廊下について多数、褒めていただきました
お褒めの言葉:
◎廊下までしっかりあって、すごかったです。
◎ろうかや教室などの装置的細部までこだわっているかんじがしていいと思いました。
◎廊下がすごかったです
◎そうかすごい!!
◎ろうかまで作られてて、本当の学校みたいでした!
◎自分は舞台美術なので、ドアの向こうにとうかがある大道具、すごいなあと思いました。
◎ドアの外までこっていてすごいと思いました。
◎ろうかまでつくってあってよかった。
◎ドアを開けた向こうの部屋もちゃんと作ってあってこってると思いました。
◎ちゃんとろうかまであるのがすごい
◎教室・ろうかをまるまるすべて再現しているのにおどろきました。
◎電気のスイッチとか扉開けた先にろう下があるのとかがすごいと思いました。
お褒めの言葉ありがとうございます。
しかし、廊下があることをたくさん褒めてもらいましたが、
こちらとしては褒められることが不思議です。
地区大会などでは、上演する場所の制約で舞台の奥行きがあまりない場合、
廊下の壁パネルを立てるのが難しい場合があります。
しかし中央発表会は、さいたま芸術劇場の大ホールです。奥行きは余るほどあります。
パネルと人形立てを持って行けばイイだけのことです。
誰でもできることだし、褒めるようなことではありません。思いつかないようなことでもありません。
今回の中央発表会でも、似たような教室を舞台にしていて廊下パネルを用意しなかった学校がありましたが、
ドアや窓の向こうにホリゾント幕や大黒幕が見えるのはとても変に感じます。
大道具がリアルで、パネルにも汚しが入っていて、でもドアの向こうは幕、というのはとても残念です。
それで我慢しないでほしい、中央発表会に出場する学校にはそういう努力をしてほしいです。
以前ある演劇部顧問に
「(上演時間に制限はあるけど)大道具つくりにどんなに時間をかけてもルール違反にはならないのだから(時間をかけて作りこむべきだ)」
と言われたことがあります。
特に今回のKoyo劇の大道具はリアルに見せるものでしたので、
廊下パネルがなければリアルな舞台には見えなかったと思います。
だから廊下パネルがあって当然だと観る人には感じていてほしいです。
ちなみに今回のKoyo劇の大道具では、別の理由で廊下パネルは欠かせないものでした。
それはドアパネルの支えが必要だったからです。
あれほど華奢な造りのドアパネルで安定したドアの開閉を行うのには、支えが欠かせません。
客席後方で観劇された方には見えたと思いますが、
廊下パネルは2箇所でドアパネルを支えています。
1箇所はヌキ板で上部を、そしてもう1箇所は四角い人形立てで。
四角い人形立てというのは、ベニヤを貼っていないパネルです。
この四角い人形立ては、ドアパネルと廊下パネルを同時に支えています。
ですので、奥行きがなくてもなんとか廊下パネルを立たせることができます。
かつて所沢入間地区も、奥行きの狭い(一番狭いところで2間ちょっとの)舞台で大会を行っていました。
そういう舞台でも『クチオとブービン』などで廊下パネルを建てました。
今回のKoyo劇のようなリアルな大道具の場合、廊下パネルを建てることを前提として、大道具プランを立てなければいけないのではないでしょうか。
なお、廊下パネルぐらいしか褒めるところがなかったというのであれば、申し訳ありませんでしたとお謝りするばかりです。