周囲を見ることで、より大江=中原一族の中のメンバーであった事に自信がついてきた。笑
そして、大江氏は村上源氏とも関係している。
まず法橋昌明も祖は村上源氏と云われている。
大江広元の息親広の養父は村上源氏久我流 源通親であり、親広の妻であった北条義時の娘
竹殿を源通親の息土御門定通に渡してしまうのである。
更に平安時代になるが、近江国佐佐木庄の領主であった源有仁の配下にも村上源氏の者たちがいた。
源有仁の母も源師忠の娘であり(輔仁親王室)、村上源氏である。
https://geocity1.com/okugesan_com/minamoto3.htm
しんごん 「親厳」をこのように読むようである。
この方のweb情報(googlebooksより)
しんごん[親厳] [越後大僧正・随心院大僧正・唐橋大僧正] 1151 (仁平元) ~ 1236 (嘉偵 2.11.2 ) [ 86 ]高京都の人。唐橋飛騨守中原親光の息。初,尊念僧都に密教を学び, 1181 (養和元) ,法住寺で顕厳から伝法灌頂を受け,伽を研修し,最も法験に秀れ・・・
實飛騨守中原親光息」とあり、隨心院大僧正、唐橋大僧正と称せられ、東寺長者、東大寺別当に補せられた。その義父の廣季は博士、廣季の子廣元は明経博士であり、博士家の一である中原家と血縁ある人であった。嚴瑜は「傳法灌頂師資相承血脈」によると
寛喜四年1232、三月十七日は親厳が宮中で如法愛染法を修した日です。
親厳は越後大僧正・隋心院大僧正・唐橋大僧正といわれ仁平元年1151年生まれ1236嘉禎二年十一月二日に八十六歳で遷化。平安後期-鎌倉時代の僧。唐橋飛騨守中原親光の息。尊念にまなび,法住寺で顕厳から伝法灌頂をうける。瑜伽を研修。法験にすぐれ神泉苑に祈雨すること数度。天変の御祈、中宮安産修法も務める。東寺長者・京都小野随心院初代門跡・東大寺別当。
此処に唐橋と出てくるが、広橋となっている物もある。
唐橋氏は1200年代からなので、もしかするとより古い「広橋」の方かもしれない。
通親は、道元禅師の親。曹洞宗 の末寺の檀家としては、とても興味深いです。
今日から始まる鎌倉殿の13人楽しみですね。個人的には畠山重忠のファンなので、どう描かれるか?です。
拙句
鎌倉の梅を探して波かへる
文書で、賢清と言う方に出会ったら教えて頂きたく、宜しくお願い致します。
賢清は、久経の法名かと、、
今年も宜しくお願い致します!