THE RECKLESS MAN*

過ぎ行く時~後悔は少なめなMY LIFE を送ることをモットーに、日々、テキトーな日常を書き留めています。

Enjoy your new life❗️

2016年04月09日 | 日記

とても暖かな日でございます、こんな日は日光浴でもしたいものですね。さて、4月に入り新年度を迎え新しい門出をした方々、期待と不安の入り混じる時期であります。

 

通勤でも、それっぽい人達が真新しい着衣に身をつつみ~男児は眉毛をシャープに、女子はお化粧バッチリで気合の入っている様をよく目にします。

 

いい職場、嫌な職場、自分に合う人、自分に合わない人、それぞれサラリーという部分で関わり合わなくてはならないので、学生時代の、人、場所、でのお付き合いとは随分と変わりますよね。

 

でもそれはそれ、自分の人生は一度切りしかないので『周りの人間がどーしてる』とか『そんなことする人この会社にはいないよね~』とか、そんな周囲の言葉にとらわれることなく、自分の考えに正直に生きて後悔は少な目なマイライフを実現して行って下さいw。

 

そんな桜咲き、舞い散る今日この頃、先日の水曜日に自転車で勤務先まで足立区から港区までリンリン、ランランのんびり街の風景を眺めながらゆっくり走って来ました。

 

しばらく訪れてない場所、随分と変わっていて時の流れが速いことにハッとさせられます。本当、何かしたいことがあって~『その内、やれば良いや』なんてコトあるごとに呟いていると、何も出来ない?しないまま?に人生終わっているんじゃないかと気付かされます。

 

自分は、バレーボールを通じ毎年刺激的な生活を過ごせていますがソレ以外のコトにも同時進行で、もう少し積極的に取り組んでいきたいと実感しましたね。

 

自分のライフスタイルの野望、第二幕目は幕を開け進行中。だだ具体的な部分の穴埋めは、人頼?目の前のコトには一生懸命、一心不乱に取り組めているのだけれど…さらなる、具体性を自分自身で設定してクリアーしていかなければいけないと思う。

 

な~んて、真面目なコト書いちゃいましたけどシンプルイズベスト!イノシシ年の得意分野、何事にも猪突猛進で突き進むのみ~w

 

気が付いたら『アレ、思っていたコト出来ちゃってんじゃん?』なんて感じで、今までどおりにやって行ければ道は自ずと拓かれていくと~世迷い人のワレは勘違いして今日も明日も生きていこうと思っております。

 

 

 

 


transferred to a different department.

2016年03月11日 | 日記

2月の8日から、職場が異動になった。突然の内示で驚いたが、その異動はそれほど嫌ではなかった。

 

なぜかと言うと、人間関係もうまく行ってなかった職場だったし、仕事に対する意識もかなりズレのあるメンバーとの仕事は、正直言って楽しくはなくストレスに感じることの多い日々だった。

 

自分の価値観を無理やり押し付けるてくる人間、人のことを考えないで自分勝手に振舞い周りを働きづらくする人間、忙しくなると直ぐにテンパり錯乱する人間、やっつけで仕事をする人間…等々。

 

うまくコミュニケーションをとり、職場のチームワークを良くしようと何度か試みていたが、結局この職場にいた時には想いは叶わなかった。

 

それぞれの目的意識も違ったし、働き方そのものが違ったような気がしていた。その辺が上手くいかない原因?いや、理解し、お互いの意見をすり合わせようとする努力が全くなかった職場だったと思う。

 

そんな中、自分の出来る範囲での一生懸命で働きつづけ自力を付けていけば自ずと未来は拓けてくると信じてやっていくことがそこでは精一杯。その甲斐あってか、今の職場ではそれほど苦労もなく自分の持ち場をこなすことができている。

 

先ずは慣れることから、出来ることからコツコツやればいい。焦らず、ミスをしないように細心の注意を払いながらも、相手のペースにも合わせながら新しい仕事をこなす。

 

気苦労、心労は最初の内、慣れるまでは仕方ない。そんな職場であくせくすること、やっと一ヶ月が経過。一緒に働く仲間は、趣味、考え方、働き方も合うことが多い。

 

以前の職場で孤軍奮闘していた自分を神様が、今の場所や仲間に引き合わせてくれたのか?あれほど感じていたストレスが嘘のような毎日に、やることいっぱいな職場だけど充実感と心地の良い疲労は満足している。

 

この目的意識の高い新しい仲間と職場で、自分の将来をぐっと手繰り寄せていこうと念願し、今日も明日も一生懸命やっていこうと思っている。

 

 


The time at which life ends.

2016年02月27日 | 日記

久しぶりに、晴れやかな天気に陽気。こんな日は、気分も上がるが天候は下り坂で雲が多くなっていくようなので、お天道様が顔を出している内にいろいろとしたいと思った。

 

そんな事を考えながら起床し窓を開けていると、ふと~入院している友人の顔が頭をよぎりショートメールを送った。

 

ここのところ、自分の身の回りでドタバタしたことがあったのでひと月前に見舞いに行ったきりで友人のその後の経過を聞く暇もなかった。

 

友人へのショートメール、なぜだか送信できない。

 

『?』

 

と思いながら、普通のメールで送信するも繋がりません~との英文の返信メール。

 

妙な気持ちを抱えながら、電話を掛けると…

 

『この電話は、現在使われておりません』

 

まさか…。

 

この彼は、以前の職場で仲の良かった20年来の友人

 

『K』。

 

歳は、自分より4歳上でとてもおっとり、漫画家を目指していて、その当時もKちゃんの自宅で飲んだりした時もたくさんの原稿用紙に描かれた上手な漫画あった。

 

そんなKちゃんとの出逢いは、自分がその会社に入社し1年が経過し仕事にも慣れ始めた頃だった。そんな頃に入社してきたのが、Kちゃん。第一印象は、真面目で優しそうな人だなぁという感じ。

 

実際のKちゃんは、やっぱり優しく優柔不断な部分も多々あるところがたまにきずではあったが、誰とも仲良くできる人懐っこいとても真面目な性格だったと思う。

 

バツイチで、娘さんが1人。少し、女性にはだらしなかったKちゃん?でも、そのバツのひとつは彼の女性問題とかではないと彼の名誉のためにことわっておきたい。

 

Kちゃんとは、職場の数人、仲の良かったそれぞれ歳のちがった友人5人での飲みあるきだった。み~んな、一癖、二癖もあるマイノリティな馬鹿ばかり。仲違い、喧嘩、いろいろな想い出がありますが今想うととても楽しかった。

 

そんな仲間、1番の音頭取りのFちゃんは7年前に42歳の若さで他界。そして自分は、13年間勤めたその会社を退社し早6年。飲む回数も、年に2度くらいになってました。

 

で、Kちゃんと飲んだのは~半年前以上前になる。Kちゃんの入院を教えてくれた、もう1人の友人、Sちゃんと3人でが最期になってしまった。

 

先月の半ば、ICUから出て体調の落ち着いたKちゃんをバレーボールの練習の前に上野寛永寺で買ったお守りを持って見舞いに東大病院へ。

 

病室をさがし、部屋に入るとカーテン越しに聴き覚えのある声。カーテンを開け対面すると、以前の会社の後輩Wっしーが、『あっ、松下さん~お久しぶりです!痩せましたね~』と笑顔でシィクハンド。

 

そうね、前会社に勤務していた頃から10キロ近く変わったからね。ハードワークから離れ、腕も、胸囲もかなり筋力が落ち細くなりました。ついでに、腹回りも、とってもスッキリ。

 

そのWっしーの向こうのベッドには、自分が想像していたよりも~弱っていたKちゃん。メール、くだらない文面、面会に行くってやりとりしていたので、もう少し元気な印象があったのだがね…。

 

Kちゃん、肝硬変なのでとっても黄色くなってて黄疸てこんなになるんだねぇ~などと3人で、お互いの今、昔を談笑しながら1時間半。弱々しいKちゃんを気にしながらも、点滴も打たず投薬と安静だけの治療、一時は生死の境を彷徨ったようだけど、

 

本人の話しでは、具合は良くないけど経過は良好とのこと。少し安心し、バレーボールの練習に行く時間も近づいてきたので積もる話しも切り上げて寛永寺で購入したお守りを手渡し真っ黄色なKちゃんとシェイクハンドを固く交わし、

 

『また来るね、早く元気になって飲みにこう』とオレ。

 

『そうだね、早く元気になって飲み行きたいよ』とKちゃん。

 

『肝硬変なんだから、お酒は当分ダメでしょ!w』とすかさず突込みを入れるWっしー。

 

そんな約束を交わして、病院を後にした。

 

その後、2週間前の土曜日、2月6日にSちゃんから着信があったのを思い出した。その時は、バレーボールの練習で気がつかず翌日だったので、飲みの誘いだったのかな?と気にはなったのだがその後電話もなかったので折り返さなかった。

 

そのSちゃんに、今朝、電話をすると仕事中だったので繋がらず起床の準備をしているとSちゃんからの着信。

 

Kちゃんが、死んだよ…

 

衝撃的な言葉に絶句したが、矢継ぎ早にその時の状況を説明してくれるSちゃん。どうやら肝硬変による合併症?突然、2月6日に吐血し助かる確率が皆無に近いような状況になってしまったらしく親族が延命治療を断ったとの話しだった。

 

その後は、親族だけの葬儀にて火葬したらしくKちゃんの故郷の青森の墓に埋葬されたらしかったので特段の連絡はなかったのだったようだ。

 

最近観た横山やすしのドラマで彼は、享年51歳。晩年の容姿は、とても51歳には見えなかったほど老け込んでいた。それは、度重なる病気、怪我、アルコールへの依存のせいだろう。

 

前述した5人の仲間のひとり、今は亡き、元・アウトレイジな生業をしていた友人Fも暴飲暴食がたたり肝硬変に苦しみ、こちらも歳以上に老けた容姿になっていたのが想い出される。

 

今回他界した、Kちゃんはそんな死臭もしなかったのに…。Kちゃん、酒は飲むけどオレの記憶では浴びるような飲み方はしない人間。生前、肝硬変の話しを本人から病床でしてくれたが感染でなる肝炎、そうでない肝炎、たくさんの肝炎があると話していたがKちゃんのはイレギュラーな分類の肝炎だったらしい。

 

いろんな事で死ぬ要因を己でつくるが、健全だった方の部類のKちゃんの他界はオレには非常にショック。退院したら飲みに行こうと、お互いの右手を握り顔を見合わせたKちゃんの瞳と掌の感触が今はもう2度と出来ないものになるとは…。

 

 

 

 

 


Eternal friendship

2015年12月30日 | 日記

師走も佳境、2015年明けまじかですね。

こんばんは、日頃の行いが悪いのでこの時期になるとよく体調をくずし只今発熱中で投薬&休眠で体調回復に勤しむ、ヘタレ・ヒロシです。

先週末に、12歳から始め32年目を経過した自身のライフワークであるバレーボールの練習も無事に終え、今年もやり残したイベントといえば何十年来の仲間達との『大忘年会』であった。

去年、今年は仲間の自宅を拝借しての忘年会。子供達も合わせると30人くらいの大所帯なので友人宅はひっちゃかめっちゃかです。

それにも関わらす、快く場所を提供してくれる友人には感謝の気持ちでいっぱいです。

居酒屋忘年会では暴れ盛りの子共等を許容するのは大変、それを思うと自宅でやる~どんちゃん騒ぎ~会費は安く上がるし、他人の目を気にすることなく楽しめるところは格別ですよ。

まあ、その分の仲間同士での気遣い、心配りがとても重要ですが、その辺は長年の付き合いで培ってきたものがあるので勝手知ったるところはこれまたありがたい。

すでにバレーボールを辞めた仲間もこの忘年会には参加してくれたりで、とても嬉しいイベントです。

年々歳をとる仲間、ますます大きく、逞ましく育って行く子供達。

いつになっても、酒が入れば変わらない友人の馬鹿さ加減。

笑顔が絶えないこの場所を、いつまでも大事にしていきたいと思う。

永遠にも感じるプライスレスな一瞬を仲間等と過ごしていると、はっきりと思えることがある。

仕事のために、生きているのではない。

こんな貴重な時間を過ごすための、仕事なんだとつくづく感じる。

メリハリのある生き方をするためにも、プライベートと仕事のベストな両立は自身の目標。

立場、責任、お金に振り回され、仕事に己のライフタイムの大半を搾取されること余儀なくされる人。

社会の流れがそうだとしても、自分は自分の想い描く生き方が出来るようにしっかりと力を蓄え、その中を上手に泳ぎ回っていこうとこの仲間達との談笑の中で改めて思った。


命日

2015年12月13日 | 日記
あと二年で自分も、

オカァチャンが、逝った歳になる。

年に一度の~墓参り。

俺が行くと、いつもは誰かがさきに墓参りした跡があるんだけど、今回はしばらく誰も墓参りしていない状態で、花も、お供え物もなかった。

墓には、父親方のおばあちゃん、それと俺の、お母ちゃんがはいってる。

誰もしばらく訪れてない墓、物哀しさを覚えたものの、自分も三十半ばを過ぎてから毎年命日に墓参りをするようになったんだ、

『親不孝者者め』などと自戒。

『今年は、未だ誰もきてないんだなぁ…』

そんなことを考えながら、

墓の草むしり、掃除、

墓がある駅の駅前のコンビニで買った、

花と、線香と、

三ツ矢サイダーを供えて。

子供の頃、家の裏にあった、お好み焼き屋さん。

月に、二回は、家族やお父ちゃんの妹家族と行ってた。

そのときに、オカァチャンが毎回飲んでた、『三ツ矢サイダー』を湯飲みに注いで、残りの半分で乾杯。

誰も居ない日が陰りだし寒々しい墓地で、ボソボソと日頃の憂さを母親の墓前で話し一時間。

いつものように、誰かがお墓を綺麗にしていたら、多分、数分で墓参りを終えてかえっていただろう。

命日、一番乗りでこられた今回は、ラッキーだった❓

神様なんか信じていない自分だけれど、心の中にははっきりといる、強くて、優しかった~

母親の面影…

いまは、自分の、

『神様』みたいな存在になってんだろう。

書いてることが、支離滅裂だけど。

『また、来年ね~』

来年の、自分はどうなってんだろう…

そんなこと考えながら、

とぼとぼと、

霊園をあとに、

最寄りの駅へ。



Bluntness

2015年11月12日 | 日記
サービス業。

にも関わらず、愛想のない対応をするサービスマン。

男女問わず、気分の良いものではない。

最近通っている歯科の受付、

視線も合わさず、端末や、書類をら見ながら、

『お次の予約は…』

などと、下を向いて話す。

帰り際にも、『お大事にどうぞ』。

決まり言葉は、心ない。

不快に感じる。

やるなら言葉の意味の通り、

心をのせて。

仕事でいただく報酬は、

我慢料❓

好きでもない仕事をやるのは大変だろうけど、

それでも、サラリーと云う我慢料をもらう為には、どんなときも気持をこめて努めることが大事だと思う。

やっつけ、おそまつ、無愛想なサービス、これほど最低なものはない。

食事に行き、空腹を満たすプラス心地よい店員さんのサービスは、何よりの、『お食事』だと感じてしまいます。

病院での対応もそうだろう。

サービスでの対応=心地よく

細やかなディテールが、そのものを際立てる。

だけど、普通に、

これが、最低限度のスタートラインじゃねぇ❓w

さ、はたらこう。


SEE YOU NEXT LIFE.

2015年10月11日 | 日記
突然の訃報が飛び込んだ。


ホームページ経由で、うちのバレーボール仲間になったN君が先月の30日に亡くなってしまった。


コーチで手伝いに行っていた中学校の体育館で、練習中に心臓発作で。


沖縄出身の、ちょっとはにかんだ感じが印象的な彼だった。


サウスポーで、身長も高く中々のイケメン。


バレーの練習では、黙々とやっていた。


突然、フラッと練習に顔を出すと、しばらく来なかったり。


だけど、バレーボールが好きなのは肌で感じた。


享年32歳、まだまだこれから楽しいことや、やりたいことが、たくさんあっただろうに。


先々週の日曜日が、彼との最期の練習になってしまった。


普通に元気だったのに…


彼の分も、思いっ切りバレーボールを、人生を、謳歌していきたいと思った。


待ち惚け

2015年09月10日 | 日記
昭和の懐メロみたいな見出し、久し振りのブログの更新理由は、台風18号の影響での大雨。


通勤で使う、東武スカイツリーラインのせんげん台、越谷駅付近が冠水し電車のダイヤが大幅に乱れ~


電車が、来ない!


更には、やっとこ竹ノ塚駅に到着するどの電車にも既に乗車率150%位、駅のホームにもあふれる人、人、人~っ!


現在、乗れない、状況なのです。


なのでね、通勤時間を有意義にする為に、しばらくブログの更新を…📝


しかし、こんな時にふと思うけど、日本人の勤勉さには痺れるねぇ。


どんなときでも、


何とか~出勤っ!


2011年の『東北大震災』のときでも、駅ロータリーに溢れかえり何時間も待たされながら、一糸乱れぬ整列で出勤する人々を見たときに、


さすが~Japanese!


と、感嘆いたしました。


オレは、そこにはいないけどネw


この感嘆すべき習性は、農耕民族特有~


『横並び』


田畑を耕す時、仲良く、種や、苗を植えるあの仕草が『横並び』だ。


列を乱すことを赦さない、みんなで同じだけの仕事をする。


この習性が、現代日本人の気質の原点であろうと~何かで読んで、みょうに納得している、オレ。


だけれども、


どーにも、この事が、


自分には、


馴染めない。


みんなが、右を向くと


左を向きたくなる。


みんなが、上を向くと


下を向きたくなる。


ただの、天の邪鬼なのか?


DNA、両親から来た、


北海道、アイヌの狩猟民族の血?


会津、福島県の、上杉の血?


ならぬことは、ならん!


よく解りませんが…( ̄ー ̄)


どーでもいい、理由しかないのに下らない規制をつけられ、人に


こーしろ!


あーしろ!


決めつけられると、


途端に、反発的な感情が支配する~


我が血、性格なのであります。


仲良しこよし、


お決まりごと、


ときに、良いことだと思います。


しかし、ときに~鬱陶しく感じてしまう。


人に、なんでそうしているの?


と、尋ねると


みんなが、


こうしているから、


そうしているから、


それだけ、


理由は、曖昧。


人は、自由だ。


臨機応変に動く、尊大。


規律、貴重。


縛られ、守り過ぎて、


『がんじ絡め』


そんな風な自分に、なってはいないでしょうか?


やっと、


築地。


今日は、家庭婦人バレーボールのコーチングの日。


雨、止むと、


いいなぁ。






ゆりかご

2015年08月12日 | 日記
毎年恒例の、伊豆への海水浴。

幼少期は、家族や親族と。

成人してからは、友人たちと。

毎年、欠かさず?

いや、高校のバレーボール部時代は1年行けてないかな?

でも、その程度。

それほど、行ってる海。

一年一年、木の年輪のようにオレの身体に積み重ねられた、

海での、想い出。

普段は、顔を合わせなくなった仲間も夏になると、

集結。

海に行って同じ時間を共有すれば、あの時、あの頃に、たちまち~

タイムトリップ。

なぜなんだろう?

何にも変わらない、笑顔と笑い声がそこにはある。

ほとんどの仲間に、シワや白髪は増え、体型も変わり、子供も出来た。

変わる物、変わらない物、

あるんだよね…

だけど、伊豆の海へ行くと、

ゆりかご~

に、揺られるように、バカして楽しかったあの頃の皆んなに揺り戻される。

そんな貴重な物を持ってる自分、

幸せ者?

久しぶりの終電、

北千住駅で、

なかなか動かない。

喉乾いた、

水が飲みたい…ε-(´∀`; )