九里 【九里】を探して三千里

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清原業恒 と 儒教の師であった小野吉柯 

2022-08-14 | 清原氏バラバラ情報

前回の片岡氏を調べていて、壬生氏・小槻氏に出会い…そのうちに凡海 麁鎌(おおあま の あらかま)に出会った。

兎王の記事で、安曇氏(阿曇氏)には触れていなかったのだが、伊香郡に安曇氏も在住していたと思われる。

天武天皇の養育係であったともいわれる凡海 麁鎌(おおあま の あらかま)。

つながりが、清原氏に見え、小野氏とも繋がってくる。

 

http://www9.wind.ne.jp/fujin/rekisi/zakki/azumino/azumizoku.htm

 

下記のアドレスの論文に記載のある【吉柯

http://repo.kyoto-wu.ac.jp/dspace/bitstream/11173/3224/1/0160_034_001.pdf

 

http://ek1010.sakura.ne.jp/1234-7-42.html

清原業恒の子供に広澄・近澄がおり、広澄が家督を継いだが、男子が無く、弟の近澄の子供「頼隆」を養子とし、この流れが朝廷の大外記職を世襲して貴族清原氏が継続することになる。

ところが、上記清原広澄は、古代豪族小野氏の末裔である「小野吉柯」の養子になったという説がある。しかし、小野系図には、この養子は記録されていないのである。清原広澄が小野姓を称したことは無いらしい。

 

業恒
父:海信恒(麁鎌の7世孫) 海宿禰業恒  養父:房則?  母:不明
子供:広澄・善澄・近澄 兄弟:海薫仲  別名:業経 業垣
古代豪族 安曇氏の流れである海氏から養子に入ったか。
この系が貴族清原氏の本流となる。群書類従記事
正五位下、左京大夫、勘解由次官
群書類従系図:1004年海宿禰を改め清原真人となる。儒業小野吉柯門人也。
  小野瀧雄二男。

広澄(934-1009)
父:業恒 母:不明
子供:養子:頼隆(実父:周防守清原近澄
儒家石見守小野吉柯(小野篁の従兄弟)の養子説あり。
 (群書類従記事)儒家清原氏祖
正五位下 大外記 大隈守
通常の小野氏系図にはこの人物名は無い。

清原の系図の中に【吉柯】はある。 

頼隆(979-1053)
父:近澄 養父:広澄 母:不明
子供:定滋(1003-1054)・定隆(1018-1072)など
大外記職を世襲とする。正五位下河内守


 

海信恒(麁鎌の7世孫)の息広澄・近澄を清原氏を称しつつ、小野吉柯の養子とした、と読める。

小野吉柯は石見・伊豆守であった。

久利と関係のある定隆もまた石見守である。

広澄・近澄は血族としては海氏(凡海 麁鎌(おおあま の あらかま))を継ぎ、且つ清原を称し、小野氏の養子となった、と

https://rekisisuki.exblog.jp/30390442/

 

ところが、東京大学DBを調べてみると年齢がはっきりとわかる記述が残っていた。

小野吉柯 天徳元年 22歳 ・・・ 935年生まれが判明

清原広澄(海広澄)寛弘6年 76歳没 933年生まれが判明

清原近澄     天喜元年 75歳没 978年生まれ判明

 

小野吉柯と清原広澄は同年代であり、(小野の儒学の門下であったかもしれないが)

広澄と近澄は兄弟とはいえぬほど年が離れている。

更に頼隆が979年生まれで、近澄が978年生まれなので、兄弟となりそうな年齢となる。

 

他に、(右近小弁)小野恒柯という人物もいたそうで、業恒の「恒」と吉柯の「柯」からとられた名前と思われる。

 

 

実況中継のため、まだよくわからないが、この系こそが祐安(有安)につながり、中原となり、近江の中原景安(景康)とつながり、関東と繋がってくるのである。

 

 

 

 


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4 コメント

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Unknown (jikan314)
2022-08-15 17:40:50
昨日の大河で目が点(・・;)になりました。
佐々木のじいさん(秀義 康すおんさん二役)が出て来たと思ったら、孫で頼家の医師だと言うので驚き😲‼️
で時政が、「佐々木の孫か?」と驚くので、私は爆笑😂
ネットでは、「歯が生えている!」とか。
ずいぶん歳を取った孫だなあ?と思いました。
ドヤ顔で、頼家の回復を報告して、一同の唖然とした顔でしたね。(o´エ`o)b
お盆には佐々木のじいさんよみがえる
返信する
びっくりでしたね! (kunorikunori)
2022-08-15 18:12:30
Jikan様

私もびっくり~~お医者様って…佐々木の誰なの??という感じ。笑
よみがえって嬉しい!です。

一幡様、どうなったのでしょう。

それに、まだ比企尼もあの館にいたので、これまた心配です。館ではなく比企の地に居たと思うのですが。。。

まだ先の話ですが、頼家が歿した後に、妻であった人が思い出の櫛を比企尼とともに池に鎮めた…というのは、伝承だったのでしょうか?
(私の想像だったのでしょうか?)

それにしても比企能員、悪者にしすぎ!
ドラマで仕方がないのでしょうが、もっと素敵にしてほしかったです。(不満炸裂)
返信する
Unknown (jikan314)
2022-08-15 22:06:33
小生の比企探訪にも、若狭局が生きていて、池に櫛を沈めた場所を訪問しておりますので、御覧下さい。
(o´エ`o)b
ドラマは、吾妻鑑説で若狭局、一幡死去説を採っておりますが、愚管抄では、若狭局と共に3ケ月生き延びたが、一幡暗殺と記録しております。慈円は、全国の天台宗僧侶の情報を集めていましたので、こちらが正しいのでしょう?比企館で母子暗殺してないと、頼家が生き帰って妻子が殺された怒りが、修善寺幽閉の理由ですから。
比企尼も比企館にいて、北条の騙し討ちに怒りをぶつけていましたが、詳細な記録が無いから脚本だと思います。
雨は止み暑さぶり返すドラマだて
返信する
きっとその記事を読んで… (kunorikunori)
2022-08-16 12:59:26
Jikan様

其の記事を読んで、印象に残っていたようです!
https://blog.goo.ne.jp/jikan314/e/a8cd4546c63532d7a2a5ce938ff59a7c

この記事です。
哀れです。

雨粒が涙に見える 串引沼
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