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あしたはきっといい日

楽しかったこと、気になったことをつれづれに書いていきます。

鳴き声

2006-10-13 23:55:03 | つれづれ
ほろ酔い加減で家に向かう

ふと、静けさの中からねこの鳴き声が聞こえてきた。
その声はしばらくの間、歩き続ける僕との距離を保ち続けた。

不意に携帯のレンズを向けてみる。すると、今まで人懐こそうな感じだったのが、そっぽを向いて走り去ってしまった

僕はねこを追うことなく、少し千鳥足になりながら、再び歩を進めた。

今度好きな人ができたら、迷わず追いかけようと思う
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エネルギー

2006-10-12 22:41:03 | つれづれ
今週は次から次に予想外の問題が発生し、頭がショートしていた
それでも、遅くまでいて解決するものでもないので、毎日遅くまではいないよう心がけている。
今日も、乗換駅のデパートで「北海道物産展」が開催されるというので、早々に帰途につく

バターサンドなど、既に売り切れていたものも多かったが、食欲をそそるものが数多くあった。

ところで、ここで開催される物産展では必ずといっていいほど、定位置でソフトクリームやジェラートが販売されている。そう、毎回ここで甘い誘惑に負けてしまうのだ せっかくがんばって歩数を稼いでいたのに、今日のご馳走と、このジェラートで吹っ飛んでしまったようだ。
でも、帰りのホームで電車を待っているとき、帰り際より元気になっている自分に気付いた。家に帰れるからというのもあるが、ジェラートの効能かも知れないと思った

たまには、あくまでもたまには、美味しいスイーツからエネルギーをもらうのも良い

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微かな光

2006-10-11 23:44:08 | つれづれ
大崎善生氏の『アジアンタムブルー』が映画化され来月に公開されることを、つい先日知った。

氏の作品をはじめて読んだのは一昨年、『孤独か、それに等しいもの』だった。
掲載された5つの短編はそれぞれが痛々しいのだが、いずれの主人公も最後に微かな光を受ける。そこに惹かれた

また、選び抜かれた言葉に飾られた文章にも惹き付けられた。文章表現の可能性を再認識した…なんていう表現はベタだけれど、もしかしたらこうしてブログを書いているのも、氏の作品に影響を受けてのことなのかもしれない

それ以来、単行本や文庫本になっているほとんどの作品を読み、さらに新作はまだかと常に心待ちにしている。

さて、氏の小説世界がどのように描かれているのか、気になるところだ。
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まわり道

2006-10-10 22:29:01 | つれづれ
人と違う道を歩みたくなる性分は、子どもの頃からだった。
今でも、大勢が同じ方向に向いて進んでいるのを見ると、何だか妙な気持ちになる。

成果主義が導入されてかなり経つが、その弊害が様々なところで顕在化している
「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買ひきて妻としたしむ」とうたったのは石川啄木だが、妻としたしむ人生に価値を置く人たちが増えてくれば、流れが変わっていくのではないかなあ…と、ふと思う

さて、脇を見ても親しむ人のいない僕は、昼休みしばしバッタと戯る
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バトンリレー

2006-10-09 23:58:07 | つれづれ
昼休み、食事を終えて川原を歩く。
祝日のせいだろうか、カップルが目立つ。

遊具で遊ぶ親子連れの脇で空を見上げると、木々の葉が陽光を受けてキラキラ…と、昨日と同じようにしばし見つめる

ふと、昨年神戸に行ったときのことを思い出した。
以前から気になっていた「フロイン堂」のパンを買いに行くというのが一つの目的で、もう一つが、阪神淡路大震災の跡を訪ねることだった。

目的地の一つが、「人と防災未来センター」であった。震災に遭った人々の経験を語り継ぐ場として作られた「防災未来館」と、命の大切さを伝える「ひと未来館」からなる施設だ。

「防災未来館」の展示には、実際にご家族を亡くされた方々をはじめ、多くの人の貴重な経験が展示に詰まっていて、見ていて胸が詰まる内容だった。
「ひと未来館」は正直ついで程度に考えて入ったのだが、「葉っぱのフレディ」の映画やブナ森の四季の展示などを見て、また未だに震災による心の傷を抱えている人たちがいて、この施設が「いのちの大切さ」を伝えることで人の心を再生しようとしているといった内容だったと記憶しているのだが、それを熱心に話してくれたガイドさんの気持ちを受けて、心が揺さぶられた。

世の中のあらゆる命には、それぞれ意味があり、僕らもそのバトンリレーのランナーである。 そんな当たり前のことを、自分も日頃忘れているんだなあ。

キラキラ光る葉にそのことを思い出しながら、再び現実に戻った
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美しい

2006-10-08 14:44:57 | つれづれ
今朝は早く起きて、石神井公園まで自転車を走らせた
あの暑さはどこへ行ったのかと思うような涼しさで、目的地に着くまでセーターを着たままだった。

池の周囲には、ジョギングやウォーキングを楽しむ人々や、池に糸を垂れてじっとしている人々などが結構集まっていた。陽光を受けキラキラと輝く水面に目を遣りながらスケッチポイントを探すが、なかなか見つからない
太鼓橋の向こうにベンチが空いているのを見つけて腰かけた。
その場で何を描こうかと考えたが、ふと見上げた視線の先にあった枝を描きはじめた。

はじめは葉っぱを一枚一枚描こうとしたが、5分としないうちに諦めてイメージで描くことにした。
幾重にも重なり合う葉は、その位置や角度によって様々な表情を見せる。だから美しいんじゃないかな?
そう、それぞれの個性が尊重されていてこそ、その集まりは美しくなるのだ
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夕暮れに・・・

2006-10-07 20:20:08 | つれづれ
夕方近くになって、車で買い物に出かけた
帰り際、薄紅色に化粧をした雲があまりにもきれいだったので、もう少し眺めていようと遠回りして帰ることにした

わき見運転にならない程度に、電線や建物の間から変化する雲の色を楽しんでいたが、ふとある場所を思い出して、進路を変えた

連休初日のためか道路が混雑する中、空を見ると東から夜の闇がどんどん迫ってきた。それでも、間一髪で何とか目的地に到着した
一本の傘と引き換えに風が見せてくれた景色に、しばし見とれていた… こんなふうに夕日を追いかけたのは、4年前に天草に行ったとき以来だ。
「夕暮れ時の牛深ハイヤ大橋を撮りたい」と、レンタカーの軽自動車を走らせたが、あと一歩間に合わなかった。ライトアップされた橋を撮影してから宿に向かい、伊勢えびづくしの御馳走を味わった思い出は、今でも鮮やかだ。

秋は放浪好きの虫が騒ぎ出す季節であるが、あれから旅らしい旅に出ていないなあ…

牛深ハイヤ大橋については、
天草市または、くまもとアートポリスを参照してみて下さい。
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傘の寿命

2006-10-06 23:21:23 | つれづれ
帰り道、ビルの庇に入ったところで空を見上げると、街灯に照らし出された雨が糸のように線を描いていた
浮世絵に描かれた雨のような、いや、そのキラキラしたリアルな美しさに一瞬心が奪われた。

家に近づく頃、急に突風が吹き傘が反転し骨が外れてしまった。買ってからもう数年経ち、撥水も弱まっていたので、諦めをつけようと思う

外れた骨を見ながら、「傘の寿命って、どれくらいなんだろう」と思う。長く大切に使われるものもあれば、急な雨についつい買ってしまったビニール傘など… ただ、捨てにくいのか単に億劫なのか、傘は少しずつ溜まっていく…
以前読んだ大崎善生氏の小説「パイロットフィッシュ」の中で、「傘の自由化」ということが語られていた。とても素敵な考えだが、果たして雨降りの楽しみは残るだろうか?とも思う。

10年ほど前、内側に星座が描かれた傘を使っていたことがあるが、残念ながら電車に置き残してしまった。そんな突然の傘との別れも何度もあった。そう言えば、最近は実用的な傘しか買っていないな~
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再生する

2006-10-05 23:17:17 | つれづれ
昨日乗換駅で、九州観光のパンフレットをもらった。
中でも興味を惹かれたのが、「豊後高田昭和の町」である

ふと、数年前にホリエモン氏が「やがて商店街はなくなる」といった話をテレビでしていたのを思い出した。それを見ていて、そうした世の中は僕らの目指しているところなのだろうかと疑問に思った

地方を旅すると、「シャッター街」となった商店街に心を痛めることが多い 都内でも、そうした商店街が少しずつ増えているように感じる。一方で、賑やかな商店街も存在しているので、一概に世の中の流れとも言えないだろう。今の自分はすっかり「生活保守」となってしまっているが、もし出来るならば、地域再生事業に従事したいと思っている。

人々の持つ情熱の大きさは、実は今も昔も変わらないのかもしれない。ただ、それを向かわせる方向を自分を含め見出せないだけなのだろうと…

僕らが変わっていけば、「明日はきっといい日」になる…って、確かそういう気持ちでブログの名前を決めたんだ。

雨だからこそ、改めて考える時間がある

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後ずさり

2006-10-04 23:58:32 | つれづれ
昨年4月の尼崎列車脱線事故について、今も記憶に残っていますか?

運転手を含む107名の方々が亡くなられ、また多くの人が負傷し、心と体に負った傷に今も苦しんでいる。
事故後のJRの姿勢をバッシングしたマスコミ報道や、事故以前から問題視されていた「日勤教育」など、様々な問題が指摘されたが、果たして利用者としての責任を我々は自覚しただろうか?

電車を待つホームで、人々はなぜか後ずさりしている。目的地に着いたら我先に改札口や乗換える電車に向かうためだ。最後に乗る人は必死の形相だが、「先に乗ってしまったらどうか?」と声を掛けたくなる。
列車の本数が少ないという問題もあるが、ほんの数秒、数十秒の違いで何が変わるのだろう? 無理して乗り込もうとする人たちのおかげで、電車の出発時刻は遅れ、人々のイライラはますます膨らむ。

あの事故の誘因を、今も我々が持っているという自覚が必要ではないか…、と思いつつ、明日も満員電車に揺られる自分がいる。
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