Koyo劇

Koyo演や埼高演連西部B地区の活動のお知らせもしくは、旧Koyo劇顧問の戯言です。

雑記4

2008-10-14 13:00:23 | 日記・エッセイ・コラム

芸術家とその作品の関係について

 当たり前のことですが、結論をいってしまえば、人(芸術家)それぞれであって、芸術家が作品に対してこうあるべきであるなんて決まりなんてないです。
 芸術家は他者に鑑賞してもらうために作品を作ります。じゃあ鑑賞のされ方には頓着しないのでしょうか。どう見られてもいいし、どう聞かれてもいいし、どう歌われてもいいと思っているのでしょうか。
 かつて宮崎駿が『風の谷のナウシカ』をアニメージュに連載していたとき「そばを食べながら読めない漫画」を描くと言っていました。たぶん自分の作品を“ちゃんと”読んでほしいと考えての発言ではないでしょうか。
 『ふぞろいの林檎たち』というドラマの挿入歌に自分たちの曲が使われることを桑田佳祐は嫌がっていたそうです。
 森進一の『おふくろさん』騒動でもそうですが、作詞家・作曲家の中には歌手を選んで作品を提供する人もいます。たぶんギャラの問題だけではないのだと思います。中島みゆきはいまだに曲を提供すると話題になります。
 美術系の芸術家の中には自分のお気に入りの作品を手放さず手元に持ち続けている人もいます。手を加え続ける芸術家もいるようですが、それだけが理由ではないでしょう。
  演劇の世界でも同様です。
 ウェッブサイト『はりこのトラの穴』に台本を掲載している作者の中には、自分の作者名さえ出してくれればどんなに書き換えても構わないという人もいます。しかし、こういう作品に対する態度で作者といえるのでしょうか。
  三谷幸喜は、自分の芝居の台本を滅多に(出版物として)表に出さないし、基本的に他人が上演することを許可しません。かつて高校演劇の全国大会で三谷幸喜の作品が許可なく上演され問題となりました。
 テネシーウイリアムズの作品も上演許可を取るのが難しいのは有名です。素人には絶対に上演許可を出さないし、ビアンカを男性の篠井英介が演じる企画には長いこと許可がおりませんでした。
 自分の作品に執着しない芸術家も多数いるかもしれませんが、そうでない芸術家もいると思います。しかし、作品は作家のものなのですから(所有権ではなく著作権という意味で)、その作家が自分の作品とどのような関係を作ろうともそれは他人がとやかく言うべきではないのではないかと思います。