昨日帰郷。朝はいろいろやり、クリーニング屋と銀行に寄り、コンビニで国民健康保険料を払って地下鉄に乗る。電車の中では松尾理也『ルート66をゆく アメリカの「保守」を訪ねて』(新潮新書、2006)を読む。今日は遅れもなくすんなりと新宿へ。ただ八王子で隣の席に人が乗ってきた。
この本は読みやすくてすいすい読める。ルート66のドライブをしている感じがもっと出ればいいのに、と思ったが、本題は「アメリカの保守」のほうだったらしい。中西部、ハートランドといわれるミズーリ、オクラホマなど。多いのはドイツ系、スカンジナビア系。典型的なアメリカが、建国当初はマイノリティであったそうした人たちによって建設され、しかしみな英語を話すというのがどういう経緯でそうなったのかなと思う。ルイジアナなどには今でもフランス語が母語の人たちがいるわけだし、ドイツ語とか残っててもいいような気もするのだけど。ハートランドというのは、エキゾチックな感じがしないところ、という定義だそうで、なるほどそういうと日本だと四国とか、十津川とか、飛騨とか信州とかそういうところが思い浮かぶ。つまり、言葉は悪いが「弩田舎」だ。弩田舎こそが日本なのだ。というわけでオクラホマはアメリカの弩田舎だ。これはオクラホマにいったことのある人ならまあうなずけるだろう。
私自身がニューメキシコからセントルイスを経てオハイオまで、またニューメキシコからエルパソ、アラモ砦やヒューストン、ニューオーリンズを経てジョージアまでドライブした(私はほとんどハンドルは握っていないが)ことがあるので、この地方のことは懐かしい。ルート66は必ずしも通ったわけではない(大体がインターステートだが)が、似たようなコースは辿るし、昨日も今日も同じ景色、というのが典型的なハートランドのドライブで、それはもう堪能させてもらった。その雰囲気の懐かしさもこの本を手に取った一つの理由なのだが、まあ文学書でも写真集でもないからそれはちょっと望み過ぎだったなと思う。
エヴァンジェリストについて、その実態がよく書けていると思う。メガ教会の成功なども興味深い。進化論、一般にアメリカ人が熱心に教会に通うというのはあまり日本では理解されていないように思う。ポストモダン世代が教会にひかれること、「リレーションシップ」が教会にはあること。日本人が「つながりを求めて」酒を飲んだりおしゃべりをしているのと同じで、だから「日本人はとても宗教的だ」という言い方が可笑しかったが、しかし実はある種の真実なのかもしれない。
そのほか進化論論争、ID論、州兵、保守派とリベラルの完全な分離(お互いがお互いの論理をまったく理解できず、認めあえない)、60年代への郷愁、ゲーティッド・コミュニティとアリゾナの砂漠における不法入国問題など、アメリカの保守とリベラルをめぐるさまざまな問題について紹介され、知らないこともいくつかあった。いろいろな意味で「アメリカの論理」を理解するにはよくまとまった本だと思う。読了。
その後夜にかけてゴールズワージー『林檎の木』(角川文庫、1956)を読む。なんというか、まさに珠玉の掌編という感じ。きれいな映画になりそう、というかきっとなっているのだろうと思う。とても映画的な小説なのだ。「男で――5歳以上の年になれば――誰が恋したことがないといえるだろう?」など、「名言」(「迷言」?)がちりばめられていて、ときどき気分的にのけぞりながら読む。第一次世界大戦中の作品、と言うとついアポリネールとか思い出すが、一般的にはこういうものが受け入れられていたのだろうなと思う。
内容は書くとネタばれなのだが、(そういう意味ではこれは純文学というよりは大衆文学だな)メガンとステラという二人の女性の間で動く青年フランクの恋心、というある種の典型の話である。しかしすごくいい話で、メガンとの野性的で異教的で秘密めいた逢引の次の日にステラと出会い、家庭的で楽しい愛を知る。で、どちらか一方しか取れない、というまあ普遍的な愛の選択がテーマである。読んでいてなぜか萩尾望都の『マリーン』という短編を思い出した。
エウリピデスの『ヒポリタス』をマレーが訳したもの(ということは日本語としては重訳なのだが)の、
「黄金の林檎の木、歌うたう乙女たち、金色に映える林檎の実」という詩句が実に生きていて、感動的だ。
恋愛の刹那的な激しい喜びと家庭的な永久に続く愛のどちらを取るか、なんてまあ現代ではそう簡単に行かないでしょうよというツッコミを入れたくならないでもないが、でも本当は今なお重大な問題なんだろうと思う。「家庭的な永久に続く愛」が困難になればなるほど。多くの人の本音が、「両方欲しいんだよね」ってことであればあるほど。1916年の作。読了。
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この本は読みやすくてすいすい読める。ルート66のドライブをしている感じがもっと出ればいいのに、と思ったが、本題は「アメリカの保守」のほうだったらしい。中西部、ハートランドといわれるミズーリ、オクラホマなど。多いのはドイツ系、スカンジナビア系。典型的なアメリカが、建国当初はマイノリティであったそうした人たちによって建設され、しかしみな英語を話すというのがどういう経緯でそうなったのかなと思う。ルイジアナなどには今でもフランス語が母語の人たちがいるわけだし、ドイツ語とか残っててもいいような気もするのだけど。ハートランドというのは、エキゾチックな感じがしないところ、という定義だそうで、なるほどそういうと日本だと四国とか、十津川とか、飛騨とか信州とかそういうところが思い浮かぶ。つまり、言葉は悪いが「弩田舎」だ。弩田舎こそが日本なのだ。というわけでオクラホマはアメリカの弩田舎だ。これはオクラホマにいったことのある人ならまあうなずけるだろう。
私自身がニューメキシコからセントルイスを経てオハイオまで、またニューメキシコからエルパソ、アラモ砦やヒューストン、ニューオーリンズを経てジョージアまでドライブした(私はほとんどハンドルは握っていないが)ことがあるので、この地方のことは懐かしい。ルート66は必ずしも通ったわけではない(大体がインターステートだが)が、似たようなコースは辿るし、昨日も今日も同じ景色、というのが典型的なハートランドのドライブで、それはもう堪能させてもらった。その雰囲気の懐かしさもこの本を手に取った一つの理由なのだが、まあ文学書でも写真集でもないからそれはちょっと望み過ぎだったなと思う。
エヴァンジェリストについて、その実態がよく書けていると思う。メガ教会の成功なども興味深い。進化論、一般にアメリカ人が熱心に教会に通うというのはあまり日本では理解されていないように思う。ポストモダン世代が教会にひかれること、「リレーションシップ」が教会にはあること。日本人が「つながりを求めて」酒を飲んだりおしゃべりをしているのと同じで、だから「日本人はとても宗教的だ」という言い方が可笑しかったが、しかし実はある種の真実なのかもしれない。
そのほか進化論論争、ID論、州兵、保守派とリベラルの完全な分離(お互いがお互いの論理をまったく理解できず、認めあえない)、60年代への郷愁、ゲーティッド・コミュニティとアリゾナの砂漠における不法入国問題など、アメリカの保守とリベラルをめぐるさまざまな問題について紹介され、知らないこともいくつかあった。いろいろな意味で「アメリカの論理」を理解するにはよくまとまった本だと思う。読了。
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その後夜にかけてゴールズワージー『林檎の木』(角川文庫、1956)を読む。なんというか、まさに珠玉の掌編という感じ。きれいな映画になりそう、というかきっとなっているのだろうと思う。とても映画的な小説なのだ。「男で――5歳以上の年になれば――誰が恋したことがないといえるだろう?」など、「名言」(「迷言」?)がちりばめられていて、ときどき気分的にのけぞりながら読む。第一次世界大戦中の作品、と言うとついアポリネールとか思い出すが、一般的にはこういうものが受け入れられていたのだろうなと思う。
内容は書くとネタばれなのだが、(そういう意味ではこれは純文学というよりは大衆文学だな)メガンとステラという二人の女性の間で動く青年フランクの恋心、というある種の典型の話である。しかしすごくいい話で、メガンとの野性的で異教的で秘密めいた逢引の次の日にステラと出会い、家庭的で楽しい愛を知る。で、どちらか一方しか取れない、というまあ普遍的な愛の選択がテーマである。読んでいてなぜか萩尾望都の『マリーン』という短編を思い出した。
エウリピデスの『ヒポリタス』をマレーが訳したもの(ということは日本語としては重訳なのだが)の、
「黄金の林檎の木、歌うたう乙女たち、金色に映える林檎の実」という詩句が実に生きていて、感動的だ。
恋愛の刹那的な激しい喜びと家庭的な永久に続く愛のどちらを取るか、なんてまあ現代ではそう簡単に行かないでしょうよというツッコミを入れたくならないでもないが、でも本当は今なお重大な問題なんだろうと思う。「家庭的な永久に続く愛」が困難になればなるほど。多くの人の本音が、「両方欲しいんだよね」ってことであればあるほど。1916年の作。読了。
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