戦争を挟んで生きた女性の回顧録

若い方が知らない頃のセピア色に変色した写真とお話をご紹介いたします。

私が死んだら献体をします。  22/02/17

2010-02-17 12:37:39 | Weblog
私は葬式はやらせないし、戒名も必要なし、と云っている。人間は死ねばおしまいだ。特に子のいない私はこれでお終いにしたい。私はお葬式にお金をかけない主義だ。そしてそれを商売にする人達、これでもか、これでもかと書き立てる新聞や雑誌・・・・・アメリカでは知人や親戚等が黒い衣服などをまとって墓地に集まり、”アーメン“で終わり。ジャクリーンケネディが夫の葬儀の時に被ったような黒い帽子にレースでおしゃれして参列する。
母の時以来、私は原則として家族だけで葬儀を行う事にした。それでも入棺(にっかん・仏様を清めて衣服を纏わせ、ひつぎにいれる)御通夜、葬儀と家族だけでは出来ない。特に最近は核家族が多く、家も狭いので葬儀社に頼む。幸いに家の近く、歩いても行かれる所に葬儀社が2社あり、近い方に頼んだ。お金を取るだけあって実に細かく指示してくれる。姉が感心しているが、私は「この指示にもお金がかかっているのよ」と答えた。

母の時は本当に家族葬だったが、入棺の時には既に遺体は葬儀社に移動していた。「お寺の御住職に来て頂きますか」の問いでそのようにした。車なんていくらでもあるが、ハイヤーも葬儀社の手配に頼った。この手配料を見ただけでどんなにお金が掛かるかが分る。
「頼んだ以上はもう、どうでもいいや、」と全部やって貰った。自分でやるとなると周りに相談したり、自分で決断しなくてはならない事が多かったが、さすがは葬儀社「お宅の宗派ではこのような事はしません」とか「東ですか、西ですか?それなら何々」と云ってくれる。結局は何百万かかった。
家族だけと云っても、7人もいた子供達の配偶者、その一族というと何十人にもなる。
産まれる時には誰がいなくても出てきてしまうが、死んだらそうはいかない。
それで私は独協医科大学付属病院に献体をする事になっている。
何で?と良く聞かれる。どうして?と反論すると、「解剖されるまで大学の地下のプールに沈められ、浮いてくるとアルバイトの学生が竹ざおで突いて沈める」と云われた。
死ねば焼かれる。フォルマリンの液体の中に沈められようと、切り刻まれても何も感じない。
それこそ、「どっちでもいいや」である。
切り刻まれた遺体はお寺に戻さずに大学の方で合同埋葬して頂く。大学で毎年慰霊祭をしていると聞いたし、子供のいない私はそれが一番良い。テレビでもひとりぼっちの人達の為の合同墓地があると聞いた。私はそれで良しとしている。

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