今日の読売新聞『編集手帳』で次の記事を読んだ。
◆「雨」なので知られる作家サマセット・モームは晩年、生涯最高の感激は何だったと問われ、「戦場の兵士から『あなたの小説を一度も辞書の世話にならずに読んだ』という手紙をもらった時だ」と◆新聞記事も読者が辞書を片手に読むのでは記者として半人前だと承知しつつ、なかなか一人前になれないでいる。古典や漢籍もときに顔を出す小欄を授業の教材に使ってくださったと聞き、冷や汗が出た。
この記事を読んで、20年ほど前にお世話になった女性のK校長先生のことを思い出した。
校長先生が転任で、私の勤務していた小学校にお越しになった。
4月の学校便り、1箇所、難しい単語が入ったものだった。
何人のかの同僚に、「読める?」「意味分かる?」と聞いたところ、皆お手上げであった。
たぶん、保護者の多くも、「読めない」「意味が不明」だろうと想像できた。
正直、「馬鹿な校長だ!」と思ったものだった。
次の月も、またその次の月も、同じように1箇所だ、難しい単語が入っていた。
ついに、若造の私であったが、K校長に直談判およんだ。
「教員が読めないような漢字を、どうして毎回使うのですか!」と。
K校長先生、にこにこしている。
(何じゃ、この校長・・・!)俺の言うことが分からないのか!
「鈴木先生、ようやく引っ掛かってくれましたね。実は、学校便りは先生方に読んで貰いたかったの。だから、毎回一つずつ難しい単語を使って書いているんです。ありがとう」と。
私は、頭が下がり何も言えなかった。
辞書を引かないで読める小説・文章も大事であるが、一回だけ辞書に頼る文章を書いたK校長先生。
依頼、私は、一目も二目もおいて、お仕えした次第である。