この六本木には似つかわしくないかなり庶民的な店は、ちょっと前に閉店をしたらしく、いくつかのブログにその思い出を書いてありますが、私はそこの味よりもそこに行っていた頃の思い出の方が強い。
というのも、その近くにあるロック・カメラマンが事務所を構えていて、台風で川を渡った自宅に帰れないからと地下鉄を乗り継いで友人とその事務所に行った、という若気の至りの日々があった。
そこの事務所には友人のカメラマンや他にもちょっと毛色の変わったミュージシャンがフラッと立ち寄ったりして、そこでお腹が減ると皆で行ったのが六本木食堂。
そこでばったり、顔なじみになっていたハルオフォンのメンバーと顔をあわせ、かなり怪訝な目つきで見られた記憶もある。
しかし、そのカメラマンが事務所を畳んだのをきっかけにその辺りをふらつくこともなくなった。
数年経ってあるイベントで話をするチャンスがあった時はかなり舞い上がってしまったくらい良い男でした。
彼から直筆のサインをもらった渋谷の「屋根裏」 (ロンドンの上) ももうない。
彼が撮影した宮下富実夫と同時期に亡くなったのでしょうか。
詳細はわかりません。
棚にしまいこんだ「PINK CLOUD 写真集 3×3」でも引っ張り出して見てみましょう。
昨日、Google でふと見つけてしまった (故) 迫水正一氏を偲びつつ。
というのも、その近くにあるロック・カメラマンが事務所を構えていて、台風で川を渡った自宅に帰れないからと地下鉄を乗り継いで友人とその事務所に行った、という若気の至りの日々があった。
そこの事務所には友人のカメラマンや他にもちょっと毛色の変わったミュージシャンがフラッと立ち寄ったりして、そこでお腹が減ると皆で行ったのが六本木食堂。
そこでばったり、顔なじみになっていたハルオフォンのメンバーと顔をあわせ、かなり怪訝な目つきで見られた記憶もある。
しかし、そのカメラマンが事務所を畳んだのをきっかけにその辺りをふらつくこともなくなった。
数年経ってあるイベントで話をするチャンスがあった時はかなり舞い上がってしまったくらい良い男でした。
彼から直筆のサインをもらった渋谷の「屋根裏」 (ロンドンの上) ももうない。
彼が撮影した宮下富実夫と同時期に亡くなったのでしょうか。
詳細はわかりません。
棚にしまいこんだ「PINK CLOUD 写真集 3×3」でも引っ張り出して見てみましょう。
昨日、Google でふと見つけてしまった (故) 迫水正一氏を偲びつつ。