デュラス『愛人(ラマン)』を読み終わったので、もう少しデュラスを読みたいと思い、昨日の午前中に図書館に出かけて『娘と少年』(朝日出版社、1994)と『これで、おしまい』(河出書房新社、1996)を借りる。読みやすそうなのをと思って選んだのだが、(大体これでいつも見当違いのものを読むことになる)どうだったか。『娘と少年』は写真とのコラボレート、という感じであまり量的にも多くない。読了したが今ひとつあまり好きなものではなかった。やはりちょっと近代的過ぎるのか、ノルマンディーが舞台でちょっとフランス的過ぎるのか。写真の被写体になっている「娘と少年」がどうも自分のイメージに合わないのか。いずれにしても、ちょっと自分の読みたいもの、あるいは見たいものとは違っていた感じだ。ただ、デュラスの「ある部分」はそれなりに感じられはした。デュラスは書き手というより、彼女自身がある一つの「巨大な問題」というようなところがあり、その問題的な存在感に共感するか否かというところが彼女の文学に入れるか否かの境目のようなところがある。そういう意味では『愛人(ラマン)』はその存在感への共感の有無がなくても読める、ある普遍的な性格を持っていて、読み物として開かれている感じがする。作家にとって、このあたりのところはとても微妙な問題がある。
今日はとてもよく晴れている。暑くなりそうだ。
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