九里 【九里】を探して三千里

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片岡常春・経春・経治 ・・・ 大中臣輔経・親定・親仲・親経・経隆 

2022-08-13 | 片岡氏

三崎荘(三前郷と記載)

在地領主は平安時代末期には片岡氏であったが、『吾妻鏡』文治元年(1185年)10月28日条によれば、片岡常春佐竹義政に同心して源頼朝謀反を企てたかどで当荘を収公され、代わって千葉常胤に与えられ、その後は千葉氏一族が領有した。

 

 

 

校訂源平盛衰記によると【片岡経春】は【片岡経治】となっている部分もある。為春は常春の父…ともある。

義経に相従う輩のなかに片岡経治と片岡八郎為春の名が残っている。

他にも片岡兵衛経俊・片岡兵衛経忠という名も見える。

片岡弘経も。

片岡八郎義泰という名も見える。(経春の佐竹用の名前か?佐竹は「義」が通字と思われるので。)

 

この本には記載はないが、

親鸞時代に弟子になった「片岡信親」「片岡信広」という名もあったはずである。

「藤原尾張権守片岡信親と称し、鹿島神宮の大宮司であった。」とある。(順信)

また、順信の弟で上野国片岡郡の城主片岡親綱。領海。乗然房

 

以前片岡経春か為春の項に「上野国に所領がある」とあったような記憶がある。

または、つながりがあるのだろうと思う。

更に、この上野国の人物「親綱」googlebooksによると

『上野国片岡郡の城主片岡尾張守源九郎親綱・片岡姓源、佐々木一族。領上野国片岡郡、因称片岡氏。』とある。

佐々木盛綱の子盛季の子孫が、上野国片岡の地に居り、片岡氏を称した

至左衛門太夫直綱

当国高岡郡黑岩鄉、因呼其地日片岡村。

直綱生左衛門直常。直常生左衛門直道。直道生左衛門直光。直光娶秦国親妹、生子三。長左衛門督親光、次出雲守、次紀伊守。親光戰死予州金子葬 ...

 

【鎌倉初期の近江佐々木氏】山内梓 著

この研究ノートに「当時盛綱の所領が上野国にもあったためか云々」とあり、

片岡氏関係に寄せてみると、佐々木氏が上野国で片岡と名乗ったようなのだが、鹿島神宮の片岡(大中臣)とのつながり、特に

順信の弟乗然が片岡尾張守源九郎親綱につながっていくようにも思えるのである。

ココがまさに大中臣片岡氏と佐々木氏の接点となりそうな気がする。

大中臣親経が土佐権守となっていたことも、やがて片岡氏が土佐国高岡郡黒岩郷で活躍することとなったきっかけ、となっていたかもしれない。

https://rokuhara.sakura.ne.jp/organ/sion_003.pdf

 

親定(美濃権守)ー 親仲 ー 親経(土佐権守)

 

大中臣氏の仕事を見ていくと、

賀茂 祭祀 遷宮 など 祭祀関係に深く関係しているのである。

 

https://www.google.co.jp/books/edition/%E5%A4%A7%E4%B8%AD%E8%87%A3%E7%A5%AD%E4%B8%BB%E8%97%A4%E6%B3%A2%E5%AE%B6%E3%81%AE%E7%A0%94%E7%A9%B6/k-V1IC9UMRYC?hl=ja&gbpv=1&dq=%E5%A4%A7%E4%B8%AD%E8%87%A3%E9%A0%BC%E9%9A%86&pg=PP171&printsec=frontcover

 

佐々木盛季の裔という片岡氏説の他に以下の様なものも見つかった。

 

甲斐国造から片岡氏が出たという系図は、鈴木真年編の『百家系図』(巻二六の壬生直、巻十七の片岡)に見える。この系図では、甲斐国造の倉毘古乃直を祖としており、その十一世孫にあたる巨摩郡人の壬生直益成が天慶六年に山城国愛宕郡に貫隷し、従五位下遠江介まで昇進して寛平八年(896)に六八歳で卒去したとされる。その孫が歌人として著名な壬生忠岑であり、その子がやはり歌人の忠見である。
 
忠見の子の忠弘は天延二年(974)に土佐少掾に任じたが、これが、壬生一族が土佐と縁をもった始めである。その子の壬生宿祢弘重が土佐権掾、以下は、その子の「土佐権介忠重-土佐介忠久-伊予大目忠敏-土佐掾忠儀」と壬生氏の歴代が続けて土佐の国司に任じたので、忠儀の子の右近将監忠節の子の左衛門少尉忠頼は、父祖の所縁で土佐下向となった。伊予大目忠敏は保元の乱の時に平清盛に属して軍功があったというから、鎌倉前期で源氏の世になって京に居づらくなった事情もあったのかもしれない。忠頼は高岡郡黒岩郷に住し、のちに片岡郷寺尾村に遷ったと記される。
 
 
 
・・・と、諸説ありすぎで、歯が立たない。。。

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