栗太郎のブログ

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六月の津軽の旅(4) 弘前の夜と朝

2011-07-11 23:14:03 | 見聞記 東北編

弘前の街に着いたのは夜の8:00。
ホテルのフロントに頼んでおいた部屋は「なるべく高くて、お城側で」。
そのリクエスにじゅうぶんの、5F西向きのシングルルームの窓からは、暗闇のかたまりとなっている弘前城の森が見える。
朝になれば、この風景の一番向こうに岩木山が見えるはず。
僕は心弾ませながら食事に出掛けた。

行った先は、ホテル近くの、郷土料理の店・杏。
ここでは、津軽三味線の生ライブが間近でみれるのだ。
予定時間少し前、師匠の多田あつしさんと、お二人の女性のお弟子さんがやってきた。
みな青森の方かと思いきや、おひとりは愛知のご出身で、弘前大にやってきてそのまま三味線の魅力につかれてここに住み着いてしまったらしい。
三人が奏でる津軽三味線は、さすがに音圧というか、気おされる空気が心地良い。
そして、情念の音楽を感じさせるその音色は、すこぶる多彩。
僕にも素人程度のギターの心得はあるけれど、その手さばきはどこでどう出してる音なのか、目がついていけない。
ハンマリング&プリングで音を重ねていくと思えば、ベースのチョッパーばりの迫力で裏打ちのリズムを刻んでいく。
はじめてTVで押尾コータローをみたときのような、驚きと興奮の30分だった。
演者にとってもこれは麻薬のような快感なのではないだろうか。これなら、惚れ込み、のめり込むのもうなずける。
津軽三味線を生で聴いてやはり感じたのは、北国の楽器だということ。南国のような弾ける陽気さとかじゃない。
内に溜まっている悲しみや苦しみが、ほんのちょっと弦を弾いただけでその音に乗り移って一気にほとばしるというか。
地吹雪吹き荒れる厳寒の季節なら、なおそのアンサンブルは格別だったかもしれない。
いい時間を過ごせたという思いで、津軽の風土にあったソウルミュージックを堪能した夜だった。


翌朝、6:00に目が覚めた。
窓の外はどうやら、今日もうす曇の空。一番向こうにいるはずの想い人は姿を見せてはくれなかった。
弘前城の開門は9:00から。それまでの時間、市内をぶらぶらしながら、のんびりスケッチができるのを楽しみにしていた。
フロントで自転車を借りた。乗りだすと、朝の空気が頬を引き締めてくれる。
すると、キンコン、カンコン~♪とどこかから鐘の音が聞こえてきた。
誘われるように行き着いた場所は、弘前昇天教会だった。
時刻は6:30。鐘を鳴らす時刻に居合わすなんて超ラッキー。鐘の余韻を感じながら、教会を描く。

 昇天教会




そのあと、最勝院の五重塔へ。
津軽三代藩主・信義が、寛文7(1667)に建立。高さ31.2m。
姿の美しい五重塔である。国の重要文化財。



スケッチは五重塔のほかに、弘前城築城400年記念マスコットの「たか丸くん」と、初代藩主津軽為信。




弘前は物持ちがいい街で、明治初めの洋館が他にも残されている。
旧東奥義塾外国人館と、旧弘前市立図書館。






そうこうするうちに、時刻は9:00を過ぎた。

僕は、25年振りの弘前城にやってきた。
戦国時代に夢中だった学生時代、この城を初めて目にしたときの落胆は忘れていない。
しょせん、たかが櫓にしか見えず、「これでよくも天主といえたものだ」と。
しかしこの歳になって再会した弘前城は、とてもおしとやかで可憐だった。
その感情の違いは、弘前城が変わったんじゃなくて、この25年で僕が変わったんだと思う。
そのことがいいことか悪いことかはどうでもよく、訳もわからずにうれしくて、橋の上からじっとお城を眺めていた。

 まずは知り合いに絵ハガキを。


懐かしさに心浮かれ、入場券を買って天主閣に登ってみた。
だけど残念ながら、城内の展示物も外の風景をみても、当時の記憶は全然よみがえってこなかった。
本丸西側の柵の前に立ってみた。
やはり岩木山は見えなかったし、当時見たはずの岩木山も、全然思い出せない。
まるで、すれ違いざま呼び止められて、知り合いだと名乗る人から「久しぶり」と言われても誰だか思い出せなくてピンと来ない、
なんだかそんな感じだった。
古い記憶は消えていくものなのだなあと、半分悲しい思いになってきた。
もしや、さっきお城に見惚れていたのは、懐かしいからでなく、ほとんど初体験に近い新鮮さだったからなのかとさえ思えてきた。

そんな寂しい思いを引きずりながら、受付の前を通り過ぎようとして挨拶を何気なく交わしたとき、ふと、さっき手にした入場券の図柄が頭をよぎった。
後ろ髪を引かれる思いで数歩先で立ち止まった僕は、後戻りして尋ねてみた。
「あのう、もしかしてこの入場券の図柄って、20年以上前とおなじですか?」
中の女性はささやかに微笑んで、「おなじです」と応えてくれた。
「私もう、その頃からここで働いていましたから」と、今度はご自分の歳を白状してしまったかのような恥らいをみせて微笑んでくれた。

僕はこの笑顔が見れただけで、弘前城に来た甲斐があったと思った。



うちに帰ってきてからこと。
かつて学生時代にまとめたファイルに貼り付けた入場券を見つけた。
上に置いたのが2011年現在の入場券。下が昭和61年度(1986)とあった。ほとんどおなじで嬉しかった。

 


 六月のこの日。桜の木は、青々とした新緑だった。



(つづく)








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※追記 

私信 タキガワ君へ
ときたま読んでいただいているようでありがとうね。
僕は元気でやってます。こちらから何の音沙汰もなくすいませんです。
でもって、ここでお返事させていただくこと、ご了承ください。
スケッチの色つかいがくっきりとなってきたとのこと、実は最近はスキャナーで取り込んでるんですよ。
なので、影もなく鮮明なのですが、かえって発色がよすぎるきらいがあるみたいです。
また、紙質の風合いが伝わらなくなっているような気がしてます。
ちなみに、デジカメで撮ったのが↓です。



ずいぶんとちがうでしょう?
こちらだとちょっとボヤッとしてて、いまいちピンと来ません。
でも、スキャナーだとハッキリしすぎで、どうもうまくいかないようです。
実物にちかく、もう少し淡めの色彩で載せたいのですが、安価なスキャナーの限界かもしれませんねえ。

気が向いたら、また電話でもください。ではまた。


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