる。グリーンが渋々マックに通うようになったのは、スターバックスに比べてカフェラテが安く、より便利な場所にあったからだ。
マクドナルドが、肥満の元凶とそしられ、時代遅れとそっぽを向かれていたのは、そう遠い昔のことではない。
だが、より魅力的なメニューを揃えて拡大路線をちょっと控えめにしたおかげで、成長軌道に復帰してもう6年目。今日では、同社に対して最も懐疑的だった客さえ引き戻している。
◆驚くべき上昇株
経済が不振をかこち、外食業界全体が冴えないなか、マクドナルドは成長軌道を維持している。
最新の売り上げデータが公表されている2008年11月の時点で、同社は世界中の売り上げで55ヵ月連続成長を記録している。年間で株式市場全体が3分の1も下げたという大恐慌以来最悪の年に、株価も6%近くアップ。おかげで08年にダウ平均で株価の上がった、わずか2社のうちの1社になった(もう1社はウォルマート)。
投資会社ビクトリー・キャピタル・マネジメントでアナリストを務めるデビッド・コルパクは、02年から顧客にマクドナルド株を薦めてきたという。ジャック・グリーンバーグが、業績不振のあげくCEOを辞して以来である。
「それからずっと同社株を薦めています。同じ会社の株をこんなに薦めたことは、これまでに一度もありません」とコルパクは言う。
「驚くべき上昇株ですよ」
とはいえ、マクドナルドに対しての、栄養価での批判が収まったわけではない。そして景気回復の兆しが見えない今年は、さすがに難しい年になるのではないかと
も思われる。
「当社は景気後退に無縁なのかと聞かれます。そのたびに、そんなことはありません、ただ不景気に強いだけです、と答えています。ただ、不景気を超えた不況に対しても強いかどうかは、わかりませんが」
と、現在同社のCEOを筋めているジム・スキナー(64)は言う。
◆迷走から復活へ
90年代半ば、新たな競争相手が矢継ぎ早にあらわれ、消費者の嗜好が変わっていくにつれて、マクドナルドはアイデンティティを見出せなくなっていった。
何かを試しては、失敗続きの日々だった。
ピッツァにも手を出したし、トーストしたデリ・サンドイッチも提供した。チポトレ(メキシカン・ファストフード店)やボストン・マーケット(スーパーマーケット)のようなハンバーガー類以外のフランチャイズを買収したりもした。
マクドナルド本体のメニューもいじった。
バンズを焼くのもやめたし、ピクルスを替えてみたり、ビッグマックのスペシャルソースも変更したりした。だが、どれも空振りに終わった。その問マクドナルドはずっと出店を続け、その数は年間2000店にも上った。新店は売り上げには貢献したが、質の良い従業員の雇い入れや店員教育が間に合わなくなり、顧客サービスや店舗の清潔さは低下した。同時に既存店の売り上げは頭打ちになり、やがて低下し始めた。
「当社は最も大切なことから目をそらしてしまいました。すなわち、熱々で質の高い食事を、バリューな価格で、マクドナルドならではのスピードで提供することです」
とスキナーは言う。
そしてマクドナルドは、動物愛護運動家、環境保護活動家、栄養学者などからますます非難されるようになっていった。
米国人の肥満を「スーパーサイズ」のフレンチフライや炭酸飲料、そしておもちゃをおまけにしたハッピーセットで激化させた、と槍玉に挙げられたのだ。
こうしてふらついていたイメージにとどめを刺したのが、01年のベストセラ-、『ファストフードが世界を食いつくす」(エリック.シュローサー著、邦訳:草思社刊)だった。
02年には上場以来初めて、四半期決算ベースで赤字を計上し、株価も下がった。だが人気を博した、マクドナルドに批判的なドキュメンタリー映画『スーパーサイズ・ミー」が公開された例年には、復活劇はすでに潜行中だった。
そして現役時代はマクドナルドの海外展溺を指揮していた、敏腕の元社員ジェームズ・カンタルポが、暗黒時代の続く同社に引退中だった身を引き戻された。彼が任されたのは、マクドナルド復活への計画作りだった。
彼がとった戦略は、新たなフランチャイズを開いて客を捕まえようとするのではなく、既存店の顧客を強化するというものだった。
彼はさらに、社内向けマニュアルの改訂にも携わった。これは社内で「勝利への計画」と呼ばれており、たった1枚の紙にまとめられている。
今では社内で聖典扱いされているこの計画は、社の目標と、それを達成する
ためにどうするかの概略を述べたもので、いずれもが「5つのP」をめぐるもの。人(People)、製品(product)、場所(Place)、価格(Price)、そして販促(Promotion)である。
この「5つのP」はどことなくありふれた社内訓話風だが、同社の経営陣は、これが会社の方向性を“根底から変え、社員-CEOから店長にいたるまで-になすべきことの優先順位の枠組みを与えたのだと言う。
たとえば、祉の使命は「世界最高のクイック・サービス・レストランであること」から、「顧客が1番好きなレストランであること」に変わった。
この力点の変更によって、社員は単に、最も安く、最も便利な選択肢を顧客に提供することから、品質、サービス、そして顧客の店内体験に力点を移すことになった。
「勝利への計画」が導入された直後の数年問、店舗は改装され、場合によっては建て直された。米国では同社の売り上げの60%以上をドライブスルーが担っているが、より効率よく販売できるようにその設計も改めた。
営業時間も、朝食客向けにより朝早くから、深夜客向けにより遅くまでに変更した。いまや、米国内店舗の34%は24間営業だ。従業員教育も改善され、広告にも手が入れられた。それが「アイム・ラヴィン・イット」キャンペーンの骨子となった。
スーパーサイズ・メニューも廃し、サラダなどのより健康的なメニューを導入した。このおかげで健康面での批判は減った。マックナデットは白身のチキンだけに変更され、何の肉が使われているかわからないという都市伝説的ジョークに終止符を打った。
牛乳も、紙パックから小さな瓶へと容器を替えた。消費者調査も行い、消費者がどんなものを飲食しているかを調べ、嗜好の移り変わりに適合できるかどうかを検討した。すると牛肉の消費量は横ばいだが、鶏肉の消費は伸びていることが判明した。
そのためマクドナルドは「チキンに本腰を入れた」と同社の社長兼COO、ラルフ・アルバレスは言う。
マクドナルドはグリルド・チキン・サンドイッチなどチキンを使ったメニューを増やし、そして最近では、朝食用チキンなども出している。02年以来、同社でのチキン商品の売り上げは倍増した。今では、世界全体でも牛肉よりも鶏肉の仕入れのほうが多いくらいだ、とアルバレスは言う。
マクドナルドはまた、飲み物目当ての来店客も狙った。
同社の飲み物のメニューは数十年、代わり映えがしなかった。顧客はたいてい、ハンバーガーを買ったついでに飲み物を買っていた。「会議で言ったものですよ。『コンビニやらコーヒー店やら、飲み物を売りにしている店がさんざん出てきている。我々は出遅れているぞ』とね」とアルバレスは語る。
そこで同社は、コーヒーの改良に乗り出した。
より高品質な豆を仕入れるようにし、設備もより高級なものに変え、使用する水もフィルターで濾すことにした。顧客の60%が使うコーヒークリームまで、上質なものに替えた。そう、「マックカフェ」の誕生である。
プレミアムコーヒーを導入してから2年間で、コーヒーの売り上げは70%も上がった、とアルバレスは語る。
「勝利への計画」は,米国だけに限定されたものではない。海外市場については、おおむね現地生まれの社員に経営権を移譲するようにした。彼らのほうが、地元市場をよりよくわかっているからだ。
現在では、欧州市場が同社の利益の38%に貢献するまでになっている。
◆叩き上げのCEO
ジム・スキナーは04年11月からマクドナルドのCEOを務めているが、米国企業のトップによくある強権的で傲慢で全知全能を気取るタイプではない。
彼はアイオワ州の煉瓦積み職人の息子で、大学も出ていない。マクドナルドでは、ハンバーガー焼きの店員からキャリアをスタートした。食事も毎日店で摂る。好物はチーズとピクルスや玉ねぎ抜きのクォーターパウンダーだ。
スキナーは高校時代にしばらくマクドナルドでアルバイトをし、それから海軍に入隊した。やがて先輩の水兵に勧められて、マクドナルドを生涯の職場にすることを決意。海軍除隊後、71年に幹部候補生として入社した。着実に昇進を重ね、やがて欧州、アジア、中東、アフリカの業務を統括するようになった。CEOに着任する前には、副会長を務めていた。
「ここでは実績をあげなければならないんだ。たとえハーバードを出ても、いきなりよそからやってきて学歴だけで不戦勝というわけにはいかない」
スキナーら同社の経営陣は、米国の外食業界が非常に苦しい状況にあるにもかかわらず、09年の見通しも楽観している。米国市場がどうなろうと、マクドナルドは東欧や中欧など海外展開に大きな商機を見出しているからだ。
前出のアルバレスは、「勝利への計画」にともなう初期の変更のうちいくつかは、人々のマクドナルドに対する認識を変えさせ、再び店舗に呼び寄せるためのものだった、と言う。そして同社は、じっくりと人々の信頼を勝ち得ていった。「マックカフェ」のカフェラテもそうやって受け入れられていくのだろうか?もちろんです、とアルバレスは言う。
「大切なことは、『辛抱強く』ですよ」
◇あなたにぴったりの税理士を無料で御紹介致します