私には3年後輩ながら、知識の乏しい文科の私に政治経済出身の彼は何かにつけ、詳しい情報を提供して下さる。今回も坂の上の雲の感想を書いたら次のような正しい明治時代の国家予算について書き送って下さった。以下は其処から抜粋した物だが、殆ど全文に近い。
山本権兵衛(ごんのひょうえ)は司馬遼太郎の「坂の上の雲」によりますと、日本帝国海軍の装備と言うか、軍隊自体の近代化を成し遂げた、ただ一人の男と表現しております。当時、日本の狂気といわれる国家予算のことが次のように記されています。
「日清戦争は明治28年に終わったが、その戦時下の年の総歳出は九千百六十余万円であった。翌29年は、平和の中にある。当然民力をやすめねばならないのに、この29年度の総歳出は、二億円あまりである。倍以上であった。このうち軍事費が占めるわりあいは、戦時下の明治28年が32パーセントであるのに比し、翌年は48パーセントへ飛躍した。
明治の悲惨さはここにある。
ついでながら、われわれが明治という世の中をふりかえるとき、宿命的な暗さがつきまとう。貧困、つまり国民所得の驚くべき低さがそれに原因している。
これだけの重苦しい予算を、さして産業もない国家が組み上げる以上は、国民生活は苦しくならざるを得ない。
この戦争準備の大予算(日露戦争までつづくのだが)そのものが奇蹟であるが、それに耐えた国民のほうがむしろ奇蹟であった・・・」
大建艦計画
「実際のところ、日清戦争当時の日本海軍というのは、劣弱そのものであった。
一等戦艦というのは一応の基準として一万トン以上の艦をいう。それも日本は持っていないが、ロシアは十隻ももっている。二等戦艦は七千トン以上、日本はゼロ、ロシアは八隻。三等戦艦は七千トン未満、日本ゼロ、ロシア十隻。一等装甲巡洋艦は六千トン以上、日本ゼロ、ロシア十隻。日本がもっていたのは、二等巡洋艦以下の艦種ばかりである。それが、十ヵ年で巨大海軍をつくろうという。」実之が被弾したのはこの二等巡洋艦だったのでしょう?
明治維新から30年もたたずして。と言うセリフが昨晩ありましたが、本当にこれを奇蹟と言わずして何が奇蹟なのか?と思いました。
山本権兵衛(ごんのひょうえ)は司馬遼太郎の「坂の上の雲」によりますと、日本帝国海軍の装備と言うか、軍隊自体の近代化を成し遂げた、ただ一人の男と表現しております。当時、日本の狂気といわれる国家予算のことが次のように記されています。
「日清戦争は明治28年に終わったが、その戦時下の年の総歳出は九千百六十余万円であった。翌29年は、平和の中にある。当然民力をやすめねばならないのに、この29年度の総歳出は、二億円あまりである。倍以上であった。このうち軍事費が占めるわりあいは、戦時下の明治28年が32パーセントであるのに比し、翌年は48パーセントへ飛躍した。
明治の悲惨さはここにある。
ついでながら、われわれが明治という世の中をふりかえるとき、宿命的な暗さがつきまとう。貧困、つまり国民所得の驚くべき低さがそれに原因している。
これだけの重苦しい予算を、さして産業もない国家が組み上げる以上は、国民生活は苦しくならざるを得ない。
この戦争準備の大予算(日露戦争までつづくのだが)そのものが奇蹟であるが、それに耐えた国民のほうがむしろ奇蹟であった・・・」
大建艦計画
「実際のところ、日清戦争当時の日本海軍というのは、劣弱そのものであった。
一等戦艦というのは一応の基準として一万トン以上の艦をいう。それも日本は持っていないが、ロシアは十隻ももっている。二等戦艦は七千トン以上、日本はゼロ、ロシアは八隻。三等戦艦は七千トン未満、日本ゼロ、ロシア十隻。一等装甲巡洋艦は六千トン以上、日本ゼロ、ロシア十隻。日本がもっていたのは、二等巡洋艦以下の艦種ばかりである。それが、十ヵ年で巨大海軍をつくろうという。」実之が被弾したのはこの二等巡洋艦だったのでしょう?
明治維新から30年もたたずして。と言うセリフが昨晩ありましたが、本当にこれを奇蹟と言わずして何が奇蹟なのか?と思いました。