引き続き、オバマのスピーチライタージョン・ファブローの第二弾です。
締め切りに追われる日々
二人は、04年に出会った。
上院議員に選出されたばかりのオバマは、スピーチライターを探していた。上院に初登院した日、オバマは当時23歳のファブローを上院のダイニングルームで面接した。30分ほど家族や野球といった当たり障りのない話題を続けてから、オバマは真面目な顔になった。
「それで、スピーチライティングに関して、君はどう考えているのかい?」
ぎこちない沈黙。ファブローは、ホーリークロス大学を卒業したばかりだった。ジョン・ケリー上院議員が03年に大統領候補に立候補したとき、ケリー陣営のアシスタントになり、午前3時から事務所に出て新聞の切り抜きを担当していた。卒業生総代として行った演説がスタッフのあいだで回覧されてから、彼はスピーチライティング部に配属され、持ち前の文章力から、やがてスピーチライティング部のトップになった。だが、スピーチライティングについて自分の考えをまとめる時間はなかった。彼はオバマを見つめ、直感のおもむくままに答えた。
「スピーチは、そのテーマに深い関心を持つ人の輪を広げることができます。傷ついている普通の人に、こんなふうに伝えることができます。私は、あなたの声を聞いている。私は、あなたと一緒にいる。たとえあなたがこれまでの政治にひどく失望して、皮肉な見方をしているとしても、そして、それも充分もっともなことではあるけれども、それでも、私たちは正しい方向に移ることができる。彼にチャンスをください、と」
それを聞いたオバマは、「君ならうまくやれるだろう」と言った。
ファブローは上院議員時代のオバマの事務所で2年以上働いてからシカゴに移り、大統領選挙戦に加わった。スピーチライターたちは狭いオフィスに集まって、文章を声に出し、一語ずつ熟考し、論じ合う。そして、突然、論説の全体像が見える。
オバマが昨夏、民主党大統領候補に指名されたとき、ファブローは党大会で行う受諾演説の草稿を書いた。オバマは方向性が欠けていると考え、手を入れた。原稿は15分ほど長くなった。ファブローは3日間、オバマの遊説に同行し、一緒に遊説を推敲した。演説が完成したのは、オバマが8万4000人の聴衆を前にして演壇に上がる、ほんの数時間前のことだった。
大統領選挙日、ファブローは二つの演説を書いた。ひとつは勝利演説。そしてもうひとつは敗北演説だ。ペンシルバニア州での勝利が確定して概ね当選が確実視できるようになった時点で、オバマはファブローに勝利演説の最終的な手直しを行うようにという指示を出した。変更箇所を聞き終わって、ファブローは言った。
「すべて良いと思います。もうひとつのほうを考えなくてすむよう祈っています」
結局、ファブローは18ヶ月以上、コンスタントに締め切りに追われる日々を過ごした。金融危機のときは朝の5時まで寝ずに翌日の演説を準備し、8時に起きて世論調査を見た。毎日、調査結果を見ずにはいられなくなっていたのだ。
彼はこの状態を「デイリー・クラック(毎日のコカイン)」と呼びはじめたという。
プレッシャーに押しつぶされそうになると、ファブローはほかの27歳の若者と同じような形で緊張をほぐした。オバマの事務所から友人にメールを送ったり、ビデオゲームに興じたり。精神的に追い詰められたときは親友のジョシュ・ポーターに電話した。
「疲れ切った声で夜中に電話をかけてきたことが何回かあったよ」
とポーターは言う。
新しい生活を前に
選挙が終わってから2週間後、ファブローは次期大統領の主席スピーチライターという新しい任務を受理し、新しい生活を始めた。
ワシントンに戻り、不動産業者と契約して、生まれてはじめてアパートメントを購入したのだ。発注した家具はまだ未開封で、9つの箱に入ったまま、壁際に並んでいる。ジーンズとセーターが好みだが、これからはもっと多くのジャケットとネクタイを買わなければならない。今年になっていきなり40歳になったようだと友人たちからからかわれた。
いったい、これからどうなるのだろう?
長い選挙期間中、ファブローを含むスピーチライター・チームはジーンズをはき、携帯メールで交信していた。スピーチを作るときは、狭い部屋に集まって、テーブルに脚を載せ、栄養ドリンクを飲み、夜中にデリバリーを注文した。
だが、ファブローやほかのスピーチライターは、これから個室のオフィスに移り、各自の部下を持つことになる。ファブローもあと4~5人のライターを雇うつもりだ。どのうちの数人は、外交政策に集中させる。だがファブローは、部下の管理をする自信がない。
「僕の強みは、組織管理力ではない」と彼は言う。
オバマの演説も進化するだろう。政策中心のものが増えるだろうし、多くの完了が一語一語の構成を練ることでさらに演説力も鍛えられるだろうとファブローは言う。
どんな展開になるとしても、自分が政治にかかわるのはこれが最後だとファブローは考えている。だが、「ほかの仕事はどでも、政治に比べたら拍子抜けするだろう」とも言った。ファブローはいつか、自分の声で、自分のためになにかを書きたいと思っている。
「脚本か、さもなければ、僕が経験した状況をベースにした小説かもしれない。僕には、選挙戦を一緒に戦ってきた仲間がいる。そして厳粛で重大なことと、馬鹿げたことが混じり合った日々を過ごしてきた。僕の世代の人間にとって、こんな形で成長するなんてこと自体、想像を絶することだった」
ジョン・ファブローの才能も凄いですが、やはり彼らの優れた才能を見抜き、高度な実務処理能力を持つチームを構築できるオバマの能力は卓越していると、つくづく感じさせられますね。
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締め切りに追われる日々
二人は、04年に出会った。
上院議員に選出されたばかりのオバマは、スピーチライターを探していた。上院に初登院した日、オバマは当時23歳のファブローを上院のダイニングルームで面接した。30分ほど家族や野球といった当たり障りのない話題を続けてから、オバマは真面目な顔になった。
「それで、スピーチライティングに関して、君はどう考えているのかい?」
ぎこちない沈黙。ファブローは、ホーリークロス大学を卒業したばかりだった。ジョン・ケリー上院議員が03年に大統領候補に立候補したとき、ケリー陣営のアシスタントになり、午前3時から事務所に出て新聞の切り抜きを担当していた。卒業生総代として行った演説がスタッフのあいだで回覧されてから、彼はスピーチライティング部に配属され、持ち前の文章力から、やがてスピーチライティング部のトップになった。だが、スピーチライティングについて自分の考えをまとめる時間はなかった。彼はオバマを見つめ、直感のおもむくままに答えた。
「スピーチは、そのテーマに深い関心を持つ人の輪を広げることができます。傷ついている普通の人に、こんなふうに伝えることができます。私は、あなたの声を聞いている。私は、あなたと一緒にいる。たとえあなたがこれまでの政治にひどく失望して、皮肉な見方をしているとしても、そして、それも充分もっともなことではあるけれども、それでも、私たちは正しい方向に移ることができる。彼にチャンスをください、と」
それを聞いたオバマは、「君ならうまくやれるだろう」と言った。
ファブローは上院議員時代のオバマの事務所で2年以上働いてからシカゴに移り、大統領選挙戦に加わった。スピーチライターたちは狭いオフィスに集まって、文章を声に出し、一語ずつ熟考し、論じ合う。そして、突然、論説の全体像が見える。
オバマが昨夏、民主党大統領候補に指名されたとき、ファブローは党大会で行う受諾演説の草稿を書いた。オバマは方向性が欠けていると考え、手を入れた。原稿は15分ほど長くなった。ファブローは3日間、オバマの遊説に同行し、一緒に遊説を推敲した。演説が完成したのは、オバマが8万4000人の聴衆を前にして演壇に上がる、ほんの数時間前のことだった。
大統領選挙日、ファブローは二つの演説を書いた。ひとつは勝利演説。そしてもうひとつは敗北演説だ。ペンシルバニア州での勝利が確定して概ね当選が確実視できるようになった時点で、オバマはファブローに勝利演説の最終的な手直しを行うようにという指示を出した。変更箇所を聞き終わって、ファブローは言った。
「すべて良いと思います。もうひとつのほうを考えなくてすむよう祈っています」
結局、ファブローは18ヶ月以上、コンスタントに締め切りに追われる日々を過ごした。金融危機のときは朝の5時まで寝ずに翌日の演説を準備し、8時に起きて世論調査を見た。毎日、調査結果を見ずにはいられなくなっていたのだ。
彼はこの状態を「デイリー・クラック(毎日のコカイン)」と呼びはじめたという。
プレッシャーに押しつぶされそうになると、ファブローはほかの27歳の若者と同じような形で緊張をほぐした。オバマの事務所から友人にメールを送ったり、ビデオゲームに興じたり。精神的に追い詰められたときは親友のジョシュ・ポーターに電話した。
「疲れ切った声で夜中に電話をかけてきたことが何回かあったよ」
とポーターは言う。
新しい生活を前に
選挙が終わってから2週間後、ファブローは次期大統領の主席スピーチライターという新しい任務を受理し、新しい生活を始めた。
ワシントンに戻り、不動産業者と契約して、生まれてはじめてアパートメントを購入したのだ。発注した家具はまだ未開封で、9つの箱に入ったまま、壁際に並んでいる。ジーンズとセーターが好みだが、これからはもっと多くのジャケットとネクタイを買わなければならない。今年になっていきなり40歳になったようだと友人たちからからかわれた。
いったい、これからどうなるのだろう?
長い選挙期間中、ファブローを含むスピーチライター・チームはジーンズをはき、携帯メールで交信していた。スピーチを作るときは、狭い部屋に集まって、テーブルに脚を載せ、栄養ドリンクを飲み、夜中にデリバリーを注文した。
だが、ファブローやほかのスピーチライターは、これから個室のオフィスに移り、各自の部下を持つことになる。ファブローもあと4~5人のライターを雇うつもりだ。どのうちの数人は、外交政策に集中させる。だがファブローは、部下の管理をする自信がない。
「僕の強みは、組織管理力ではない」と彼は言う。
オバマの演説も進化するだろう。政策中心のものが増えるだろうし、多くの完了が一語一語の構成を練ることでさらに演説力も鍛えられるだろうとファブローは言う。
どんな展開になるとしても、自分が政治にかかわるのはこれが最後だとファブローは考えている。だが、「ほかの仕事はどでも、政治に比べたら拍子抜けするだろう」とも言った。ファブローはいつか、自分の声で、自分のためになにかを書きたいと思っている。
「脚本か、さもなければ、僕が経験した状況をベースにした小説かもしれない。僕には、選挙戦を一緒に戦ってきた仲間がいる。そして厳粛で重大なことと、馬鹿げたことが混じり合った日々を過ごしてきた。僕の世代の人間にとって、こんな形で成長するなんてこと自体、想像を絶することだった」
ジョン・ファブローの才能も凄いですが、やはり彼らの優れた才能を見抜き、高度な実務処理能力を持つチームを構築できるオバマの能力は卓越していると、つくづく感じさせられますね。
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