九里 【九里】を探して三千里

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山内氏の中に伊賀氏がいて、深尾氏の祖にも伊賀氏がいて…太田氏の中にも伊賀氏がいる。。。安藤にも通じている。メモ

2018-07-23 | 山内・伊賀・深尾・下河辺・野本・結城

山内氏の中に伊賀氏がいて、深尾氏の祖にも伊賀氏がいて…太田氏の中にも伊賀氏がいる。。。安藤にも通じている。二階堂行政の娘が伊賀光季の母となる。山内首藤氏秀郷流   メモ

伊賀系図


深尾氏系図
http://www.eonet.ne.jp/~academy-web/keifu/keifu-fukao-tosa.html


山内氏と近江国長野氏とのかかわりを私的に発見!
長野氏は同じ系図の中にいる。(近江国御家人井口・中原系図)多賀氏にも近い。

一豊の姉か妹に「深尾重良妻」がいる!
http://www.yamauchi-zaidan.jp/08yamauchi_reki/yurai/img/keizu02.pdf


山内一豊の父盛豊の時代だろうか、岩倉城から三男の一豊・母(法秀尼)・姉、弟妹共々逃げ落ちている。

以下はwikipediaより
その後法秀院は、子供たちと共に近江国宇賀野(現在の米原市北部)の長野家に身を寄せた。
この長野家は在原業平の後裔とされ、御所や公卿に関連する職務を行っており、武家が干渉することもないとの配慮からであるという。
一豊がこの地で母と同居していたかどうかは不明だが、ある時一家がここに匿われているとの噂が流れたため、長野家は急報を受け、厳重に警戒するように促されている。
また、同じ頃長野家で近くの子女に裁縫や行儀作法を教えており、その子女の中に後の見性院がいたといわれている。
男の出世は妻次第であると考え、良い娘を娶らせたいと考えていた法秀院は、後に見性院と呼ばれるこの娘を一豊に娶せた。

在原業平の妻は紀有常であることが、関係しているように思う。

紀氏と江州中原氏はどこか繋がっているように、ますます感じるこの頃である。

~~*~~~

下野梶原氏
景時の嫡男・景季の息子の景望が、一族滅亡後に叔母の嫁いだ宇都宮氏を頼って、子孫を残したと言う。メモ
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