スピリチュアル世界の誰も見たがらない所を書いています

スピリチュアルブログが多いアメブロでは絶対に書かれていない、スピリチュアル世界の陰の部分を赤裸々に書いています。

これをやって意味あるの?の回答

2020-12-28 00:00:00 | ワタリのエッセイ
今回の話のネタ元はこちらの画像なのです。

The Global Happiness Challenge | Morshed Mishu

youtube#video

 


多分、中東の反戦争アーティストの作品だと思うのですが、内容としては「もし平和だったらどうなっているんだろう?」って事を絵にして反戦を訴える…。

正直、よくある形式です。

この手の活動は魂レベルにおいて必要性を感じた人間のやる事である事が多いんですよ。

早い話が、今世になる前に中東の戦争を見て「これどうにかしなきゃ!」って思ってどうにかするのをやってみると言う、今世限りの単発メッセンジャーです。

ワタリもそうなんですが、メッセンジャー役になった人間は表現方法に関しては合法的で良ければそれで良しなので、彼のやり方は間違っちゃいません。

もうワタリがブログのネタにしている時点でPR完了。政治家にも響けばさらにOKっていうね。

ただね、この絵の場合はもう一つあるの。

それは被害者に対する慰め。

もし被害者がこれを目にした時、仮の姿だけど幸せになってくれれば。っていう気持ち。

まあーどっちにしても転生の際に彼らは今世での記憶を表面的には抹消されるのですが、絵としてでももしも平和だったらこうなっていた。というのを見せる事で来世に選択の余地が生まれます。

そう、今現状だと彼らの来世は反戦活動家になるか攻撃する側になるか。だけなんですが、平和だった頃の絵を見る事で「あの絵の平和を体験してみたい」という第3の選択肢が生まれる。

魂レベルで見ると「ほら!この絵の中だけだけど君とパパはとても幸せだろ?これ記憶として持っていって!」っていう押し付けがましい状態なんですよ。

その押し付けがましいウソは現世だと本当にガッカリです。

だって、そんな絵よりも国外に逃亡させて当面の生活の面倒を見てくれるお金持ちの方が彼らにとっては必要なんですから。

でも、死んであの世に行くとちょっと変わってくるんだから、本当魂レベルの輩のやる事はイマイチ理解されにくい。

まあ、だからワタリみたいな翻訳する人間がいるんですけどね。

あ、気がつけばこのブログが今年最後になっていました。

来年2021年、前々から話していた預言が実現するかどうかの節目になります。

この預言のことを考えると正直胃袋痛いです。今朝食べたデザートがリバースしそうです。

でも、決まってしまっているんだからどうしょもないんです。

来年は国際面をよく見てくてみださい。結構本気で中国に注目です。
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三次元が学びに来た

2020-12-21 00:00:00 | 人間としての修業
ワタリはここ最近、Quoraという質問サイトで色々な人の質問に答えられる範囲で色々応えています。
得意な分野はスピリチュアルと霊魂に関する話で、文章制作に関しても質問に答えています。
で、これを利用していて気が付いたのですが、最近三次元さんっぽい人が出入りしているのがみえています。
なんで三次元さんと分かるのか?と言いますと質問内容が確認系だから。
基本三次元さんは他人をおとしめるのが大好きなんですよ。
他人をおとしめて自分の優位を保つのが大好きなのですが、そういう人が多いからです。
後、これを書いている今現在もいたのですが「〇〇な人の特徴」って言う事を質問するアレね。
この手の事って本当にあてにならない事が多いんですけど、私沢山の事を知っていますよ。あなたの事なんてお見通しですよ。って言うごっこ遊びをしたい人には結構需要があるんですよね。
本当、もうこんなの時代遅れなのに何をやっているんだか(-_-;)
と、思いつつも彼らの質問に結構真摯に答えています。
だって、三次元さんでも生きながらに高次元化する希望はまだありますから。
ワタリのビジョンの中ではね、Quoraでワタリに質問をしてきた人はワタリの説法会に現れた質問者みたいなもんなんですよ。
中には「それは別の専門家に聞いてくれ」とか言いたくなるのがありますけど、説法会で質問をされたら答えられる質問には答えるのが普通でしょ?
説法会に来るという時点で、その人には人生の教授が必要で、ワタリみたいな人生の教授にさせられやすい奴との接点が必要になっているんですよ。
だから、説法会開いている奴の義務として質問には答えていますが・・・そろそろ割に合わなくなってきた感があります。
そろそろ質問者さんには見えない世界レベルでの対価をもらおうかなー?なんて思っています。
だって、こっちだって元々は人間のための生物じゃありませんからね。
元々高次元存在のための道具であるのですから、そろそろ高次元式にやって欲しいのです。
大丈夫ですよ、命を取るなんてことはしませんから。
ただ、ツインの選定に基づきワタリに足りなくて本人に足りている部分をえぐって持ってくるだけです。
気が付いたら何かが足りない気がする。本当にそれだけですよ。
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女性に対する暴力について考える

2020-12-14 00:00:00 | ワタリのエッセイ
今回の記事のテーマはまあタイトルの通りなんですが、本当にワタリがこの記事のタイトルにしたかったのはこれなんですよ。

「お察し文化の弊害」

本当ね、これは女性に対する暴力反対運動が先行している海外でも言える話なんですが、今の70代たちの時代はお察し文化だった訳なんですよ。

なんでも察するのが良くてね、言わなくても理解するのが一番良し。

そうね。今回のネタ元になった内閣府の啓発ポスターの画像が下にあるんですけど、ちょうど良いんでこの画像を使って例えます



例えばこの画像内で「家に来てくれても」と言う項目は「男の家に女が一人できたらセックスOKという意味」の否定になります。

で、「はっきり嫌だと言われなくても」は「セックスOKの意思をほのめかしている」の否定。
「どんな服装でも」は「セクシー系の服装をしているとセックスOkという意味」の否定。
「ボディータッチされても」は「女から男の体に触ったらセックスOKという意味」の否定。
「結婚していても、恋人同士でも」は「結婚していれば、恋人同士なら問答無用でセックスOK」の否定。
「二人きりで食事をしていても」は「男と一緒に食事をしたらセックスOKという意味」の否定。

平成生まれの皆さんたちから「は?」と言う声が聞こえてきそうなんですが、ここから先ちょっと解説しますね。

大体今の70代が働いていた頃がこの発想の全盛期だったんですが、マジで今こう言う事をしなければならない文化があったんです。

特に今40代の人は分かると思うんですが、平成の10年かな?その位までは「男と焼肉食べに行くとセックスO Kという意味」とかって言われていました。

今考えるとね、本当お察し文化の弊害なんですよ。

事の発端は日本式バレンタインデーの起こりが象徴するように、いちいちハッキリ言えなかったお嬢ちゃん達の自己主張を男子たちがお察ししていた事だったと思うんです。

そう、当時としては、本当に当時としては一人暮らしの男の家に女一人で遊びに行くのが、セクシー系の服装するのが、体にお触りするのが、精一杯の「ヤって」アピールだったんです!

実際ワタリは平成20年代の18くらいに、コスプレの都合でデニムのホットパンツ履いていたら母親から「そんな服装して!襲われたらどうするの!?」なんて真顔で言われました。

さすがにお察し文化が当たり前の日本でも、性に関する部分は今の70代が50歳頃になる頃には早くも老害化を迎えました。

でも成功体験を持つじじい共と否定する女の子の間で何年もバトルになり「勘違いするなボケ!」というのはよく聞きました。

今考えると気が強そうに見えたのか?それともツインの御加護のおかげかワタリはそういう被害にあった事はありません。

でも背中が開いた服を着ていた時に歩きながらコートを脱いでいたら「おお!」という顔をされた経験があるのは本当で、今考えると「どんな服装でも」のうすーい被害者ではあったわけです。




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群馬県内高校色々お察しー。

2020-12-07 00:00:00 | スピ母の実践育児と子育て体験
ワタリだってうちの子はそれなりに良い学歴を持ってほしいと考える訳で、小学生の今の内から「テストの成績が今のあんたの評価」とか「大人しくて成績の良い生徒が一番いい」なんて教え込んでいます。

ただ、気になるのは県内高校の生徒と直接話をした時小学生時代の残骸みたいなのがそのまま残っていて「は?」となった事なんですよね。

その学校は工業系の学校だったんですが、売り物になりそうな出来の良い物がある一方で小学生レベルの工作があったんですよ。

むしろそっちの方が多くて、工業系=結構最先端なイメージがあったワタリとしては凄く絶句物。

横のブースが県内随一の工業系である群馬高専だったせいもあってか大学生と中学生くらいの差に腹の中では開いた口がふさがりませんでした。

で、偏差値どの位かな?って今頃になって調べてみたら50くらいなのよね。

大雑把に「テストの平均成績半分くらいか」なんて思っていますが、今の子って90点や80点が普通。という事を考えると確かに、あまりお勉強をしてこなかった人なのかもしれませんね。

ちなみに最寄りの公立高校もこの位の偏差値。

よりによってうちの子供たちの通う中学校の目の前に私立の方があったりするのが(-_-;)になる材料ではあるのですが、お願いだから金のかかる私立にはいかないでおくれと懇願しています。

にしてもうちの娘たちは基本進学校を目指して勉強中なのですが、似たような高校なのに高崎と前橋でかなり生徒の優しさに温度差があるよう。

うむー(-_-;)

一応前橋方面にしてくれとは言っていますが、二年生の段階で文化祭に行って色々リーディングしておいた方が良いのかもしれません。
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