小堀氏と九里氏との通字は「助」となっている。
小堀氏と九里氏と別れた後を見るに、小堀氏の通字は「光」である。
この下記の系図の小堀三代目は兼光で、左近将監とある。
もう一つの近江の小堀氏の系図のはじまり、小堀光道の註を見ると「左近将監」とある。
和歌山系図にある『兼光』から近江国の『光道』へとのつながりがあるような気がしている。
小堀正次の肖像
https://www.alamy.com/f2000-001-000-213-00000001jpg-17-unknown-771-kobori-masatsugu-2-image185707955.html
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小堀政尹(こぼりまさただ)一六二五ー一六九四年。江戸時代初期の茶匠。小堀遠州の子、通称権十郎。蓬雪と号した。江戸幕府の旗本として千石を領す。父遠州に茶湯および書法を学び、その道具目利きで知られ、多くの箱書を遺している。
美術人名辞典の解説
小堀権十郎
江戸前期の茶人。徳川幕府の旗本。名は政尹、号は篷雪。小堀遠州の三男。はじめ母方の姓浅井氏を名乗るが、のち小堀氏となる。父の後を承け、千石を領した。茶道・書道を父に学び、また画・狂歌にも秀でた。元禄7年(1694)歿、70才。
神尾元勝と親しかったこと。其の神尾元勝は岡田元次からの養子であったことも興味深い。
小堀政一は黒田如水(考高)とも顔見知りであり、そこにも養子で岡田長門守重孝の息がいたとすると、何かありそうな気もするが、まだよくわからない。
そもそも、岡田竹右衛門元次はどの流れの岡田氏になるのだろうか。
五味氏と岡田元直(元次息)も兄弟である。