栗太郎のブログ

一人気ままな見聞記と、
手づくりのクラフト&スイーツ、
読書をしたら思いのままに感想文。

三陸ふたり旅(3) 姉吉・山田・大槌

2012-11-08 02:07:18 | 見聞記 東北編

震災後、よくメディアで紹介されていた「大津浪記念碑」を探しに行った。
本島最東端のトドが崎灯台のある重茂半島の、細い細い山道を、いくつもの山を越えてようやくたどり着いた狭い谷間にちいさな集落に、その碑はある。
手持ちの地図では不明瞭な場所なので、携帯のgoogleマップをナビ代わりに「姉吉」の集落を目指したのだが、これが予想以上に遠かった。



数軒の住宅を通り過ぎたあと、左側の山の斜面を注意して走るとあるのだが、案内板があるわけでもなく、あやうく見落としそうになる。
振り返ると、住宅は碑のずっと先にある。怖がってこの辺には家を建てなかったって印象を持った。
それが、今回の被害なしにつながったのだと思えば、先人はうれしく思っていることだろう。







碑には、こう刻まれている。

『 高き住居は
   児孫(じそん)の和楽 
  想へ惨禍の
       大津浪
  此処より下に
     家を建てるな 』

『 明治廿九(二十九)年にも
  昭和八年にも 津
  浪は此処まで来て
  は全滅し 生
  存者僅かに前に二人
  後に四人のみ  幾歳
  月経るとも要心あれ 』



碑をあとにして、海に出てみた。
曲がりくねった谷を下って見えてきた目の前の海は、狭い入り江の向こう。
写真の右手の駐車場(キャンプ場か?)まで、碑からおよ800mあった。




下ってきた道を振り返って見る。
岩肌がむき出しの高さまで、津波に襲われたのだろう。






戻る途中、海から700mの場所に、真新しい石碑が建っているのに気付いた。
逆算してみれば、昭和に建てられたさっきの碑の、手前100mの場所ということ。
今回の津波はここまで来たのだ。




この集落は、明治29年の津波では60人以上、昭和8年の津波では100人以上の死者を出したらしい。
昭和の碑にあるように、明治29年には生存者2人、昭和8年では生存者4人。
どちらもほぼ全滅だったのだ。
でも、ということはそれぞれの災害の後にここに住んだ人は、どこかから移り住んできた人たちなのだろうか?
その碑を建てたのは、残された4人ということか?



姉吉から小一時間かかって、ようやく国道45号線に戻った。
その場所、山田は、捕鯨の町である。
その町も津波で散々な被害をこうむっていた。




車を止めた場所の正面は、何かの突き当たりだった様子。
地図で確認すると、駅があったようだ。見る影もない。



捕鯨について考えていた。
個人的に、日本において鯨は貴重な食文化だと思っているので、捕鯨は是である。
古来、日本人は生きていくために必要な分の獲物しか捕っていなかった。
山間部に暮らすマタギは、獲物にあり付いたときは、たとえ、目の前に野ウサギが現れても捕ろうとせず、追っ払ったものだ。
海に暮らす人々もそうだった。頭っから尻尾まで、すべて食うか道具に作り変えてしまう。おまけに、神社を建て供養までした。
それが近年、商業目的の乱獲という負い目のせいで、欧米諸国の言いがかりを甘受せねばならぬ状況になってしまった。
そもそも、かつてランプの油を採るためだけに鯨を獲ってきた欧米の人々に難癖をつけられるような日本ではなかったのだけどなあ。

町を離れたところに、「鯨と海の科学館」がある。
僕はそこに行こうと、国道を外れた。ところが、目の前に現れた「鯨と海の科学館」の周りは、瓦礫の山だった。
ちょっと高台にあるために建物は残っているのものの、どうも休館中としか見えない。
だいいち、入り口が不明で通り過ぎてしまった。
その先には、高々と積み上げられた廃車の山があり、一年半の時間を示すようにサビつきヒシャげていた。

 その廃車の山越しに館を見る

「残念、休みだったね。」と太郎に断り、南に向かった。
(帰ってきてからwebをチェックしてみると、どうやらあの状態でも営業していたようで、確認が甘かったことを悔やまれた)


 【山田町】 人口      18,634 
        浸水範囲人口11,418 
         死者        604 
         行方不明     153 
         建物倒壊    3167



大槌町に入り、前々から気になっていた地名があった。
その名も「吉里吉里」。オノマトペのような、ちょっとふざけてるの?って印象。
国道沿いのバス停に、その名を見つけ、そこから海岸にでてみた。





井上ひさしに『吉里吉里人』という小説がある。
東北のちいさな町が突然、日本から独立するという話だ。
僕はこの機会にその本を読み出したのだが、これが滅法くだらない。
自分の出自(彼は山形出身)の東北弁を、自虐的に扱うのはまだ言葉遊びとして許せる。
しかし、その下品なシモネタ、あまりにも低俗なギャグ。
スナックで独りよがりのダジャレを連発して悦に入っているオヤジのようなのだ。
なまじ学がある分、弁は立つから始末も悪い。
くだらないのならせめて笑わせてもらいたいものだけど、ツボが違う。
上中下の3巻そろえたものの、苦痛を伴いとうとう上巻の半分もいかずに投げ出してしまった。
まあどっちにしろ、それ以前に、吉里吉里の舞台はここではなかったのだが・・・。


大槌の町に着いた。
町長が亡くなって行政が機能不全状態になった町だ。
何もかも流された町で、ガソリンスタンドだけが営業してた。
地図で確認してみると、このうしろにあるがらんどうの建物は役場らしい。
消防署も、隣りにあったようだ。
周りにあったものがなにもないなかで、スタンドだけがたくましく踏ん張っている。
あれだけたいそうな原発があんな大事故を起こしたっていうのに、どの町にもいくつもあるガソリンスタンドでの火災や爆発など聞いていない。
つまり原発は、町のガソリンスタンドの安全基準以下だった、ということなんだな、悔しいほどに。




県立大槌病院は、建物だけが残っていた。
耳をすますと、遠くから、祭り囃子が聞こえてきた。
音の聞こえる方へ車で近づいてみると、草むらのむこうに練り歩く子供たちの行列と神輿(のような?)がちらほらと。
ようやく、そこまでできる気持ちの余裕ができたのかとも思い、いや、これは大人としての意地なのかとも思い、僕はささやかなエールを送った。
(通行止だったので先には行かず、写真もないが。)




少し走ると、小槌神社というお社があった。
ここでも例祭が執り行われていた。というか、さっきの祭り囃子はここのだったのかな?
大槌に小槌。なんだか地名の由来が気になるところ。隣りは釜石。鉄とのつながりがあるような気がしてくる。




 【大槌町】 人口      15,239 
        浸水範囲人口11,915 
         死者        803 
         行方不明     473 
         建物倒壊    3717


(4)へつづく



最新の画像もっと見る

コメントを投稿