2月7日(木)の朝日新聞『天声人語』から。
敵の多いことを恥じる必要はない。だが敵の名に恥じない者を敵にせよ、と言ったのは明治の文人国木田独歩。「卑しき敵を持ちたるだけにて此方(こちら)の敗北なり」と言葉をつないでいる。
この言葉に触発されての自由連想。
①『国家の品格』は、数学者の藤原正彦の名著。
2年ほど前には、書店の店頭に平積みされたベストセラーだった。
最近でも、この「品格」にあやかった題名の本が出版されているようだ。
で、国木田独歩の文章から、日本人の「品格」が感じられる。
明治の文人・知識人、一部の一般人は、「大蔵経」を読むほどの知性があったそう だ。
「品格」は、日本文化に裏付けされるものである。
藤原正彦が主張するように、私も、小学校段階での英語教育よりも国語教育の充 実に賛成したい。
②ホームレスを襲撃したり、いじめ問題は、「弱いものいじめ」である。
このような事件は、国木田独歩に言わせれば「問答無用」の体たらくだろう。
「弱いものいじめ」は、日本では恥であったと思う。
日本の文化が脆弱になったのだろう。
③杉並区のある中学校では、予備校との連携の事業がスタートしたそうだ。
公立学校で、このような取り組みをするのは、破廉恥な事業だと私は考える。
公立学校の目的は、知的な学力を向上すること受験勉強のための教育よりも、国 木田独歩が言うような 品格をもった日本人を育成することだろう。
④小学校で、児童の授業時間が増えるそうだ。
まったくナンセンスである。
いわゆる、児童生徒の学力の低下への対策らしい。
授業時間を減らして、ゆとりの時間や総合的時間を導入したのは、どこのだれや ら。
その張本人が、あわてふためいて、授業時間を増やすなど、ナンセンスである。
子ども達は、授業時間は増える、土曜日曜日は野球だ、サッカーだ・・・塾だ習い 事だ・・・と、大変なのである。
いつもいつも、大人の眼の内、指導の範囲内である。
このような環境の中では、子どもの独立心は育たない。
日ごろの、愚痴の羅列になってしまいました。