スピリチュアル世界の誰も見たがらない所を書いています

スピリチュアルブログが多いアメブロでは絶対に書かれていない、スピリチュアル世界の陰の部分を赤裸々に書いています。

選別しまくったその先の事。

2015-03-30 21:00:00 | 人間としての修業
以前こちらの記事で書いた事の有る話題では有りますが、ここ数日間「人間を年齢で判断する日本の文化が嫌」とする人の書いた文章に触れる機会が有った為、これも何かの縁かしら?と思いつつ書いています。

ワタリが時代の逆行を望む空気が有るなと感じる時、それは大体先にあげた書いたような見えやすい物で他人との違いを主張する人々に対面した時です。

昔は立場だの年齢だの性別だのと、本当に色々な物で他者との違いを明確にし、年上だから、男だから、女だから、子供だからと、色々「だから」と言う言葉で理不尽な思いをする機会も多かった訳です。

でも、その理不尽な時期を実践してきたからこそ年上だからってみんな立派じゃない。上司だからって立派じゃない。子供だから全部だめじゃない。女だから全部だめなんかじゃない。と言うのが解ってきた訳で、ワタリの目にはこの件に気がついた人々が現世で放っている謝罪の声がそこら辺中で聞こえているように感じます。

まあ、自分も前世で魔界系だからってツインの事を拒否りまくった過去が有るから、同族として良く聞こえるのかもしれませんが。

でも、今回は「だから」の時期をクリアーした先に有る事について話をしてみたいなと思います。

高次元達の常識として、相手の年齢立場に関係なく自分より優れた存在からは教授を受けると言うのが有ります。

現在の人間達が目指している先って、ここなんじゃないのかしら?と言う気がします。

人間の善し悪しを決めるのは地位や性別と言う、肉眼で見える解り易いものではない。
組織維持のために縦の繋がりとか上下関係も必要だけれど、自分よりも優れている存在がいたら素直に賞賛する。教えもこう。って言う。
もちろん横のつながりも重要で、魔界在中のツインと天界在中のイッセーが仲良いみたいに、表では敵対者同士でも裏で協力し合う事だって有る訳なんです。

なんて言うか、書いていて気がついたんですけど、これって人間でもやれる人はやれていますよね?
で、ある意味理想だったりすると言うか、個人的に高次元達の常識が実践出来ている人と言うのは、ワタリの目にはスマートに振舞っているように見えるんですよ。

じゃあ結局人間は、自身魂における親とも呼べる高次元達の事を追尾していればよろしいのかしら?と思うでしょ?

これもそう簡単な話ではなく、その追尾される方の高次元であるツインは人間の発展に関するニュースを見て賞賛の声を上げる時が有ります。
そして、最低限彼は音楽に関して言えば人間の作ったものをとても楽しんでいる。

人間が追尾するだけでよろしいのならば、ツインがこう言う反応をする訳がないんです。
まあ、こう書いている最中のワタリの脳内には、いつしか彼が言っていた『基礎は全部教えたの。今度は人間達が俺達を楽しませる番。』という言葉が浮かんで来ますが、きっとそう言う事になるのかもしれません。

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スピ発想のこう言う所が嫌い

2015-03-23 21:00:00 | ワタリのエッセイ
最近だと中学生が暴行死した事件になるのですが、戦争にしても災害にしても、こう言う事が起きると必ず湧き上がる疑問と言うのは「どうしてこうなったのか?」「どうして死ななければならなかったのか?」と言う非常にありふれているけれどデリケートな疑問です。

ワタリ個人として、その答えはスピリチュアルの世界と言うか、魂の世界に有ると思います。
定番中の定番ですが、魂がそう望んだから。

と、言ってもワタリ個人はこう言うスピリチュアル的回答は大嫌いです。
だって、高見の見物で当事者感情なんて絶対配慮していないもん。

以前はこう言う回答をさも偉そうにしていると言うか、高確率でキラスピでデコってブログに披露しているスピラーがいたような気がします。
ワタリ個人はこう言う発想を披露するスピラーにあまり遭遇しなくなった事を非常に歓迎しているのですが、本当にスピリチュアルのこう言う発想は好きじゃ有りません。

あのね、高見に上らないと見えない事も有るんです。
それと同時に、当事者にならねば解らない事も沢山あるんです。

例えば、世間の広さとか、自分が悩んでいる事はいかに小さい事で有るかとか、そう言う冷静になる時間が提供出来るのが高見からの視点なんですよ。
あるいは、以前は当事者だった指導者としての立場からの視点が必要な時とか。

要するに、全体を見渡す必要が有る時は高見からの視点と言うのはとても重要になるんです。

でもね、うちのツインを始めとした、守護霊やっている高次元達は皆言う事なのかもしれませんが、『その場に行かねば解らない事も多い。』と言う言葉に要約されるように、高見から降りて当事者としてその場にいると言う事もとても重要なんですよ。

高見視点が良いか当事者視点が良いか?と言うバッサリ切り型、ある意味キラスピで否定しているジャッジの状態じゃないんですよ。

両方とも重要だけれど、それは全て善し悪し有って、常にリアルタイムでのバランスが重要なんです。

こう言うキラスピの典型と言うのは、本当に高見視点過ぎるから嫌いなんです。
高次元はね、比較的こう言う高見過ぎる事を言う事が有るんですよ。
そして、ワタリ自身もこう言う所有りますが、高次元達と付き合っていればそれなりに彼らに染まっていく訳で、気が付くと高次元的発想になっている部分が有るのはいかしかたない事だと思っています。
そして、最終的に人間と言うのは高次元化する事に転生する意義が有る訳で、脳みその発想が段々高次元化しているのは悪い事じゃないと思います。

でもね、だからって人間界はそれをそのまんまぶちかまして通用する場所じゃないんですよ。

もちろん、心霊のせいにするオカルト発想も嫌い。
本当、某妖怪アニメのなんでも「妖怪のせい!」じゃあるまいに全部呪いのせいになんぞしないでおくれ。と言いたくなりますよ(笑)

需要と供給の事とか、魂の体験とか、一番最初に書いた事に関しては今なお一言で片付く回答は有りません。

今犯罪を犯した人々が前世で善人であったのならば、来世で彼らは被害者たちに対して追体験をするのか?
現世で殺された人々は追体験だった可能性は有るんだろうけど、その追体験を果たした後で彼らは自身の追体験を果たす為の協力者とも呼べる加害者達に対して何か償う必要は有るのか?
両者とも自分の願望を達成するために親を利用する事となった訳だけれども、この自分の願望を果たす為に利用させてもらった親を悲しませた件に関しては償うのか?

悪役で有ったツインの様子から判断するに、それは無い。としか言いようがないのですが、考えれば考えるほど人間の世界と魂の世界と言うのは感覚が違い過ぎてため息が漏れそうになります。

あっちはあっち、こっちはこっち。別物なんだから混合して考えちゃいけない。

と、言う事だけははっきり解っているんですけどね。


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共鳴したいお年頃とそれはどうして必要なのか?と言う事を考えてみる

2015-03-16 21:00:00 | ワタリのエッセイ
iモードって覚えていますか?あるいは知っていますか?

ワタリは現在30代なのですが、この年代だと丁度二十歳前後。すなわち90年代に大ブームを巻き起こし、現在では本当に当たり前になってしまったガラケーのモバイルネットワークを一般に広めた立役者のようなものです。

もちろんその前からインターネットは存在し、パソコン経由で色々な情報のやり取りがされていました。
でも、それを十代にまで広げ、今となっては当たり前になっていて空気状態のスマホ有ればネットは気楽にやれるもの。と言う基礎のような物を築いたシステムだと、iモードをリアルに体験していた身としては思う事なのです。

でも、今回話をしたい事はこんな昔話じゃありません。

以前何処かで話をした記憶がない訳ではないのですが、自分自身の経験とか周辺の様子とかで、ワタリ個人としては10代と言う年頃は自分と同じ要素を持つ人間と繋がる事を重視する年頃。すなわち魂レベルに置いて共鳴を重視する年頃なんだなと思っています。

今も昔もね、この10代の共鳴したい欲求ってすごいんだと思います。

ほとんどリアルに経験した事では有るのですが、要約して言うと昔電話今ライン。
ワタリの年代だと昔電話今メール。となるんですが、同じ学校の同級生と帰宅後も電話で永遠と話し続けて親に怒られたとか、携帯代すごくなってびっくりしたとか、結構やった事が有りますよね?(笑)
でも、友達と話をするのが楽しかったから、通話よりも格安で音声も出ないメールに移行して低速のチャットみたいになっていたとか。結構ワタリも色々やっていました。
でも、じゃあその電話の内容はどんなもんか?と言う事を考えると、本当に非生産的な無駄話の極みだったりする訳なんですよ。
でも、その無駄話は魂の要求と言う点から見ると全然無駄な事じゃなくて、そうやって話をする事でお互いの魂を共鳴し合わせている。お互いの事を理解し合わせている。と言う事になるんだと思います。

こう考えると、ツインが言う『違うけれど同じ物。同じだけれど違うもの。』と言う事の実感はまず幼少期から20歳位までは『違うけれど同じ物。』を徹底的に実感する事から始まり、そこのカリキュラムが終わると『同じだけれど違うもの。』を受け入れられるようになるんだな。と言う事が解ります。

でもね、だからと言って全てが良いなんて思わない訳なんですよ。

ライン自体は必要がないですし、正直体験してみようとはしたものの入口の時点で漂ってくる邪気に参ってひき返した。と言う情けない状態(^^;なので未経験分野なんですけどね、だからこそ憶測混じりになるのはお断りさせて頂きたいんですが、いかに魂の共鳴の実践だからって言ってもね、これも実践して成功させる為にはすごいバランスが重要になって来る事では有るんですよ。

なんて言うか、「相手は選んだほうが良い。」と言う言葉とか、相手の恋愛感情の比重が自分よりも強くてそれを受け止めきれない事を「重い。」と言うのに近いイメージが有るんですが、この魂の共鳴にしてもそう言う事が発生する事が多々ある訳なんですよ。

友人Sの話だと今もそう言う人がいるそうですが、ワタリが10代だった頃って今考えるとすごく暇過ぎて、リアルに即レスとか出来てそれが普通だと思っていたんですよ。
まあ、当時からパソコンユーザー達は「メールは2~3日レスが無くて当たり前の物」と言う感覚が有った為、チャット状態であるこれに違和感を持っていたようなんですが、逆を言うと即レスと言うのはそれがお互いに当たり前と認識している間柄+同じ暇人同士と言う事実がないと成立しないんですね。

それに、最初の内は暇人同士だったとしても、時間経過とともに状況は変わる訳ですし、結局の所同じだけれど違うものであると言う事を学習する方に向かうのですから、いつまでも即レスなんか出来る訳がないんですよ。
むしろ変わっていった状況を受け止め、そこから二人協力して関係を発展させるべきなのにいつまで経っても片方が変わらない。
片方が大人になろうと違う周波数を出しているのに、もう片方がいつまで経っても子供時代のままの周波数。と言うのが今湧いているイメージなんですが、違う周波数じゃ共鳴出来る訳なんてなく、いつしか疎遠と言う形で別れる必要性が生まれるんだと思います。
そう言う時期に来た時、相手に対して「重い。」と感じたり、交流を持っている事が負担になったりするのかもしれません。

だから、「相手は選んだほうが良い。」と言う事になるのかもしれません。

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嗚呼近況報告

2015-03-09 21:00:00 | ワタリのエッセイ
皆様悶絶お久しぶりです。

ワタリは予定投稿機能を使い、可能な限り定期的な更新を可能にしているのですが、実はここ最近長女の入学用品を作っていたり、子供達に依頼されていた編み物の制作をしていた為、すっかりため込んでいたはずの記事のストックの底は尽き、未更新状態になっていました(^^;

と言うか、一番ワタリに書かせなきゃいけない立場であるツイン自ら『子供達の事をやる時間あげるよ。』と言い放っていたんで、とりあえずこのノルマさえ満たせば書くと言う事を信頼されているのやら、時間が極度にない事を理解されているのやら、結構複雑だったりしますONZ

あ!!!!!!!って言うか長女の御守り作りやるの忘れていた!!!!!Σ(一Д一;)

はい、とりあえずこれで一週間位の時間が出来たので、明日辺り取り組んで来ますOnz

にしても、こう言う時常々思う事ではありますが、こんな風にどたばたどたばたノルマに追われ追われしている間にも世間と言うのは日々静かに変化をしています。

ちょこっと手のあいたその合間に、色々ネットニュースを観覧しています。
そして、子供や仕事の関係で行ったその先々で安全圏に収まりながらと言うずるい方法で色々感じています。
そうすると、日々の本当知らないそのすき間に、自分が今まで気がつかなかっただけなのかどうかは知りませんが、後追いされていたり遅れている感を味わったりする事が多々あります。

例のごとく、何って具体的に言えない所が皮膚感覚の情けない所なのですが、「あれ?」と思った記事はとりあえずキープして後々に読む事にしています。

おかげさまで、ワタリの時間と言うのはどんどん濃密になり、これで電車通勤だったらもっと良いのにな。なんて思う事もない訳じゃ有りません。

後、それとは反対に時代をキープしようとする流れを感じる事も有ります。

そう言う流れとは早々に縁を切っているのですが、改善有無の事に関してまで読めてしまうのがエンパスの善し悪しで、さてさて人生2回目の利用者としての関わりとなる小学校でこれがどこまで使えるのやら?と言う感じが有ります。

もっとも、保護者説明会の時点ですでに学年主任が教えてちゃん状態なのが読めてしまっているので、余り関わりたくないと言う感情はかなりあるんですが(^^;)

にしても、ここ最近本当にツインの働きかけとしか説明のしようがない状態が続いています。

ワタリ個人は何も考えていないんです。
でも、保護者会とか何かの当番を決める場。要するにワタリの時間を割かなければならないような事が発生する可能性が予測される場所に行こうとすると、絶対最初に集まる場所を間違えるんです。
で、少ししてから間違いが指摘されて気が付き、そっちに行くともう既に全部決まっている。
そして、どう言う訳だかワタリはいつも当番とかから外れている。

文章化すると大した事がないように見えるかもしれませんが、実際に体験すると本当に不思議な感覚になります。
だって、本当にそれがごく当然のことであるかのように連続しているんですもん。

元々ね、うちのツインはワタリに時間がないと言うのをすごく知っているんですよ。
だから、ツインからの配慮と呼ばずになんと言え?と言う感じで。

まあ、裏を返せば『時間上げるからブログちゃんとやりなよ。』って事なんですけどね!!!!!!!

あーんもーーー。メッセンジャーとしての務めは今の内に果たしやがれこんちきしょう!って事らしいです(^^;

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