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ほめて育てるの弊害

2016-09-12 21:00:00 | スピ母の実践育児と子育て体験
前回こちらの記事でお話した通り、ワタリの母親は無自覚の対人エンパスです。

で、対人エンパスは他者と感情を共有することが得意なのですが、彼女はこの能力を無意識に使用し、ほめて育てる子育てを実践していたのです。

具体的に言うと、子供って自分が得た知識を大人に披露するじゃないですか?

そうした時、うちの母親と言うのはほぼ100%感心したんですね。

彼女のこの行動は子供の承認要求を満たすには最高の行動だったのですが、成人した今になって考えると、単純にほめて育てるのは危険が伴うと思うんです。

まずね、小さい頃出来てほめられたことなんて、大人になれば出来て当然の事になるのが大半なんですよ。

おはようございますから始まる各種挨拶を筆頭に、掃除、宿題を通し最低でもノルマは果たすことをしつけております。

本当、子育てをしていてつくづく当たり前の事しか教えていないと思います。
でも、今教えていることは社会人になってから絶対必要なことであり、やれていて当然の事になります。

ワタリは将来できて当たり前の事しか教えていませんから、子供たちには正直にそれを伝えています。

しかし、ほめて育てるを素でやっていたうちの母親は違うんですよ。

何でもほめるんです。とにかくほめるんです。

しかし、そのほめる内容と言うのが、先に書いた将来できて当たり前になることばかり。

大きくなったら出来て当たり前の事になるんですから、ほめらる機会と言うのはどんどん少なくなります。

でも、本人はほめられるのが当たり前だったから、ほめられる機会が少なくなると言う現実に嫌でも直面しなきゃいけなくなる。
もっと言うのなら、本人がこの現実に直面したとき、本人が直面している問題の原因を作った親はもう昔のように頻繁にほめてはくれなくなっている可能性があります。

だから、ほめられて育てられた子と言うのは、一回谷底に叩き落とされるようなもんです。

そこから先、どういう行動に出るのか?と言うことは誰にもわかりません。

何せ、ほめられると言うのは人間にとって甘美なる麻薬の一つなのですから。

谷底から這い上がってくる人間もいるでしょう。
でも、這い上がって来た人間が全員現実を受け入れているとは限りません。

現実を受け入れられなくて、這い上がって来た後で、ほめられる方法を求めてさ迷うかもしれませんし、ハリケーンになる可能性もあります。

這い上がるのを諦めて、谷底で暮らすことを選ぶ人間もいるでしょう。
でも、谷底に暮らすことを選んだ人間が、全員ほめられる事を諦めているとは限りません。

ある日突然暴れだすかもしれませんし、現実を受け入れられなくてそのまま腐っていく可能性もあります。

どちらにせよ、片寄った教育と言うのは弊害しか生まないんです。

ちなみに、ワタリの場合は親が喜んだ事を他人にしても通用しない。と言う苦悩を味わうことになりました。

今考えると、当時のアタシどんだけ世間狭かったんだよ!って感じなんですが、本当に片寄った教育なんて弊害しか生まないんです。

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