注:ちょっと筆が乗りすぎまして、特撮オタ全開になりすぎました。"パシフィック・リム"のBDが届くまで特オ魂はとっておく予定だったのに・・・。まぁ適当に飛ばしてください。
「8年越しの悲願達成」を喜んで早二年。合わせて十年越しの悲願で、ついに日本で「戦慄!プルトニウム人間」の続編、「巨人獣~プルトニウム人間の逆襲」が単品販売されることになりました。
前作の直接の続編にしては若干雰囲気が異なり"怪獣もの"と呼んだ方が近い内容にはなっているものの、これでシリーズの両方を誰でも堪能することができるのはファンとして大変うれしいことです。不安なのは例によって発売がランコーポレーションであるため、素材がVHSからのコピーのような粗悪なものを使ったりしないかということで。他にないのなら仕方ありませんが、「巨人獣」に関しては8年前に出たボックスDVDでそれなりのマスターが存在することがわかっているので、もし今回も「戦慄!プルトニウム人間」のような画質だったらちょっと許し難し。過去に「人類危機一髪!巨大怪鳥の爪」の時にやらかした前科のあるメーカーですのでちょっと・・・いやかなり不安。まぁわたしは今回買う予定はないのですが。
中身は「プルトニウム人間」の時に触れたので省略しますが、改めて「巨人獣」を見るとなんとなく日本の特撮ドラマ、「ウルトラQ」の第22話"変身"を思い出します。これは放射能の影響ではなく、本来この地には存在しないはずの蝶の毒で侵された人間が巨人化する話ですが、巨大化して理性がなくなったり(血が頭に上りきらず足りないからかも)腰の周りだけは布で覆ってあるあたり、「巨人獣」の影響を感じます。ただ、救われないラストを迎えたプルトニウム人間に対し、ウルトラQはややご都合的に元に戻ってしまうと最後の展開は大きく異なります。今でこそ神聖化されている「ウルトラQ」ですが、もともとの作り方として映画や海外の映像作品を、リメイクしたり自己解釈して作り直す作品群だったのではないかと言う思いがします。特にこの"変身"に関してはその傾向が強く出ているように思います。前作の「プルトニウム人間」似でないのは、日本では続編しか公開されなかったためです。
ウルトラQでは巨大化した人間は最後には助かりますが、続編の「ウルトラマン」では助からなかった巨人が登場します。言うまでもなく第23話"故郷は地球"に登場するジャミラです(ちなみになんとなく特撮の作りが先の"変身"に似ているのはやはり人間だからという意図があるからかも知れません)。ジャミラもまた人間・地球人であることが本編で語られています。それゆえに悲劇の作品として知られ、一説には小学校で道徳の授業の教材として使われたとすら言われているジャミラ登場回ですが、勝手な意見が許されるのなら、正直ジャミラに同情心は全くわかないのです。むしろ他の怪獣以上に、侵略宇宙人と同程度に斃されるべき存在であったのがジャミラと考えています。
最初にジャミラがロケットを破壊されて姿を現したとき、それを見た今回のゲストで科学特捜隊パリ本部からこの事件のために派遣されたアランは「オオ、やっぱりジャミラ!」と叫んでいます。この件において何年か前に宝島社から発行された本「怪獣VOW」シリーズのどれかで「あれを一目見てジャミラとわかったということは、ジャミラは人間の時からあんな顔をしていたのか」とあざ笑う投稿がありましたが、わたしは非常に憤慨しました。この人は何を考えているのでしょうか? そして宝島の編集部は何を考えてこんな投稿を採用したのか、"VOW"はそういう本だとはいえ、浅はかな見方をさらしてまでただ他人をバカにして笑いたかっただけなのかと。あの姿を見てでアランがジャミラと断言したということは、ジャミラがそれ以前にあの姿をさらして地球側と一度は接触した証拠じゃないですか。アランは個人的にジャミラを知っていたのではなく、科特隊パリ本部の一員としてジャミラとの接触に関与したから知っていたと考えた方がずっと自然です。
本編中でジャミラに関してはナレーションによって省略した形でのみ語られます。宇宙開発競争が激しかった時に帰還できなかった宇宙飛行士、それがジャミラだと。その国は犠牲者を出したことへの批判を恐れ、その事実を隠したと。ですが、ジャミラが、自分が宇宙遭難した事実が隠されてたことを知る方法など、遭難している間毎日地球のテレビや新聞のような報道を受信し続けられる手段でもあるか、誰かから教えてもらわない限りありませんから、恨みの理由にはなりえないでしょう。救助してもらえなかったことにしても、救助に限界があり、救助のために救助隊も同様に犠牲になってしまうことは可能な限り避けて行われることは理解できるはず。少なくとも自分は生き延びることができたのだから、それも恨みの理由としては弱すぎます。
ジャミラが恨んだ理由、それは地球への帰還を拒否されたからではないでしょうか。おそらく修理したロケットである程度まで地球へ近づいた時、ジャミラは同時に修理しただろう通信機で連絡をとったのでしょう、すっかり変わってしまった自分自身の姿をさらして、
「わたしは某国の宇宙飛行士、ジャミラ。宇宙で遭難したが、こうして生き延びて帰ってきた。迎え入れてほしい」
と。あの怪物と化した姿では信じてもらうのにとても時間がかかったでしょう。それでもジャミラは根気よく、自分しか知りえない情報を提示したり、残骸となった証拠の物品を見せたりして姿形は変わっても地球人であることを信じてもらうべく、説得を続けたはずです。そしてついにそれを信じざるを得なかった地球側の代表が下した決断、それが受け入れの拒否でした。ジャミラは怒る前に、さらに説得を続けたと思います。
「どうしてだ。わたしは地球人だ。地球へ戻る権利があるはずだ」
「その姿、その大きさ。人々に不安を与え、混乱や騒動の原因となる以外に道はない。地球に君の居場所はないのだ」
「それでもわたしは地球に帰りたい。こんなに姿が変わってはあとどれくらい生きられるかわからない。せめて地球で、地球人として最期を迎えさせてくれ」
「何を言う。そんな怪物になったお前を、誰も地球人だと思うものか!」
このやり取りはわたしの勝手な想像にして創造ですが、こうした強い口調で拒否されたことがジャミラの怒りの原因となったというのは、わたしとしては納得の行くことです。ここまでなら間違いなくジャミラは悲劇の人物でした。ですが、それでもジャミラが地球へ戻ってきたのは地球人として生き地球人として死ぬためではなく、恨みを持って各国の代表や要人を殺すためでした。地球人でありながら要人を狙って殺す行為を行う人物は、言うならばただのテロリストにすぎません。テロ行為を何度も働いた以上、ジャミラは完全な悪人です。確実に存在する、今目の前にいて破壊行動を行っているテロリストと戦うのは軍隊としては当然の行動です。少なくとも怪獣と戦うよりは本来の任務です。科特隊の本来の任務とは違うかも知れませんが、見えないロケットという人類とはやや異なる科学力を見せたジャミラは他にも科特隊でなければ対抗しきれない化学兵器を持っているかも知れません(実際にはもう何もありませんでしたが)。よって科特隊が戦うのもこれまた納得の行く行為なのです。まして、ジャミラが火炎を吐いて暴れたのは科特隊や軍相手ではなく無抵抗な山村やそこに暮らす人々を焼き払うためであり、もはや本能的な破壊衝動以外ジャミラからは感じ取れません。自分の力に酔っているようにすら見えます。この時点で、ジャミラは追い詰められたゆえに自己防衛のための攻撃を起こした悲しい人物ではなく、ただの暴力を振りかざす破壊者でしかありません。結局ジャミラはウルトラマンの水流攻撃によって弱っていき、最後の瞬間見えた某国の旗をつかもうとする直前に絶命します。一般には栄光のために自国の国旗を掲げようとしたとみるところですが、ウルトラマンが来る前にあきらかに自分の意志で国際平和会議のために並んだ各国の国旗を踏み潰しているあたりから見るに、最後まで地べたに落ちずに残っていたその国旗を叩き落とすために掴もうとしたとみることもできそうです、わたしは後者を取ります。
「フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ」のガイラにすら同情するわたしがジャミラに対しては同情の念がわいてこないのは、こうしたジャミラの地球での行動が全て悪と断言するしかないものばかりだからなのでしょう。
巨人と言えば、先日人気マンガ「進撃の巨人」の実写映画の監督が、特撮博物館副館長の樋口真嗣監督になることが発表されました。同監督ということでどうしても内容よりも巨人表現をどう行うか、に対して関心が集まってしまうことになりそうです。「フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ」のような、人間に似て人間にあらず、見ていてどこか居心地が悪いような作風になるのではないかと、個人的にはとても期待しているのです。
「8年越しの悲願達成」を喜んで早二年。合わせて十年越しの悲願で、ついに日本で「戦慄!プルトニウム人間」の続編、「巨人獣~プルトニウム人間の逆襲」が単品販売されることになりました。
![]() | 巨人獣 ~プルトニウム人間の逆襲~ [DVD] |
サリー・フレイザー,ロジャー・ペイス,ディーン・パーキン | |
ランコーポレーション |
前作の直接の続編にしては若干雰囲気が異なり"怪獣もの"と呼んだ方が近い内容にはなっているものの、これでシリーズの両方を誰でも堪能することができるのはファンとして大変うれしいことです。不安なのは例によって発売がランコーポレーションであるため、素材がVHSからのコピーのような粗悪なものを使ったりしないかということで。他にないのなら仕方ありませんが、「巨人獣」に関しては8年前に出たボックスDVDでそれなりのマスターが存在することがわかっているので、もし今回も「戦慄!プルトニウム人間」のような画質だったらちょっと許し難し。過去に「人類危機一髪!巨大怪鳥の爪」の時にやらかした前科のあるメーカーですのでちょっと・・・いやかなり不安。まぁわたしは今回買う予定はないのですが。
中身は「プルトニウム人間」の時に触れたので省略しますが、改めて「巨人獣」を見るとなんとなく日本の特撮ドラマ、「ウルトラQ」の第22話"変身"を思い出します。これは放射能の影響ではなく、本来この地には存在しないはずの蝶の毒で侵された人間が巨人化する話ですが、巨大化して理性がなくなったり(血が頭に上りきらず足りないからかも)腰の周りだけは布で覆ってあるあたり、「巨人獣」の影響を感じます。ただ、救われないラストを迎えたプルトニウム人間に対し、ウルトラQはややご都合的に元に戻ってしまうと最後の展開は大きく異なります。今でこそ神聖化されている「ウルトラQ」ですが、もともとの作り方として映画や海外の映像作品を、リメイクしたり自己解釈して作り直す作品群だったのではないかと言う思いがします。特にこの"変身"に関してはその傾向が強く出ているように思います。前作の「プルトニウム人間」似でないのは、日本では続編しか公開されなかったためです。
ウルトラQでは巨大化した人間は最後には助かりますが、続編の「ウルトラマン」では助からなかった巨人が登場します。言うまでもなく第23話"故郷は地球"に登場するジャミラです(ちなみになんとなく特撮の作りが先の"変身"に似ているのはやはり人間だからという意図があるからかも知れません)。ジャミラもまた人間・地球人であることが本編で語られています。それゆえに悲劇の作品として知られ、一説には小学校で道徳の授業の教材として使われたとすら言われているジャミラ登場回ですが、勝手な意見が許されるのなら、正直ジャミラに同情心は全くわかないのです。むしろ他の怪獣以上に、侵略宇宙人と同程度に斃されるべき存在であったのがジャミラと考えています。
最初にジャミラがロケットを破壊されて姿を現したとき、それを見た今回のゲストで科学特捜隊パリ本部からこの事件のために派遣されたアランは「オオ、やっぱりジャミラ!」と叫んでいます。この件において何年か前に宝島社から発行された本「怪獣VOW」シリーズのどれかで「あれを一目見てジャミラとわかったということは、ジャミラは人間の時からあんな顔をしていたのか」とあざ笑う投稿がありましたが、わたしは非常に憤慨しました。この人は何を考えているのでしょうか? そして宝島の編集部は何を考えてこんな投稿を採用したのか、"VOW"はそういう本だとはいえ、浅はかな見方をさらしてまでただ他人をバカにして笑いたかっただけなのかと。あの姿を見てでアランがジャミラと断言したということは、ジャミラがそれ以前にあの姿をさらして地球側と一度は接触した証拠じゃないですか。アランは個人的にジャミラを知っていたのではなく、科特隊パリ本部の一員としてジャミラとの接触に関与したから知っていたと考えた方がずっと自然です。
本編中でジャミラに関してはナレーションによって省略した形でのみ語られます。宇宙開発競争が激しかった時に帰還できなかった宇宙飛行士、それがジャミラだと。その国は犠牲者を出したことへの批判を恐れ、その事実を隠したと。ですが、ジャミラが、自分が宇宙遭難した事実が隠されてたことを知る方法など、遭難している間毎日地球のテレビや新聞のような報道を受信し続けられる手段でもあるか、誰かから教えてもらわない限りありませんから、恨みの理由にはなりえないでしょう。救助してもらえなかったことにしても、救助に限界があり、救助のために救助隊も同様に犠牲になってしまうことは可能な限り避けて行われることは理解できるはず。少なくとも自分は生き延びることができたのだから、それも恨みの理由としては弱すぎます。
ジャミラが恨んだ理由、それは地球への帰還を拒否されたからではないでしょうか。おそらく修理したロケットである程度まで地球へ近づいた時、ジャミラは同時に修理しただろう通信機で連絡をとったのでしょう、すっかり変わってしまった自分自身の姿をさらして、
「わたしは某国の宇宙飛行士、ジャミラ。宇宙で遭難したが、こうして生き延びて帰ってきた。迎え入れてほしい」
と。あの怪物と化した姿では信じてもらうのにとても時間がかかったでしょう。それでもジャミラは根気よく、自分しか知りえない情報を提示したり、残骸となった証拠の物品を見せたりして姿形は変わっても地球人であることを信じてもらうべく、説得を続けたはずです。そしてついにそれを信じざるを得なかった地球側の代表が下した決断、それが受け入れの拒否でした。ジャミラは怒る前に、さらに説得を続けたと思います。
「どうしてだ。わたしは地球人だ。地球へ戻る権利があるはずだ」
「その姿、その大きさ。人々に不安を与え、混乱や騒動の原因となる以外に道はない。地球に君の居場所はないのだ」
「それでもわたしは地球に帰りたい。こんなに姿が変わってはあとどれくらい生きられるかわからない。せめて地球で、地球人として最期を迎えさせてくれ」
「何を言う。そんな怪物になったお前を、誰も地球人だと思うものか!」
このやり取りはわたしの勝手な想像にして創造ですが、こうした強い口調で拒否されたことがジャミラの怒りの原因となったというのは、わたしとしては納得の行くことです。ここまでなら間違いなくジャミラは悲劇の人物でした。ですが、それでもジャミラが地球へ戻ってきたのは地球人として生き地球人として死ぬためではなく、恨みを持って各国の代表や要人を殺すためでした。地球人でありながら要人を狙って殺す行為を行う人物は、言うならばただのテロリストにすぎません。テロ行為を何度も働いた以上、ジャミラは完全な悪人です。確実に存在する、今目の前にいて破壊行動を行っているテロリストと戦うのは軍隊としては当然の行動です。少なくとも怪獣と戦うよりは本来の任務です。科特隊の本来の任務とは違うかも知れませんが、見えないロケットという人類とはやや異なる科学力を見せたジャミラは他にも科特隊でなければ対抗しきれない化学兵器を持っているかも知れません(実際にはもう何もありませんでしたが)。よって科特隊が戦うのもこれまた納得の行く行為なのです。まして、ジャミラが火炎を吐いて暴れたのは科特隊や軍相手ではなく無抵抗な山村やそこに暮らす人々を焼き払うためであり、もはや本能的な破壊衝動以外ジャミラからは感じ取れません。自分の力に酔っているようにすら見えます。この時点で、ジャミラは追い詰められたゆえに自己防衛のための攻撃を起こした悲しい人物ではなく、ただの暴力を振りかざす破壊者でしかありません。結局ジャミラはウルトラマンの水流攻撃によって弱っていき、最後の瞬間見えた某国の旗をつかもうとする直前に絶命します。一般には栄光のために自国の国旗を掲げようとしたとみるところですが、ウルトラマンが来る前にあきらかに自分の意志で国際平和会議のために並んだ各国の国旗を踏み潰しているあたりから見るに、最後まで地べたに落ちずに残っていたその国旗を叩き落とすために掴もうとしたとみることもできそうです、わたしは後者を取ります。
「フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ」のガイラにすら同情するわたしがジャミラに対しては同情の念がわいてこないのは、こうしたジャミラの地球での行動が全て悪と断言するしかないものばかりだからなのでしょう。
![]() | ウルトラマン Blu-ray BOX II |
小林昭二,黒部進,桜井浩子 | |
バンダイビジュアル |
巨人と言えば、先日人気マンガ「進撃の巨人」の実写映画の監督が、特撮博物館副館長の樋口真嗣監督になることが発表されました。同監督ということでどうしても内容よりも巨人表現をどう行うか、に対して関心が集まってしまうことになりそうです。「フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ」のような、人間に似て人間にあらず、見ていてどこか居心地が悪いような作風になるのではないかと、個人的にはとても期待しているのです。
それにも関わらず、いやむしろ、怪物化して人類に受け入れ拒否された事によって「祖国が誇る宇宙英雄」から「極悪な人類の敵、モンスター」にまで心身共に墜ちてしまった事こそが何とも言い難い悲劇なのであり、同情を禁じ得ないところです
ジャミラのあの悲壮な怪物っぷりに対して「なんて酷い破壊行為だ。悪人には同情出来ない」という反応しか帰ってこないとしたら制作者もお手上げでしょう
まあ 最近のリアルはそればっかりですけど 何故秘密かは秘密なんですよねw よく判らなければそれは悪だと誰かが言うわけです そんなの有ったかと皆が言えば何も起こらない 忘却も知恵なのでしょうお互いに
そこはまぁ感じ取ったものが違うということで。
最初は「巨人獣」型の最期を迎えた日本の特撮ものとしてジャミラを取り上げようと思った程度だったのです。が、どうやっても同じ視点で書けない、単なる悲劇の主人公として表記することができなかったんです。前日譚まで勝手に想像して悲劇性を盛り上げようとしたら余計書けなくなりました。そこで悲劇の主人公というお決まりの設定を投げ出してみたらまぁ書ける書ける・・・。おかげで本エントリーの主題が変わっちゃったくらいです。
もちろんあれは悲劇なんだ、と言う説を持つ人を否定する気は全くありません。こういう考えもある程度にお考えください。
>emanonさん
今と違って制限もなければ苦情が殺到することもない時代でしたからね。番組の時間内では書ききれなった話にも見えます。
なるほど、こちらも作品の多様な受け止め方を否定するものではありません。
ただ、例えばジャミラが地球に降りてから積極的な破壊活動を行わず、それでも殺された哀れな存在だったとして考えて見て下さい。
その場合ジャミラは一方的な被害者で悪ではないということになりますが、「悲劇」という観点からすれば、実際のウルトラマンで描かれた、絶望と憤怒で心身共に怪物化した挙句に人類の敵として殺害処分されたジャミラの方が数段優れた「悲劇の主人公」であると私には思えます。
一切の破壊活動の出ない「ウルトラマン」のストーリーはあり得ませんから、そのたとえはちょっと考えようがないです。わたしの答えは、例えば今回紹介したDVDの「戦慄!プルトニウム人間」や「巨人獣 プルトニウム人間の逆襲」に託しましょう。
肩に思いっきり圧力を掛けてくるやつをジャミラ肩だなって言ってたよ。
バルタン星人と並んで特徴があってマネもしやすい存在ですからね。背を高く見せる効果を期待したデザインだったのかも知れません。
思想の問題とか左翼とかそっちは別にして、こういう一度評価の固まった作品って、全員が同じ方向を向き、同じ感想を持たなければいけない。それに逆らうものは激しい非難を受け、叩き続けられる傾向にあるほうが怖いです。
さて本題ですが、ジャミラはメッセージ性の強いウルトラシリーズの方向性を変えたと言っても過言ではないですからね。ウルトラ水流であっけなく倒されるんですからね。