スピリチュアル世界の誰も見たがらない所を書いています

スピリチュアルブログが多いアメブロでは絶対に書かれていない、スピリチュアル世界の陰の部分を赤裸々に書いています。

修行が流行しているきざしがする

2022-09-26 12:00:00 | ワタリのエッセイ
カラオケブームの頃が一番分かりやすいんですけど、ワタリは社会的に流行しているんだけどどうしてそれが流行しているのか一般論では説明できない場合、集団的な修行ブームだと思っています。

カラオケブームは自己表現をするための手法と一致していたし、連想ゲームみたいな遊びは気付きの初歩。
で、最近SNSで関係のないものと関係のないものをくっつけて関係性を主張するという方法が多くみられるみたいですけど、これも気付きの練習だったりします。

事実、気付きが当たり前になっていく過程で本当に関係のないものから関係のないもの気づけます。
それこそ「あ」という感じ。
確かこの過程を経ると気づきも生活の一部になってきて、今更なにも驚かない段階になる。

何年ぐらい続くんでしょうね?どの流行も5年は固かったと思いますが。
ただね、修行が流行するのはどうでもいいんだけど、そのやり方が本当察してくれちゃんだなと。

ワタリは自分がその手だったからこう思うだけなんでしょうけどそもそも気づきなんて自分の内部で終わらせるものなんですよ。
披露できるのなら披露すればいいと思っていますけど、多分披露されている気づきよりも披露している本人はもっと多くのことに気がついていて、披露されなかった気づきは自分の内側で完結しているんです。

この分別本当にできていますか?って言いたくなる。

ワタリにいわせればね、SNSで関係のないものを関連付けたのを披露している人はいたずらこいて自分が頭良くなったことを主張する子供なんです。

共通点は「受け手が気がつくタイプじゃないと成立しない」

だってこの世の大半の人は悪戯をされたら悪戯とみなし、悪戯をしたことを叱るでしょ?
悪戯をして「お前頭良くなったな」っていう人の方が少ないと思うの。
でも、SNSで関係のないものを関連付けたのを披露している人って、この気がつける人が多いって前提に立って披露しているような気がするのよね。

いやその前提の方が妄想ですから今すぐ手放してください。っていう突っ込みは、多分まともなスピラーならみんな言うことです。

自分的にこの界隈なら多分気がついてくれるだろうという無意識の前提が働いているから特定の界隈が狙いうちみたいにされるんでしょうけど、狙い撃ちした界隈の人の大半は関係のないものから関係のないものに気がつくなんてことはできません。

事実ワタリだって気付きの披露をしているけど、その過程は書いていないでしょ?
だって本当に関係のないものを見て「あ」ってなるから、説明が著しくしにくいんですよ。
うちはブログだもんでそのいちじるしく説明がしにくい部分を省略して気付きの披露をしている訳ですけど、今この記事を書いている時点ではSNS界隈の人は大体討論みたいなところになってくるから嫌でもどうしてその答えに行きついたのか?を説明しなきゃいけないの。

でも、関係のないものを見て関係のないものに気がついたなんて、ほとんどの人は理解できない。
だからは?って変な顔をされて、何でこいつこんな関係のないものと関係のないものをくっつけられるの?ってことだけに注目されてスルーされちゃう。

本当に欲しい言葉は違うでしょうに、やり方が子供だなーってつくづく思います。

もちろんワタリも関係のないものから関係のないものに気がついた人が過程まで含めて披露して来たら全面的に排除します。
だって、あたしあんたみたいな修行途中のめんどくさいの相手している暇なんてない。


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愛せないのならぶちゃってくれればよかったのに

2022-09-19 00:00:00 | ワタリのエッセイ
ワタリの父親は猫舌です。
だから母親はいつも湯呑に入った熱々のお茶を水にさらして冷ましてから父親の前に出します。
毎朝毎朝繰り返される光景ですが、そのたびにワタリはこの人はワタリの父親、すなわち自分の旦那で心がいっぱいで、子供を育てるなんてできる人じゃなかったんだな。って思います。

それと同時に、タイトルに書いてあることを思う訳です。

前々から話題にしているとおりワタリは母親から愛情を受けずに育っています。
なんとか手に入れようとあの手この手していましたが、天然の男好きである母親は男兄弟しか無条件に愛しませんでした。
さらに、母親がワタリを粗末に扱っていた影響で男兄弟たちはワタリを粗末に扱っていました。

今考えると、そんなに愛せないのなら施設にでも入れて絶縁すればよかったのに。と思います。

実際ツインもワタリに無条件の愛情を注いでくれる環境を探していたらしく、小学生の頃自宅の隣にある親戚の家に数日間泊まっていた記憶があります。

何回も繰り返していたような記憶があるところから推測するに、多分当時のワタリにとっては駆け込み寺だったのでしょう。

でも、当時の大人たちはこんな風にワタリが自己主張をしても誰も気がついてくれませんでした。
土の時代式に相手が察するように仕向けていましたが、それでも分かってはくれませんでした。

だから今当時を振り返ると本当にタイトルのことを思う訳です。
そんなに子供が愛せないのなら、いっそ施設にでも押し込んで二度と会いに来なければよかったのに。と。

でもきっと、ワタリの家は表面的には何不自由ない生活だったので実際にそれをやっても受け入れてもらえなかったと思います。
さらに母親のきょうだいに知れる所となれば凄い剣幕でワタリを迎えにきて、問答無用で母親と同居させたんだと思います。

その位、表面的には普通の家庭でした。

毎朝水にさらされている湯呑を見ながら思います。

昔の私に必要だったのは、こういう思いやりだったんだな。って。
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それぞれの時代の特徴が分かったぜ!

2022-09-12 00:00:00 | ワタリのエッセイ
今は風の時代と土の時代がせめぎ合いをしている所ですが、以前じゃあ他の時代はどうなんだろう?と思って歴史を振り返った事があります。
その結果気がついたのは、それぞれの時代に特徴があるということなんです。

時代は四大元素で示されます。
すなわち、火、水、土、風。

風の時代についての説明については割愛しますが、調べてみたらそれぞれの時代にはこんな特徴がありました。

土→土から生まれるものは目に見えるものだから物質的価値を重要視していた。
  後言葉を話せぬ植物に接するように察しが良いのに価値が置かれていた時代だった。

火→火は出所があるものだから、その影響で人間の価値も出元で決まっていた。
  暴れる火のごとく争いが多い時代。

水→今までの文化を全部リセットする効果がある。
  それこそ台風の日の濁流のごとく、一度流れができると時代が変わるまで止まらない。

変革を求めるのなら風の時代と水の時代が一番良いんです。
そして安定やグラウディングを求めるのなら土の時代が一番良い。
火の時代は、転生の理由と一致する親を探すことができれば一番良い思いができます。その

その反面、こんなデメリットもあります。

風の時代と水の時代は安定がない。
土の時代は目に見えるものにこだわり過ぎて色々理不尽を被る時代です。
そして、出元が重要な火の時代は生まれた家別に理不尽をかぶる子と好待遇される子に分かれます。

どれもこれも良し悪しで、全部いいなんてことはありません
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風の時代の家と土の時代の家

2022-09-05 00:00:00 | ワタリのエッセイ
これは都会だと分かりにくいことなんですが、一軒家に核家族で済むのが当たり前の地方都市だと家族を持ったら家を買うのが当たり前になっているような気がします。
ところでここ最近の住宅は、庭に木を植えず駐車場と住宅だけという作りの家が多い訳です。

最近気がついたことなのですが、ここに風の時代と土の時代の違いを感じることができます。

まず持ち家を買い始める世代である現在のアラフォー。すなわちワタリの世代は駐車場と住宅だけの作りの家を好みます。
これ、すっごく風通しが良い訳ですが典型的な風の時代に適応した家なんです。

逆に長年ここに住んでいて、家主が70歳近くという場合は庭先にとても植物が植えてあり、一見しただけでは家の中が見えないようになっています。
もちろん、現在70代のワタリの親もこのクチ。

昔親になぜこうするのか?と親に質問したことがあるのですが、帰ってきた返事はプライバシー保護でした。
でも、今改めて考えると土の時代の人だから植物が沢山ある家を好むんだろうな。という気がします。

根本的に風の時代の人も土の時代の人も他人から家の中をのぞかれるのは大嫌いです。

でも、それでも風の時代の人は風通しのよさを求めシンプルな形の家を好むわけです。

気がついた時は本当分かりやすいなと思いました。
だって、両方ともマジ象徴的じゃない?
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