すっかり有名になった、“心の響く”オバマの名演説。
そのスピーチの設計者の素顔が、明らかになります。
これも同じく、クーリエ・ジャポンから。
◆主席スピーチライター
珠玉の演説を生み出す、スタバ青年27歳の「夢」
―ワシントン・ポストUSA―
オバマの代名詞ともいえる、感動的なスピーチ。
その舞台裏には、一人の青年の献身的な努力があった。
ジョン・ファブロー Jon Favreau
1981年生まれ。米マサチューセッツ州ホーリークロス大学を主席で卒業。民主党のジョン・ケリー大統領候補のキャンペーン活動参加をへて、2005年に上院議員だったオバマのもとで働くように。大統領選挙中は、オバマの主席スピーチライターを務めた。史上2番目の若さで、ホワイトハウスの主席スピーチライターに就任。
その仕事は、たとえ誰からも見られる場所にいても気づかれないことが肝心だ。だから、ジョン・ファブローは、客足の多いスターバックスに行き、木製の椅子に座る。締め切りが迫っていて、その日の終わりまでに少なくとも半ページは書かなければならない。
エスプレッソマシンが唸るなかで、ファブローはラップトップを開き、「就任演説草稿」というタイトルの文書を呼び出し、バラク・オバマの人生の中で最も期待をもたれているスピーチの草稿にとりかかる。
大統領選挙戦の間、若干27歳のファブローは、スターバックスのコーナーテーブルに陣取り、最近の大統領候補たちの演説のなかで最も記憶に残るものとなった、いくつかの演説を執筆・編集した。
彼は史上2番目に若い主席スピーチライターとして、オバマ政権に名を連ねる。
彼はオバマが語るほぼすべての言葉を紡ぎ出すが、オバマとの息がぴったり合っているため、ファブロー自身の声が残ることはない。
オバマが勝利した後、ファブローの身近にもさまざまな変化が起こった。彼は、そうした雑音を追い払うように就任演説の執筆に打ち込んでいる。行き詰らないように、スターバックス、政権移行事務所、そしてワシントンでの新しい住まいのベッドルームへと、執筆場所を次々と移動する。
午前2時や3時まで執筆することもある。締め切りが迫ると一日16時間原稿にかかりきりになり、実家への電話や、洗濯、そして請求書の支払いを忘れる。
ファブローは11月にシカゴでオバマと会い、1時間かけて就任演説の内容について話し合った。大統領上級顧問に就任する予定のデビッド・アクセルロッドも同席した。彼らは重要な演説の前には必ずこうした時間を持つ。オバマは就任演説を15分から20分以内にするよう指示した。
「現在の米国の状況と建国時の理想に戻る必要性」というテーマに沿ったスピーチにすることで、意見が一致した。
就任演説を書くということには、執筆以上の大きな意味がある。
ファブローは、リンカーン記念塔までジョギングしたとき、そのモールに200万人が詰めかけ、彼の紡いだ言葉に耳をすます光景を想像して、走れなくなったそうだ。
「その意味の大きさを考えはじめると、身がすくむ」と彼は言う。
野球の審判のような仕事
ファブローは、オバマが1995年に出版した自伝『マイ・ドリーム』(邦訳:ダイヤモンド社刊)を肌身離さず持ち歩き、04年にオバマが行った有名な民主党大会基調演説をほとんど暗記している。短く洗練されたオバマの文章をマスターし、内省的で、思想的なバランスを保とうとするオバマの姿勢を身につけてきた。
ファブローの仕事は、「野球の審判のようなもの」だと同僚は言う。
それをじつにうまくこなしているため、誰も彼の存在を意識しない。ファブローは、オバマがオフィスで語る話を聞き、それをベースにして、歴史的な背景に富む洗練された比喩を紡ぎ出す。遊説中のオバマの演説を収めた録音を研究し、オバマが本題から離れた箇所をメモする。重複箇所を練り直して、次回に役立てる。
オバマとファブローは、4年間でこのスピーチライティングのプロセスを完成させた。
大抵の場合、オバマは演説の前にファブローと1時間ほど会って、言いたいことを伝える。ファブローはそれをラップトップに打ち込んで、最初の草稿を作る。オバマがそれに部分的に手を入れる。オバマのほうがライターとして上だとファブローは言う。
二人は大抵、最終原稿まで一緒に仕上げていく。ファブローにストレスが溜まっているように見えると、オバマはときおり励ましの言葉をかける。
「心配するな。女神が降りてくる時もあれば、こない時もある。一緒に考えていこう」
◇あなたにぴったりの税理士を無料で御紹介致します
そのスピーチの設計者の素顔が、明らかになります。
これも同じく、クーリエ・ジャポンから。
◆主席スピーチライター
珠玉の演説を生み出す、スタバ青年27歳の「夢」
―ワシントン・ポストUSA―
オバマの代名詞ともいえる、感動的なスピーチ。
その舞台裏には、一人の青年の献身的な努力があった。
ジョン・ファブロー Jon Favreau
1981年生まれ。米マサチューセッツ州ホーリークロス大学を主席で卒業。民主党のジョン・ケリー大統領候補のキャンペーン活動参加をへて、2005年に上院議員だったオバマのもとで働くように。大統領選挙中は、オバマの主席スピーチライターを務めた。史上2番目の若さで、ホワイトハウスの主席スピーチライターに就任。
その仕事は、たとえ誰からも見られる場所にいても気づかれないことが肝心だ。だから、ジョン・ファブローは、客足の多いスターバックスに行き、木製の椅子に座る。締め切りが迫っていて、その日の終わりまでに少なくとも半ページは書かなければならない。
エスプレッソマシンが唸るなかで、ファブローはラップトップを開き、「就任演説草稿」というタイトルの文書を呼び出し、バラク・オバマの人生の中で最も期待をもたれているスピーチの草稿にとりかかる。
大統領選挙戦の間、若干27歳のファブローは、スターバックスのコーナーテーブルに陣取り、最近の大統領候補たちの演説のなかで最も記憶に残るものとなった、いくつかの演説を執筆・編集した。
彼は史上2番目に若い主席スピーチライターとして、オバマ政権に名を連ねる。
彼はオバマが語るほぼすべての言葉を紡ぎ出すが、オバマとの息がぴったり合っているため、ファブロー自身の声が残ることはない。
オバマが勝利した後、ファブローの身近にもさまざまな変化が起こった。彼は、そうした雑音を追い払うように就任演説の執筆に打ち込んでいる。行き詰らないように、スターバックス、政権移行事務所、そしてワシントンでの新しい住まいのベッドルームへと、執筆場所を次々と移動する。
午前2時や3時まで執筆することもある。締め切りが迫ると一日16時間原稿にかかりきりになり、実家への電話や、洗濯、そして請求書の支払いを忘れる。
ファブローは11月にシカゴでオバマと会い、1時間かけて就任演説の内容について話し合った。大統領上級顧問に就任する予定のデビッド・アクセルロッドも同席した。彼らは重要な演説の前には必ずこうした時間を持つ。オバマは就任演説を15分から20分以内にするよう指示した。
「現在の米国の状況と建国時の理想に戻る必要性」というテーマに沿ったスピーチにすることで、意見が一致した。
就任演説を書くということには、執筆以上の大きな意味がある。
ファブローは、リンカーン記念塔までジョギングしたとき、そのモールに200万人が詰めかけ、彼の紡いだ言葉に耳をすます光景を想像して、走れなくなったそうだ。
「その意味の大きさを考えはじめると、身がすくむ」と彼は言う。
野球の審判のような仕事
ファブローは、オバマが1995年に出版した自伝『マイ・ドリーム』(邦訳:ダイヤモンド社刊)を肌身離さず持ち歩き、04年にオバマが行った有名な民主党大会基調演説をほとんど暗記している。短く洗練されたオバマの文章をマスターし、内省的で、思想的なバランスを保とうとするオバマの姿勢を身につけてきた。
ファブローの仕事は、「野球の審判のようなもの」だと同僚は言う。
それをじつにうまくこなしているため、誰も彼の存在を意識しない。ファブローは、オバマがオフィスで語る話を聞き、それをベースにして、歴史的な背景に富む洗練された比喩を紡ぎ出す。遊説中のオバマの演説を収めた録音を研究し、オバマが本題から離れた箇所をメモする。重複箇所を練り直して、次回に役立てる。
オバマとファブローは、4年間でこのスピーチライティングのプロセスを完成させた。
大抵の場合、オバマは演説の前にファブローと1時間ほど会って、言いたいことを伝える。ファブローはそれをラップトップに打ち込んで、最初の草稿を作る。オバマがそれに部分的に手を入れる。オバマのほうがライターとして上だとファブローは言う。
二人は大抵、最終原稿まで一緒に仕上げていく。ファブローにストレスが溜まっているように見えると、オバマはときおり励ましの言葉をかける。
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