元暦二年(1185年)と建長元年(1249年)の紙背なのでそれ以前の文書となる。
年代も離れているかもしれず、、、、
法橋長専からの手紙に冨城殿と書かれている部分があり、富木=冨城であることがわかった。
また、裏から読んでいる文字なので確実ではないのだが、傳義通 六郎 顕開顕シ の文字が見える。
義通の仏像か何かを菖蒲六郎に伝えて??
縁覚・聲聞・菩薩
という文字も見える。
九里三途定〇とみえる。
茂原から長生郡長南に三途川があり、じつは茂原は常忍の実家があった場所ではないかと思っていたので、これは久経やその息の文書だったのではないだろうか?
其の裏に 日蓮や長専が手紙を書いていたのではないだろうか?
この紙背文書を上手く読める方法はないだろうか?
大きめにコピーをして、裏から透かして読んでいるのだが、目が悪くなりそう…