栗太郎のブログ

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常陸・久慈の旅 いにしえの鉄と金をたずねて(2) 西金砂神社・東金砂神社

2007-09-21 17:40:39 | 見聞記 関東編

話は数年前のこと。
NHKスペシャルか何かで、山間の神社のお祭りを特集していた。
遠く数十km離れた海辺からやってきた神様の故事になぞらた、72年に一度というお祭りだった。
そんなの、人間、一生に一回しかお目にかかれない。今更後悔してもまさに後の祭りなのだが。←ウマイ!拍手!!


さて。
その神社というのが、西金砂神社。
(地図→http:// maps.go ogle.co .jp/map s?sourc eid=nav client& hl=ja&i e=UTF-8 &rlz=1T 4GZEZ_j aJP234J P234&q= %E8%A5% BF%E9%8 7%91%E7 %A0%82% E7%A5%9 E%E7%A4 %BE&oe= UTF-8&u m=1&sa= N&tab=i l)
ここはもうひとつ、東金砂神社と対になっている。西が女神で、東が男の夫婦らしい。

例の「磯出大祭礼」という祭りは4年前。
http:// www10.o cn.ne.j p/~yans aweb/ka nasaden gaku/ka nasa.in dex.htm
なんでも856年にはじまったお祭りで、今回が17回目だったとか。
久慈川河口近くの日立水木浜にから神様がやってきたという故事を再現しているらしく、50km以上の行程を一週間かけて練り歩くのだそうだ。
例のSオジサンもこのとき見に行ったらしいのだが、行列の姿も分からないくらいの人出だったと言っていた。

ここは、山頂近くまで車で行ける。
拝殿でお参りして、更に上の本殿へ。
大木の根っこが剥き出しになるくらい、人が通っているのかな?




やっと本殿。





眺めが素晴らしい!




でも、なんでこの地を選んだのかな?と疑問だったのだけど、帰りに社殿のある場所を振り返って気が付いた。

社殿が岩盤の上にある!!





そうか、かつて巨石崇拝していた原住民(この地の蝦夷)の聖地を、よそ者が占拠したってことなのかな?
おまけにここは金砂郷って言うくらいだから、金が取れる里ってことでしょ?
ここからずっと北の先の陸奥で初めて金が取れたのは、お祭り第一回の856年より100年以上も前のこと。
金の存在に気が付いてもおかしくはないんじゃないのか?



とかなんとか妄想(つまり確証はない)しながら、麓の「そば工房」で早めの昼食。
ここ金砂郷は、何を隠そう蕎麦で有名。

こんな蕎麦畑がたくさん。




いやむしろ蕎麦しかない、のだ。
こんな痩せた斜面でとれる農作物は限られている。

頼んだのは、旬菜天ざる、海老天ざる、さしみこんにゃく。

 旬菜天ざる。




さすがに、美味い。・・・が、1000円なら美味くて当然。

オバサンにちょっと聞いてみた。
『金砂郷って言うくらいだから、やっぱ金がとれるんですか?』
「あ~...。とれると言ったら・・・」
『え?とれると言ったら!?』
「そうねえ、蕎麦だねぇ。」

ガックシ。><
あのね、聞きたいのはそれじゃないのよ...。


気をとり直して、東金砂神社へ。
(地図→http:// maps.go ogle.co .jp/map s?sourc eid=nav client& hl=ja&i e=UTF-8 &rlz=1T 4GZEZ_j aJP234J P234&q= %E6%9D% B1%E9%8 7%91%E7 %A0%82% E7%A5%9 E%E7%A4 %BE&oe= UTF-8&u m=1&sa= N&tab=w l)
ここもすぐそばまで車で行ける。

 石段の上に本殿。




西ほどの驚きはなかったが、ここの社殿も格式を感じる良さがあった。

 ここからも眺め良し。



全国各地に行くと建物が対になっているのはよくあるが、この二社は、なんだか金の出るこの地域のゲートの役割をしているように思えてきたのは気のせいだろうか。
結局僕は、金砂郷の地名の由来を確認できず、モヤモヤはハッキリと晴れなかった。
しかも、帰って来てから近くに資料館があったことに気付く醜態。
モヤモヤは悶々へとグレードアップしてしまった...。


そのあと。
水戸のご老公、徳川光圀でおなじみの「西山荘」へ。




旧主・佐竹の本拠地に住まいを構えたのも、残党の押さえの意味合いが強いのだろうと思う。
ほんで、断っておきますが、僕は黄門様嫌いです。
でもまあ、近くに来たしってことで寄ったのです。

正直、時間の無駄だった。

これみよがしの質素倹約。
さしてみるべきものもない。
簡素の極致の隠居宿。
酷評させてもらえれば、権力者の貧乏プレーですなこれは。
なにせ、受付には国立博物館「大徳川展」のチラシがある。
結局派手なんじゃん!!って印象がぬぐえない。

こんなこと思うのも、やっぱり幕末の火種を蒔いたのはこのジイサンだって思ってるから。
そもそも、長州の尊王思想の本家本元は水戸だしね。
徳川家は身内に獅子身中の虫を飼っていたわけだ。
幕末の恨みになると話が長くなるので、今日のとこはこの辺でお開きに。


でもね、まだまだ続くんだよね~。



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